第39話 ほんとうの自分

 静岡県いいのや市の国立生体工学研究所の作戦室と呼ばれる部屋の窓から暇そうに外を見つめるブサイクな男の姿があった。名を三枝健二郎といい、世界初のサイボーグである。

 そのサイボーグにのこのこと近づく初老の男性は栗田清といい、健二郎を拉致し、無断でサイボーグに改造した奇人である。

「三枝君。お前さん、4〜5日ほど元の体にもどってもらうがいいかの?」

 健二郎は白い目を栗田に向けた。

「元の体?」

「お前さんの肉体にその脳を戻すのだよ」

「元の体に戻れるということか!?」

「だからそう言っとるのに。話が通じんのう。で、どうだの?」

 健二郎は目の色を変えて承諾した。一時的とはいえ、彼にとって至高のひとときである、”自分鑑賞”を1年ぶりに1人称視点で堪能できるのである。

「いいに決まってるだろう。むしろそのまま戻っていたいぐらいだ」

 栗田は明後日の方角を見やりながらうそぶいた。

「逃げたら卒業も就職もできなくなるがの〜」

「ぐっ。わかってるよ。それにしても、いったいなんのために?」

「もうお前さんが初起動してから1年半、実戦に出てから1年になるでな。バレンタイン1号をオーバーホールしようと思ってのう。それにはお前さんの脳が邪魔になるんでの」

「このおっさん、人の脳を何だと思ってるんだ。それでいつ?」

「いまから」

「おっさん、ほんとに社会人か? ほう・れん・そうって知ってるか? ああいや、あんたに社会性なんか求めるのが間違ってた」

「あんまり人を悪く言うと、脳だけ薬液にどぼんしておこうかの〜」

「ぐぐっ。冗談に決まっているじゃないですか。栗田センセイ!」

「そうじゃろうとも。さて、研究室へ行くとしよう。ああ、心配せずとも岡野大尉には事前に知らせてあるからの」

「岡野大尉には知らせておいて、当人には今知らせるって、どういう了見だ」

「そりゃ、お前さんの優先順位が低かったというだけだのう。ほっほっほっ」

「畜生、いつか殺してやる」


 ずいぶん長く眠っていたような気がする。しかし、もうそろそろ目を覚まさなければ。今日も鏡に向かっておはようのウィンクをして1日を始めるのだ。いや、そうではない。目が覚めたらぼくはブッサイクなぼくの顔と対面しなくはならないのではなかったか。秀麗な健二郎の顔とブサイクな健二郎の顔が目の前に浮かんだ。脳が急激に覚醒し、健二郎は光を感じると同時に現状を思い出した。そうだ。ぼくは、ぼくの肉体に戻っているはずだ!

「目が覚めた?」

「恵美さんですか。なんだかずいぶん長く眠っていたような気がします」

「そう? 手術開始から1時間しか経ってないけど、そう感じてるのね」

「1時間? 脳移植なんて大手術をたった1時間で? 本当にぼくは元の肉体に戻ってるんですか」

「はい、鏡」

 恵美は手鏡を健二郎に手渡した。そこに映っているのは、頭髪は柔らかく波打ち、目は切れ長で涼やか、鼻筋は細く高くすらりと通り、唇には色香すら湛えている健二郎の顔であった。

「おお! おお! これこそぼくの顔! なんと、ああ、きれいだ」

 健二郎はたっぷり2分間は鏡に見とれていたがふと、ある可能性に思い当たった。この体も実は人工の体ではないかという可能性である。

「いやしかし、まだ安心できない。モード変更、訓練モード」

 健二郎の視界には何も表れない。健二郎は体中をまさぐったが、たしかにバレンタイン1号の感触とは異なり、人間の肉付きである。

「たしかに人間の体だ! 万歳!」

 健二郎の覚醒に気付いた栗田がとことこと近寄ってきた。

「疑り深い男だのう。バレンタイン1号ならほれ、あそこで分解の途中じゃ」

 健二郎は先刻まで我が身であったバレンタイン1号が分解されていくのを見て、痛ましい……などとは思わなかった。ただ、その顔を見て、素直に「ブサイクだなあ」と思ったのみである。

