第33話 わずかな違和感

 健二郎と郡司は今日もゾンビ掃討のために出動していた。今日の掃討区域は神奈川県川崎市臨海区の一角である。川崎市臨海区は環東京湾工業地帯の中核のひとつで、明治時代の後期から重工業が発達してきた地域である。自動車、精密機械、印刷、製鉄など、従業員数1桁の零細工場から従業員数3000人を超す大工場までが軒を連ねていた。

 ゾンビパニック発生直後、一度は放棄された地域であるが、その計り知れない重要性から、奪還の第1目標に掲げられてきた。3年前に軍が川崎港の確保に成功して以来、港周辺の工業地帯が徐々に人の手に戻り、操業再開にまでこぎ着けた工場もある。しかし、ゾンビという脅威は土嚢で築造された長城、即ち封鎖線のすぐ向こうに厳然と存在したままであり、これを排除することは急務であった。


 健二郎と郡司は川崎港の前線基地を出発して、作戦区域に到着するところであった。数年に渡り人の手の入っていない道路には、車道と言わず歩道と言わず、シロバナツユクサやザクロソウが咲き乱れ、我が世の春ならぬ我が世の夏を謳歌していた。

 今日の彼らの任務は、封鎖線を越えてゾンビ出没地域に入り、担当区画のゾンビを掃討するという実に単純なものである。

「なんて、基地司令のおっさんは簡単に言ってくれたが、サエちゃんよ。広いじゃねえか」

「ああ、少なくともぼく1人だと日が暮れるね」

 健二郎と郡司の前には大きな工場の広大な敷地が広がっていた。煙を吐き出さない煙突がそびえ立ち、巨大な平屋建ての建屋が軒を連ねていた。その建屋同士は何本もの鉄骨で繋がれ、その鉄骨にはツタのように数十本に及ぶパイプが絡まっている。そこかしこにフォークリフトやトラックが放置されており、ゾンビパニック発生当時の混乱ぶりを伺わせた。

 郡司が嘆息まじりに呟いた。

「しかも、多いじゃねえかよ」

「ああ、少なくともぼく1人だと日が暮れるね」

 健二郎と郡司の前にはゾンビの大群が遊弋している。いつぞやのゴルフ場のように万は数えないであろうが、それでも数千はいるであろう。工場地域なので、上空からの援護射撃はあてにできない。彼ら2人でやるほかないのだ。

「まあ、今までと同じさ。さあて、ではかかるとしようか。グンちゃんよ」

「そうだな。ぼやいても仕方ない」

 健二郎は大矛を構えた。

「行くぞ! とつげき!」

「掩護射撃開始! ファイヤー!」

 重厚だがリズミカルな発砲音とともに撃ち出される郡司の機関銃弾が、やはりリズミカルにゾンビの頭部を弾けさせる。土気色の胴体に咲く血と脳漿の花が30輪を数えたところで、健二郎がゾンビの大群のただ中に飛び込んで血煙の嵐を現出させた。大矛を振るい、突き、健二郎はゾンビの首をはね飛ばしていく。ゾンビは闖入者に気付き、揃って異様な目を健二郎たちに向けた。

 新たな一群が建物の陰から現れた。健二郎は大矛を振りかざして突入していった。間合いを計り、一気にゾンビの首をはねようとしたがそうはいかなかった。刃で斬るつもりが柄で殴打してしまったのだ。それでも、ゾンビの頭部は砕かれ、ゾンビは活動を停止した。

「あっ、失敗した。んん? 前にもこんなことがあったような」

 健二郎は奇妙な既視感を感じた、しかし、健二郎には記憶をたどる余裕は与えられなかった。すぐさま後続のゾンビが押し寄せてくるのだ。強力な突きを繰り出して首を圧し切り、石突きで頭蓋骨を叩き壊す。健二郎はこれまでの戦いと同様に、歩く屍を歩かずに済むようにすべく武器を振るった。

 ゾンビは激しい咆哮を上げて健二郎に襲いかかっていくが、その様は裁断機に吸い込まれる紙のようでしかなかった。ただ、どんなに強力で優れた裁断機にも許容量というものがあろう。健二郎はそのことに気付いた。健二郎は圧されていたのである。じりじりと、1センチ単位であるが確かに圧されていた。

 この程度のゾンビの群と戦ったことはこれまでにも幾度となくあったし、それを危機と感じたことはない。なのになぜ今日は圧されているのだろう。バレンタイン1号の故障であろうか? いや、ゾンビがいつもと違うのではないか? 健二郎には、いつもよりわずかではあるがゾンビの動作が機敏で、性質も攻撃的であるように感じられた。

「グンちゃんよ! こいつら、いつもより元気な気がしないか?」

 健二郎が振り返ると、ゾンビの群が郡司に取り付いたところであった。

「グンちゃん!」

「大丈夫だ!」

 郡司は左手でゾンビの頭を握りつぶし、拳で破砕し、脚で踏み砕き、取り付いたゾンビを振り払った。さらに左手で拳銃をホルスターから抜き放つと、極めて正確な射撃で近寄るゾンビの群を撃ち倒した。

「サエちゃんよ、この場所は分が悪い。やり方を変えよう」

「そうだな、グンちゃんは建物の上から援護してくれ。まさか屋根の上までゾンビは来ないだろうけど、警戒はしておいて」

「おう、了解」

 簡単な作戦会議を終えて、郡司は建物の上へ跳んで射撃を開始した。これで健二郎に群がるゾンビの数は相当数減るはずである。健二郎は大矛にこびりついたゾンビの血と肉片を拭い取った。

「よし! 改めて行くぞ! 突撃!」

 郡司の銃弾に頭蓋骨と脳を粉微塵に破壊されたゾンビの屍体を踏み越えて健二郎に迫るゾンビは、巨大な超合金製の刃に首をはねられた。銃撃の豪雨と斬撃の暴風をくぐり抜けるゾンビは1体たりともいない。健二郎たちを食らおうとするゾンビは全て活動停止させられ、数年に渡る放浪を終えていった。ゾンビの屍体は山となり血は河となった。

「サエちゃん! 融合種だ! 左!」

「でえい!」

 健二郎はフォークリフトの陰から現れた融合種の口に大矛の石突きを突っ込み、そのまま融合種を持ち上げ、コンクリートの床に叩き付けた。すぐさま郡司が頭を含めた3カ所の脳を狙撃し融合種を活動停止させた。

「サエちゃん! 変種…と融合種だ! 合わせて17体!」

「そんなに!?」と健二郎が建物の上を振り仰ぐと、郡司が手足をばたつかせて落ちて来た。

「すまん。18体だった。屋根を突き破って変種が飛び出してくるとは思わなかった」

「くそ、なんてことだ。囲まれたぞ」

 ゾンビ同士が連携するということはあり得ない。だからこれは偶然なのであるが、ともかく18体の変種と融合種、そして多数のゾンビは前後左右と上方から一斉に健二郎と郡司めがけて飛び掛かった。

「グンちゃん、あっちだ!」

 健二郎は郡司の背嚢を掴んで建屋のシャッターめがけて郡司を放り投げると、自分もそれに続いて跳んだ。

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