第34話 射出成形工場の戦い

 シャッターを突き破って健二郎が見たものは郡司の尻であった。郡司はコンクリートの床に顔から突っ込んだらしい。ヘルメットのバイザーにひびが入っている。

「ひでえぞ、サエちゃん。だがまあ、助かった」

 健二郎たちが飛び込んだ建物の床には埃をかぶった金属の塊が何十個と並べられていた。小さなものでも1立方メートルほど、重さは2トンはありそうである。そばにはアパートの一室ほどもありそうな大きな機械が据え付けてある。下げられた札には”大型射出成形機 1号機”と表記してあった。射出成形機というのは、熱で溶かした樹脂を金型に注入して全く同じ成形品を大量に生産する機械である。どうやら、この工場は樹脂製品の製造工場であるらしい。埃をかぶっている金属の塊は金型であろう。天井にはこれらの金型を運搬するためと思われるクレーンが架けてあった。

 ゾンビたちがシャッターを破壊して乱入して来た。郡司はすぐさま機械の上に飛び乗り銃口をゾンビに向け、健二郎は大矛を構えた。この建屋に飛び込んだのは正解だったと健二郎は思った。健二郎がいるのは金型と機械に挟まれた細い通路である。包囲される心配がないのだ。

「ファイヤー!」

 郡司は乱入してくるゾンビに機械の上から猛射を浴びせた。ゾンビの頭部が弾け飛び、首を失った胴が山を為していく。その山を崩してさらに次の群が突入してくる。変種の一体が機械に取り付き、郡司の足首を握りしめた。危うく滑り落ちそうになった郡司はなんとか踏みとどまった。郡司が拳銃で変種の頭部に狙いを定め、ホローポイント弾が変種の脳を粉砕しているわずかな間に、四つん這いの融合種が健二郎に襲いかかった。

 健二郎は大矛を大上段から振り下ろし、融合種の頭部を叩き潰した。しかし、融合種は勢いをいささかも落とさずに健二郎に抱きつき、健二郎をめった打ちにする。健二郎は既にもう一つの脳が左脇腹に存在しているのを確認しいていた。健二郎は手刀を融合種の脇腹に突き入れ、腐肉に埋もれた脳を握りつぶし、引きずり出して融合種を活動停止させた。

 

 ゾンビは途切れること無くシャッターの穴から侵入してくる。ゾンビがゾンビを呼び寄せているかのようである。健二郎と郡司は示し合わせてじりじりと建屋の奥へと後退していった。多数の金型と機械の間を縫うように後退することで、ゾンビが一塊にならないように分断しているのだ。あとは各個に撃破していくだけである。

 しかし、さすがにこの金型と機械の迷路で大矛を振るうのは無理があった。健二郎が血と肉片のこびりついた大矛を捨て、腰の刀を抜こうとした、そのタイミングでゾンビが1体組み付いてきた。さらに4体、5体と続けてゾンビが組み付いてくる。郡司は入り口から乱入してくるゾンビに射撃を続けていたが、横目で健二郎を見て困惑した。

「? お、おい、どうしたサエちゃん。それぐらいはね飛ばせるだろ。援護が必要か?」

 健二郎は押さえつけられ、動転していたのだ。なぜ、このゾンビはこんなにも強力なパワーを発揮するのであろうかと。

「サエちゃん!」

「だ、大丈夫!」

 健二郎は左手でゾンビを金型に叩き付け、引きはがし、投げ飛ばした。刀を左手に持ち替え、右手で腰にしがみつくゾンビの頭を握り潰し、首を捩じ切って捨てた。

「ふー。なあ、グンちゃんよ。さっき言いかけたんだけど、今日のゾンビはやけに元気な気がしないか? スピードもパワーもいつもより少しだけど上回ってる気がするんだ」

「そうか? 俺は遠くから射撃してるだけだから、正直よくわからんな。だが、さっきの様子からすると事実なんだろう。ゾンビとくんずほぐれつ密着するサエちゃんだからこそわかるのかもしれん」

「好きでくんずほぐれつしてるんじゃないぞ。まあ、ぼくの気のせいならいいんだけど、さっきからどうも間合いを詰められがちな気がするんだ。おかげで手応えが重いよ」

 そのとき、背後のシャッターから激しい金属音が轟いた。ゾンビがシャッターを破ろうとしているのだ。いや、既にシャッターは破られゾンビが乱入したところだった。有利と思われた建屋内は一転して不利な戦場になった。