「それにしても、考えたくもないですけど、頭を切り開いたんですよね。跡がどこにもありませんけど、こいつはいったいどういうことです」

「そんな跡なんか残るわけ無かろうが。わしらの技術は生体工学、神経工学、エネルギー工学、医学、薬学などなど全て完璧じゃあ」

「倫理はどうした、こら」

「ほっほっほっ」

 のんびりとした人の良さそうな笑い声とともに栗田が作業に戻ると、健二郎は恵美に向き直った。

「恵美さん。親は選べないとよく言いますけど、上司は選べるんですよ。ぜひご一考を」

「考えておくわ。さて、健二郎君はもう自由にしていいわよ。ああ、くれぐれも怪我には気をつけてね。バレンタイン1号のつもりでいると危険よ」

「了解。よし、じゃあまずは部屋でシャワーを浴びて来よう」

「それがいいわ。そうしなさい」

 恵美は健二郎の言う意味を額面のまま受け取った。しかし、健二郎の入浴というのは、身を清めることは当然ながら、鏡に向かってポーズの研究に努めることも含まれるのである。健二郎は自室の浴室に姿見を持ち込み、たっぷり1時間、1年半ぶりの我が身の美を堪能し、さらに美しく見栄えがするよう研鑽努力した。実のところ、もう2〜3時間は自身の肉体を眺めていたいところであったが、健二郎は作戦室に顔を出さなければならないのであった。健二郎は姿見に向かって囁いた。

「また、あとでね」


 健二郎が自室から作戦室にたどり着くまでにすれ違った、全ての人間が健二郎の容姿に目を奪われた。特に女性職員は一瞬の呆然の後、陶然としたものである。健二郎が作戦室に入室しようとしたとき、歩哨の兵士が健二郎に向かって誰何の声を上げた。

「誰だね君は。関係者以外立ち入り禁止だよ」

「あ、ああそうか。ふふふ、ぼくは健二郎ですよ。三枝健二郎です」

「えっ? 君が? う、うむ、確かに噂に違わぬ二枚目だけど、困ったな。それを証明してくれないと入れるわけにはいかないんだ」

 それもそのはずである。健二郎の肉体の顔を知っているのは、この研究所には栗田と恵美とそのスタッフの他は数人しかいないのである。健二郎の素顔が絶世の美男子であることは確かな話として知れ渡っていたが、健二郎の肉体は、地下の最重要区画にある研究室に保存されているので、歩哨の兵士も実物を見たことはないのだ。

 はたと困った健二郎に助け舟を出したのは、ちょうどその場にやって来た岡野である。

「何事かね? む、君は……三枝君か? そうだな?」

「ああ、岡野大尉! そうです! 三枝健二郎です」

 岡野は健二郎の素顔を知る数少ない人物の1人である。さらに、バレンタイン1号がオーバーホールされるのも承知しているので、この美青年が健二郎であると気付いたのであろう。

「ほお〜、なるほど。資料写真で見たことがあるが、本物ははるかに美男子だな。しかし、ちょっと筋肉が足りないな。筋トレをしたまえ。筋トレするともっといい男になるぞ」

「は、はあ。ありがとうございます。ところでですね…」

 健二郎が岡野に事情を説明したところ、岡野は歩哨の兵士に彼が健二郎であると証言してくれた。健二郎が岡野に続いて作戦室に入室するとどよめきが起こった。兵士の1人が驚愕の表情のまま岡野を見て声を絞り出した。

「岡野中隊長! その青年はまさか…?」

「そうだ。諸君、彼は三枝健二郎君だ。バレンタイン1号が今日からオーバーホールされるのはこの前説明した通りだが、その間、彼はこの姿でいることになるから、そのつもりでな」

「そういうわけで、今日から数日、この三枝健二郎をよろしくお願いします。ああ、体は違ってもハートはいつもの健二郎なのでお気遣いなく」

 数人しかいない貴重な女性陣が黄色い声を上げたのを男性陣も許容せざるを得なかった。それほどに健二郎の美貌は圧倒的である。

 健二郎の隣に小松川が興味津々の体でやって来た。見た目が中身を裏切るという点ではこの男も同類であろう。小松川の外見は融通というものを知らないお堅い官僚そのものであるのに、実のところ柔軟で人なつこい男である。

「これはこれは。少女漫画の世界から抜け出てきたようだね。う〜ん、もう少しだけやせれば、少女漫画の実写映画にも出られるよ。いや、むしろ三枝君が女装してヒロインになってもいいね。これなら」

「は、はあ。ありがとうございます」

 次に大真面目な顔をして近づいてきたのは田井中である。

「これは驚きました。噂には聞いていましたが。CGで描かれたかのようにきれいな顔ですね。ああっ、男性に向かってきれいといったのは初めてです。ああいや、女性にそんなこと言ったこともありませんけど……」

