第38話 新宿作戦!

「なんだか想像してたのと大分違うな。サエちゃんよ」

「ぼくも同感だよ。こんな大事になるとはね」

 健二郎と郡司の2人は新宿の大交差点をそれぞれ東側と西側から観察しているところである。

 新宿大交差点は歩道も含めた道幅が約50メートルの街道が交差しており、単純に計算して交差点は2500平方メートルの広さになる。その中央には各辺5メートルほどの黒く巨大なキューブが設置されている。軍の輸送ヘリで運ばれてきたものだ。 

 そのキューブの四面からは、現在、大阪で行われている人気音楽ユニット”アップルトン”の煌びやかで若さに溢れたステージの映像と音声がリアルタイムで出力されているのである。人の声が失われて久しい新宿の街に大音量で轟いたのは、少女たちの歌声であった。

 このキューブには大型のスピーカーと大型ディスプレイは無論のこと、音響機器や電源、通信機材までまるごとパッケージングされており、この箱一つあれば、その場がパブリックビューイング会場になるという触れ込みだという。小松川が手配した機材であるが、彼のおかしなところは、わざわざ”アップルトン”とも交渉してしかるべき手続きを踏んで、この新宿大交差点パブリックビューイング会場を実現したことであろう。無論、観客はゾンビの大群である。3000体ほどもいるだろうか。満員御礼である。

「そりゃあ、音響機材が必要とは言ってたけどよお。まさか、コンサート会場を持ってくるとは思わなかったぜ」

「まあ、お客さんも入ってて結構だけどね。ところで、変わったゾンビはいるかい?」

「いや、見当たらねえな。でも、変種や融合種は思ったよりいるぜ」

「こちらも同じだね。まあ、そこは岡野大尉の杞憂だったかな?」

「そうだといいがな。さて、ゾンビの観察は軍人さんたちに任せて、俺たちはもう一つの仕事に取り掛かるとしようぜ」

「了解だ」

 健二郎と郡司はゾンビを生け捕りにかかった。2人とも手にはゾンビを拘束するための鎖を手に持っている。健二郎はキューブに向かって咆哮を上げているゾンビに背後から忍び寄った。ゾンビは歌声に注意を取られていて健二郎に気付く様子はない。健二郎は鎖をゾンビの口に噛ませて引き倒し、そのまま路地裏へ引きずり込んだ。騒がれると乱闘に発展してしまい収拾がつかなくなると思われたので隠密行動である。健二郎はゾンビの両手と両脚を鎖で縛り上げ、猿ぐつわをしてファストフード店の店内に放り込んだ。さらに続けて四体のゾンビを生け捕り、同様にファストフードの店内に放り込んだ。

「こちら健二郎。グンちゃん、首尾はどうだい?」

「こちら郡司。OKだ。選りすぐりの暴れん坊を5体捕まえたぜ」

「よし、それなら合流地点で落ち合おう。岡野大尉たちもそこにいるはずだ」

「おう、了解」

 健二郎は生け捕ったゾンビを放置された自動車に詰め込んで、5キロメートル西の合流地点をめざして車を押し始めた。

 ところが10分も経たないうちに郡司から着信があった。

「こちら郡司。サエちゃん、ちょっと手伝ってくれ。困ったことになった」

「襲われてるのかい?」

「いや違う。こうなってる」

 郡司は1枚の写真を送信してきた。その写真には地面を転げ回って暴れるゾンビが収められていた。

「ゾンビが暴れるなら車にでも積んでくればいいじゃないか」

「なるほど、そうも見えるな。でも違うんだ。とにかく来てくれ。GPS情報を送るから」

「ああ、了解」

 健二郎は車をその場に留め置いて、郡司の元へ走った。それほど遠くもない距離である。健二郎は3分で郡司の元に到着した。

 健二郎がそこで見たのは、七転八倒する5体のゾンビであった。拘束されているので四肢は動かせないが、体を激しく痙攣させるゾンビもいれば、頭をアスファルトに打ちつけるゾンビもいる。

「な、なんだこいつら。どうしたんだ」

「俺にもさっぱりわからん。大交差点では普通だったのに、ここに近づくにつれて様子がおかしくなって、今はこの有様だ」

「ということはこの辺りに何かあるのか」

 健二郎と郡司は周りを見渡したが、怪しいものは何も見えない。”アップルトン”の歌声はわずかに聞こえたが、少女の声にゾンビは誘引されるはずであるから、これは見当違いであろう。と言って、他には何も聞こえず、バレンタインのセンサーによると大気中の成分も特に異常はない。

「三枝君、郡司君、田井中です。興味深いことが起こっているようですね」

 郡司はゾンビがこの地点に到達した辺りでゾンビが突然苦しみ出したことを説明した。

「5体とも全てですか。すみませんが、もう少し検証させてください。ゾンビをもう20体ほどそこに連れて来てみてくれませんか」

「了解。少し待っててください」

 健二郎は郡司から予備の鎖を受け取って駆け出した。

 

