第35話 記憶と記録を掘り返せ!

 静岡県いいのや市の国立生体工学研究所の花壇では、ハイビスカスの花が必要以上に夏を演出していた。印象の割には高温に弱い花だと言うが、一体、誰が手入れをしているのであろうか。健二郎はそんなことを考えながら今日も研究所の門をくぐった。

 超強化アーティフィシャルボディ・バレンタインの眼は小型の超高性能カメラでもある。そして、そのカメラが見た光景は全て記録されるので、健二郎や郡司が見た光景は後日になっても映像として閲覧が可能なのである。そのため、その映像はこれまでにもゾンビの生態研究の資料とされたり、ゾンビ掃討作戦立案のための材料にもなっていた。とはいえ、そのような映像は莫大な情報量であるため、ほとんどはバレンタイン号から研究所のサーバーに移され、そこで保管されている。無論のこと、記憶はあくまで記憶として健二郎や郡司の脳に残っている。彼らはいわば記録するということと記憶するということが1つの身体で可能なのだ。


 健二郎は栗田の研究室の寝台に寝転がって目を閉じていた。目を閉じていてさえブサイクであるが、それはともかく、健二郎は川崎で感じた既視感を確認するために、自分の視界映像を漁っている最中である。

 健二郎や郡司の場合、わざわざ端末の操作をしなくとも直接身体と研究所のネットワークを接続し、サーバーにアクセスできる。いまも健二郎の手首からは一本のケーブルが伸びており、そのケーブルは研究室のネットワーク機器に繋がっていた。

 映像そのものは、バレンタイン1号のコンピュータが健二郎の脳に投影している。つまり、健二郎は眼を閉じているが、彼の脳にはかつて見た光景がそのまま見えているのである。

 しかしながら、これまでの戦闘記録だけでも数百時間に及ぶ映像である。手の空いたものに手伝いを頼もうかとも考えたがそうもいかなかった。なにせ、健二郎自身忘れかけているゾンビの挙動を映像から読み取らねばならないのだ。仕方なく健二郎は映像を倍速で閲覧しているのだが、それでもこの作業を始めてから4日が経っていた。

「これでもないなあ。次」

 健二郎は次の視界映像記録を脳裏に再生させた。


 映像の健二郎は、ゾンビを斬り伏せながら街を駆け抜け、大きな建物に到着した。眼を閉じている健二郎はこの建物を記憶していた。

「これは確か調布のデータセンターだな。あのとき初めて変種と戦ったんだったな」

 映像の健二郎は建物に侵入して、司令部に通信を入れていた。

「むむ、やっぱりいたかあ。こちら健二郎。エントランスにゾンビを確認した。掃討にかかる」 

 映像の健二郎はゾンビの群に向かって駆けた。駆けながら薙刀を振りかぶり、首をはね飛ばそうとして失敗した。刃ではなく柄で殴打する形になったのだ。それでも、バレンタイン1号のパワーで殴られて無事で済むはずもなく、殴られたゾンビは壁に叩き付けられていた。

「んん? 間合いを読み間違えたか?」

 映像の健二郎が薙刀を真一文字に振り抜くと、今度はゾンビ七体分の首が飛んだ。またも健二郎の呟きが聞こえた。

「変だな。手応えが重いぞ」

 眼を閉じている健二郎に記憶がよみがえった。

「ここだ! このときだ! 間違いない。たしかこの後、壊れた回転扉があって…サーバールームのゾンビに食いつかれたんだ」

 眼を閉じた健二郎は映像を早送りして、記憶にある場面を脳に投影させた。

 健二郎の首筋に二体のゾンビが食らいついた場面である。

 眼を閉じた健二郎は映像を何度か見返したうえで確信した。


 健二郎は眼を開けて、手首のケーブルを外した。

「ありましたよ、恵美さん。調布のデータセンターのときです。あのときもぼくは川崎と同じように、強力なゾンビと戦っていたんです」

「そう、お疲れさま。なら、その時のバレンタイン1号のデータを出してみるわね」

 恵美はしなやかな指でキーボードを操作してディスプレイに情報を呼び出した。恵美はその記録を丁寧に見渡してひとつ息をつく。

「ふうん。変種に殴られた後は少々異常があるけど、その前は全く異常なしね。うん、裏付けが取れたわね」

 健二郎はこのときの戸惑いを思い出した。ゾンビに首筋に食いつかれるという危機の原因がバレンタイン1号にあるのか、自分にあるのか、ゾンビにあるのか判断がつかなかったのだ。

「でも、ぼくに原因はないですかね。例えばぼくの心が怯えていたとか、そういうネガティブな感情に襲われていたとか」

「それもないと思うわ。この時の健二郎君の脳は、脳波も脳内物質の分泌も極めて常識的よ」

「えっ、そんなものの記録もあるんですか」

「あるわよ」

「なんだか、丸裸にされた気分だ。恥ずかしい……」

「やめなさい、気持ち悪い。それにしても、あのとき変種なんてものが現れなければね。このことを田井中さんに調査してもらっていたでしょうに」

 恵美の言う通りであろう。あのときに変種という新たなゾンビが現れたおかげで、通常のゾンビが活気づいているらしいということなど、すっかり忘却の地平に追いやられてしまったのだ。

「さて、作戦室に行きましょうか。田井中さんや岡野大尉に相談してみましょう」

「は〜い」

 健二郎は寝台から起き上がった。そして、部屋の片隅に鎮座しているカプセルを覗き込んだ。そこには麗しき我が肉体が横たわっている。

「また来るよ。ぼく」

 健二郎は名残惜しそうに研究室を後にした。

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