 生真面目すぎる田井中は、なかなか女性に気の利いた台詞も言えない性質なのであろう。しどろもどろになって弁解した。そんな田井中の尻を撫でてからかったのはもちろん郡司である。

「なんです? 田井中さん。サエちゃんの素顔を見て目覚めちゃったんですか? 無理もないですなあ! ふへへへ」

「いやいや、そんなことは……! あの、郡司さん、尻を撫でるのはやめてください」

 そういえば、郡司も研究室に出入りするので、健二郎の素顔を知っていた1人である。さらに言うなら、郡司は田井中より10歳以上も歳下である。


 簡単なミーティングが終了し、健二郎は再び自室に戻り研究を再開した。久しぶりの研究の割にはなかなかよいポーズを考案することができた健二郎は、ご満悦でその日を終えたのであった。

 その後数日間、健二郎は肉体で過ごすことができた。無論のこと、1日中自室で鏡に向かって自分の顔を眺めているわけにもいかないので、作戦会議に参加したり、訓練に勤しんだり、兵士たちと雑談を交わしたり、郡司と尻を撫で合ったり、日常をおろそかにはしなかった。

 健二郎が美貌の割に嫉視されないのは、生来の快活さもさることながら、美貌を鼻にかけたり、まして他人を貶めたりしないためであろう。健二郎は自分を鑑賞するのを好んだし、他人から鑑賞されるのも特に拒みはしなかったが、驕ることはなかったのである。

 そのような、実のところ大して代わり映えのしない数日をすごしたところで、バレンタイン1号のオーバーホールが完了したとの知らせが栗田からもたらされた。

「待たせたのう。まあ、とりたてて痛んだ箇所もなかったし、順調に終わったわい。それで、お前さんにはまたバレンタイン1号の体に戻ってもらうがいいかの?」

 健二郎は栗田を白眼視して皮肉っぽく応じた。

「おやおや、栗田のおっさんらしくもない。断りを入れてくるなんて」

「まあ、いまさら逃げられるはずもないしの。逃げるつもりもなかろう?」

「まあね。さて、またしばらくこの肉体から離れるとするか。おっとその前に顔の写真を撮っておこう」


 混濁した意識がはっきりしてくるにつれ、健二郎は今の状況を思い出してきていた。あの後、写真を60枚ほど撮ってから、地下の研究室で脳移植手術を受けたのだ。だから今の自分の体はバレンタイン1号のはずである。健二郎はゆっくりと身を起こした。

「目が覚めた?」

「恵美さんですか。なんだかずいぶん長く眠っていたような気がします」

「そう? 手術開始から2時間しか経ってないけど、そう感じてるのね」

 健二郎の傍らにはカプセルが鎮座している。中で眠っているのは無論、健二郎の肉体だ。

「あれ、恵美さん1人だけですか」

「ええ、みんな小休止で隣の部屋にいるわ。それにしても、もっとごねるかと思ったけど、割と素直に再移植の手術を受けたのね」

「ごねたところで卒業も就職も遠ざかるだけですしね。それにこの姿になることで世のため人のためになるのなら、それもまたよしでしょう。元に戻れるのは確かになったんですし」

「そう。あなたが元のあなたのまま、世のため人のためになれることがあればいいわね」

「そうですねえ。まあそれは追々考えますよ。ゾンビの首をはねながら。ここまで踏み込んだ以上、ゾンビを根絶しないと寝覚めが悪いですよ」

「なら、これからも頼むわね。健二郎君」

「ええ、頼まれますよ」

 そこに栗田とそのスタッフたちが小休止を終えて入室してきた。

「おう、目が覚めたか。しかし、我が研究の結晶ながらブッサイクな顔をしとるのう」

 健二郎は栗田の放言に何度目かの殺意を覚えながらも声を押し出した。

「そりゃ、おっさん自慢の技術とやらが大したものじゃないってことだろ。悔しかったらこの体に新兵器でも付けてみろ」

「ほほう、その気になったか。では何から付けてやろうかのう」

「嫌味とわかってるなら眉の一つぐらい動かせ。食えないおっさんだ」

 

 こうして健二郎は再びバレンタイン1号と一体となって、ゾンビ根絶という、いつ終わるとも知れない戦いに身を投じることになった。それが、本気で世のため人のためを思ってのことなのか、自己の功名心だとか名誉欲によるものなのかは健二郎自身にも明白ではない。おそらく両者とも本心であろう。複雑な心境を抱いたまま健二郎は次の作戦に臨むのである。

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