 しばらくして郡司は低い地鳴りのような音を聞いた。

「あ〜あ、サエちゃんめ。失敗したな」

 郡司は念のため機関銃に弾丸を装填し、安全装置を解除して地鳴りの方に銃口を向けた。

「グンちゃん! すまん、失敗した! でも、変種も融合種も連れてきたぞ! サンプルは多い方がいいよね!」

 健二郎は300体ほどのゾンビを引き連れていた。捕獲の際に周りのゾンビに気付かれたのであろう。健二郎は仕方なくゾンビの群をツアーガイドの如く付かず離れず誘導してきたのだ。

「そりゃそうだけどよお。はあ、さて、どうなるかな」

 ゾンビの群は問題の地点に近くなると、明らかに不快感を示し始めた。金切り声を上げ、脚を踏み鳴らす。意味もなく暴れ出し、空のゴミバケツが蹴り飛ばされた。ゾンビたちは健二郎と郡司に異様な敵意と害意を叩き付けていたが、それ以上にこの地点に足を踏み入れたくないらしい。あきらめたように回れ右をして三々五々、問題の地点から離れていった。

「おっと、もうちょっと付き合ってほしいな」

 健二郎は差し当たり、3体のゾンビを引きずって問題の地点まで歩いた。するとどうであろうか、郡司が連行していた5体のゾンビ同様にのたうち回り始めた。必死に健二郎の手を振りほどこうともがき、この地点から逃走しようとしている。健二郎を攻撃するどころではないらしい。

 健二郎は続けて20体のゾンビを同様に引きずってきてみたが、どのゾンビも同様に悲鳴と思われる絶叫を上げて逃走しようとする。

 健二郎も郡司も尋常ではない昂りを感じた。

「グンちゃんよ。こいつは…」

「ああ。えらいことになったかもしれん」

 彼らは歴史の転換点に立っているのを自覚した。原因は不明であるが、この現象は対ゾンビ戦争の決定的武器になり得る。そう直感したのである。そう感じたのは健二郎たちだけではなかった。ゾンビ研究者の田井中は無論のこと、その様を見ていた恵美も岡野も小松川も同様の昂りを覚えていた。

「三枝君! 郡司君! できるだけ多くのその場のデータを収集してください!」

 田井中は柄にもなく絶叫した。

「観測班は直ちにこの場所へ向かえ! この地点のデータをなんでもいい! 集めるんだ!」

 岡野もいつになく興奮した様子で指示を飛ばした。

 健二郎と郡司はすぐさま、聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚、温度、湿度、放射線、磁気、電気、光など、あらゆるセンサーを起動した。バレンタインのコンピュータはかつてない負荷を強いられたが、手を抜くわけにはいかない。15分もすると軍の観測班が軍用自動車で到着し、観測を開始した。その間、健二郎が引っ張ってきたゾンビは這々の体で逃げて行ったが、郡司が捕獲したゾンビは拘束されていたので、その場に転がされていた。データのノイズ元になり得るが、この状況がいつまで続くか不明な以上、傍らに置いておくしかなかった。何よりも、この状況下でゾンビは活動停止にまで至るのかを見極める必要があった。

 しかし、ゾンビは苦しむばかりで活動停止する兆候は見せなかった。1時間に渡り健二郎たちはデータを収集したところで、一旦切り上げることにした。ただし、5体のゾンビをその地点の電柱に縛り付け、監視カメラを設置してゾンビの継続監視の体勢は整えておいた。

「あっ。ということはもう一回、ゾンビを捕まえて来なくちゃいけないじゃないか」

「そういやそうだな。仕方ない。もう一度捕まえに行こうぜ」

 健二郎と郡司は再び新宿大交差点パブリックビューイング会場に戻り、ゾンビを10体捕獲した。そのゾンビをトラックの荷台に放り投げて彼らは車を押し始めた。

 ”アップルトン”のライブは最高潮の盛り上がりを見せていた。健二郎は背後を振り返り、キューブの映像をしげしげと眺めた。

「盛り上がってるなあ。ライブ」

「いいことじゃねえか。辛気くさくなるよりはよ」

「そうだね。ぼくもゾンビ掃討が済んだら、一度彼女たちのライブに参加してみよう」

「おう、俺も行くぜ」

 健二郎と郡司は”アップルトン”の歌を口ずさみながら合流地点に向かった。


 新宿作戦は思いもよらぬ展開を見せた。当初の目的はゾンビの凶暴化の確認及び凶暴化ゾンビの捕獲と新種ゾンビの捜索であったが、土壇場で今後の対ゾンビ戦争の趨勢にも影響を及ぼしかねない現象に遭遇してしまったのである。いつ終わるとも知れなかった戦いに変化が訪れようとしていた。

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