第40話 光陰矢の如し!

 混濁した意識がはっきりしてくるにつれ、健二郎は今の状況を思い出してきていた。自分は一時的に肉体に戻り、その後、地下の研究室で脳移植手術を受けたのだ。だから今の自分の体はバレンタイン1号のはずである。健二郎はゆっくりと身を起こした。

「目が覚めた?」

「恵美さんですか。なんだかずいぶん長く眠っていたような気がします」

「そう? 手術開始から1時間しか経ってないけど、そう感じてるのね」

 健二郎の傍らにはカプセルが鎮座している。中で眠っているのは無論、健二郎の肉体だ。

「やれやれ、年に1度のオーバーホールもこれで4度目か。光陰矢の如しですなあ」

「そうね。早いものね」

「そうですねえ。ぼくがサイボーグにされてから早4年と半年。どうしてこの顔はブッサイクなままなんでしょうね? 恵美さん?」

「もう慣れてるでしょう」

「慣れるのと気に入るのとは違いますよ。4年も経っていろいろ変わりました。第1特務中隊は第1特務大隊になって、隊長の岡野大尉は中佐になりました。国家安全保障局防疫班いいのや出張所はいつの間にか国家安全保障局防疫班そのものになって、ちゃっかり小松川さんが班長です」

「栗田所長はここの所長のままじゃないの」

「あのおっさんはもう70歳近いし、いいんですよ。恵美さんは恵美さんで研究室長に昇格して、事実上バレンタイン計画の中核だし、田井中さんは特殊感染対研究所の上級研究員になりましたよね。でも、ぼくのこの顔はブサイクなまま! 不公平だ」

「和仁君と毎日変わらずお尻の撫で合いをしてるあなたが何を言っているのかしらね」

「それはそれです。変わらない方がいいものもあります」

「あなたの顔も変わらない方がいいものよ。あきらめなさい」

「くそ。結婚して少しは丸くなるかと思ったのに、相変わらず女帝のままだ」

「何か言ったかしら?」

「いえ、何も」

「そう、それならいいわ。さて、作戦室に行きましょうか」

「は〜い」


 静岡県いいのや市の国立生体工学研究所の花壇には無数のコスモスが咲いている。研究所から見える山々には気の早い紅葉がぽつぽつと見られ始めた頃である。健二郎が拉致改造されてからおよそ4年と半年の月日が経っていた。

 健二郎たちが向かった作戦室は、部屋こそ広くなったが、そこに詰める組織も人員も顔ぶれはそれほど変わっていない。このときも作戦室には岡野と小松川、田井中そして郡司がたむろしていた。兵士や職員は忙しそうにしているというのに、この幹部連中はのんびりしたものである。

「おっ、山内さんとサエちゃんが戻ってきましたよ。よう、サエちゃん。また一段といい男になったんじゃねえか?」

「グンちゃんにはぼくの苦悩はわからないよ」

「サエちゃんの苦悩? どうせ顔のことだろ」

「いや、変わるものと変わらないものについてだ」

「ほう、深いな。でもどうせそこに至るきっかけは顔の話だろ?」

「ぐぬっ。さすが長い付き合いだけのことはあるな。グンちゃんよ」

 郡司は感慨深げである。

「長い付き合いか。そうだよなあ。サエちゃんと初めて接吻をしたあの衝撃の出会いからもう4年近いもんなあ」

「やめろ、グンちゃん。思い出してしまう」

「思い出す必要なんかないぞ。今この場でしてやろう。ほれ、んん〜」

「ちょ、グンちゃん。待って。んんんんんんん!」

 サイボーグ2人の濃密なスキンシップに周りの人々も慣れたものである。誰も制止しようとしない。

 小松川が腕を組んでしみじみと嘆息する。

「まあ、確かに。この作戦室も発足してもうすぐ5年になりますからねえ。いろんなことがありましたねえ」

「あら、珍しい。小松川さんが感傷的になるなんて」

「いやいや、山内さん。いろんなことがあったそのなかでも、特大の驚愕を提供してくれた方が何をおっしゃいますか。ねえ、田井中さん?」

「え? は、ああ、いや、そうですねえ……ははは」

 急に矛先を向けられた田井中はしどろもどろになった。困ってはいるが照れてもいるのである。

 2年前、田井中と恵美が並んで街を歩いているのが目撃されたとき、周囲はさほど驚きもしなかった。研究者同士であり、こうして職場で顔を合わせる間柄であるので、そんなこともあろうという程度だったのだ。第一、あの山内恵美と田井中が歩いていたところで、その姿は女帝陛下とお付きの者としか見えなかったのである。しかし、その後間もなく、2人の婚約がこの作戦室で発表されたときは、事前に知らされていた栗田を除く全員が驚倒したものである。

 そのさらに数ヶ月後、2人は式を挙げ、田井中という新しい籍を編籍した。そのため、恵美は田井中恵美と改姓したのであるが、職場では旧姓の山内のままで通していた。

「小松川よ。あまり中年親父のようなことを言うんじゃない。同い年の俺が恥ずかしいわ」

「はっはは、そうだな。お2人とも申し訳ない」

 無論、腹を立てる恵美と田井中ではない。この程度の他愛ない冗談を言い合えるぐらいには、彼らとて信頼を培ってきたのだ。

「いろんなことか。そうだな俺としてはやはり、田井中さんのあの研究報告が印象に残っているがな。あれ以来、ゾンビの掃討もずいぶんと進んだのだからな」

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