「まずいな、グンちゃん。袋の小豆か鼠だ。一度外に出て立て直そう」

「そうだな。どうやって外に出ようか」

「あれを辿って行こう」

 健二郎が示したのは。金型を吊り上げるクレーンである。健二郎と郡司はクレーンのワイヤーを上り、梁を伝い、採光用の窓を割って建物の外へ脱出した。

「奴らがまだ建屋の中でまごまごしてる今がチャンスだ。グンちゃん、上から援護射撃を頼む。ぼくは斬り込む」

「了解。まかせとけい」

「行くぞ! 突撃!」

 ゾンビたちはまだ建屋の中に注意を取られている。健二郎はゾンビに気取られることなく間合いに飛び込み、強烈な斬撃をゾンビの群に叩き込んだ。血と肉片と骨片が建屋の外壁に飛沫となって飛び散り、はねられたゾンビの首は血を撒き散らしながら吹き飛んで行った。ゾンビの視線が一斉に健二郎に注がれる。血肉に飢えた歩く屍の視線はそれだけで気の弱い人間を失神せしめたであろう。

「ファイヤー!」

 郡司は隣接する建屋の屋根から援護射撃を加えた。健二郎の周囲で無数の頭骨と脳漿が弾け飛び、ゾンビの群はたちまちのうちに撃ち減らされていく。

「よし、グンちゃん。このまま外のゾンビを頼む。ぼくは建屋の中を一掃する」

「おうよ!」

 健二郎は建屋に再突入した。中ではゾンビの群が金型の迷路にはまり込んで、前にも後ろにも進めなくなっていた。健二郎はその機を逃がさず、ゾンビに斬り掛かった。ゾンビの首が無数に飛んで、埃をかぶった機械も金型も今度はゾンビの汚濁した体液をかぶることになった。外では郡司がゾンビに銃撃を加えていた。恐るべき精度の射撃でゾンビの脳が次々に破砕され、アスファルトには頭部を失ったゾンビの屍体が折り重なっていった。健二郎と郡司の前に立つ数千の歩く屍は、ようやく行く先もない長い旅路を終えることになろう。


 4時間に渡る戦闘の後、健二郎と郡司は担当区画のゾンビを掃討し終え、川崎の前線基地に帰投した。彼らが基地に入ると同時に、軍のトラックや重機が列をなして出発していった。健二郎と郡司が確保した地域に長城を築く工兵部隊であろう。

 健二郎と郡司はチョコレート・ワンまでとぼとぼと帰還した。やはりこうした大規模な任務の後は疲労するものである。チョコレート・ワンでは例によって恵美とそのスタッフが洗浄機のノズルを向けて待ち構えていた。

「2人ともお帰り。ほら、手を挙げて」

「は〜い」

「へい」

 2人がのそのそと手を上げる前に恵美の発射命令が下された。高圧で噴き出す洗浄液で全身を叩かれ、健二郎と郡司はひらひらと舞った。たっぷり1分間全身を洗浄され、健二郎と郡司はいささか活気を取り戻した。サイボーグにとってはシャワーのようなものなのであろう。

「さて、改めて2人ともおつかれさま。何か変わったことは?」

「う〜ん……」

「どうしたの、健二郎君」

「ああ、あの話か。サエちゃん」

「うん。いや、どうもいつもよりゾンビの活動が活発と言うか攻撃的と言うか……。スピードもパワーもいつもより増したように思えたんです。ただ、グンちゃんは全くそんな風に思わなかったそうで、ぼくの気のせいかなとも思うんですが……」

「バレンタイン1号には何も異常がないようだけどね。健二郎君、そう感じたのは初めてのこと?」

「ええと、いえ、確か以前にも1度そんな風に感じたことがあった気がします。いつ、どこでだったか全く覚えてませんけど」

「そう、田井中さんの研究所に調査を依頼するにしても少し根拠が弱いわね。まずは田井中さんや岡野大尉と相談しましょう。それにしても材料は必要ね。私はバレンタイン1号に異常がなかったか調査するから、健二郎君はその前にも感じたというのが、いつ、どこでだったのか確認しておいて」

「わかりました」

 こうして、川崎の工業地帯はまた少し人類の活動区域を取り戻した。しかし、今日の戦場となった工場が操業再開できるほど安全地帯を確保するにはまだ当分かかるだろう。その当分がどれほどの時間になるのか健二郎にも郡司にも予想もつかなかった。

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