第31話 バレンタイン計画
いいのや市の国立生体工学研究所の裏庭に立つ一本の松の木にはノウゼンカズラが巻き付いている。夏の盛りである。樹上には南国を思わせるオレンジ色の大輪がいくつも咲いていた。
その花が見える位置にある談話室では、健二郎と郡司、2人のサイボーグがとりとめのない会話を交わしていた。2人だけなので少々秘密めいた会話も可能である。
「ところで、サエちゃんよ」
「なんだい、グンちゃんよ」
郡司は心無しか低声になった。
「バレンタイン計画て、結局なんなんだ?」
漠然とした郡司の質問であったので健二郎は漠然と答えた。
「栗田のおっさんが立てた、サイボーグでゾンビを根絶するって計画らしいけど、詳しくは知らないなあ。ただ、ゾンビ根絶が目的のように吹聴してるけど、だれもそんなこと信じちゃいないよ。どちらかと言うとサイボーグ開発が主眼だね。ゾンビ掃討は予算を勝ち取るための方便だろうって専らの噂さ」
「まあ、ゾンビ対策って銘打ちゃ、予算は取りやすかろうな」
「そういうこと。政府の偉い人ともなんだかひそひそ話をしていたよ。なんの話しをしてたのか知らないけど」
健二郎は初めてこの研究所に来たときに会った、佐藤だか伊藤だかと名乗った政府高官たちの顔を思い出した。
「あのじいさん、人が良さそうに見えて策士だな」
「策士なら赤の他人を拉致改造なんて暴挙にでないよ。科学者としてはものすごく優秀らしいけど、研究のために手段も目的も選ばない冥府魔道の変人さ」
郡司としては国家規模の陰謀とでもいうような裏があるのではないかと奇妙な期待をしたのであるが、どうもそのように大それたものでもないらしい。あくまで一科学者が考案した計画なのだろう。
「それでそのサイボーグ開発計画にバレンタインなんて甘々しい名前がついてるのはなぜなんだ?」
「バレンタインの由来?」
「そう。バレンタイン1号とか2号なんていうと、かっこいい戦闘機とかが出てきそうじゃないか。実際は筋肉マッチョが出てくるだけだけどな」
「うーん、考えたこともなかったな」
「よし、そんなら訊きにいこうぜ」
「そうだな、暇だし」
健二郎と郡司は連れ立って所長室を訪れた。ノックもせずに押し入り、応接用ソファにぬけぬけと腰を下ろした健二郎が栗田を問いつめる。
「栗田のおっさん。バレンタイン計画の全貌を話してもらおうか」
栗田は突然の来訪者をとがめる気も無いようなら驚いた様子もない。のほほんとしたものである。
「また何を薮から棒に」
健二郎よりは栗田に礼を忘れない郡司が代わりに尋ねた。
「栗田のじいさん、バレンタイン計画の目的ってなんなんですか?」
栗田はわざとらしく背筋を伸ばし口元を引き締めた。
「サイボーグでゾンビを根絶し、もって国家と国民を安んずることであるぞ」
栗田の誇らしい回答も健二郎にとっては白々しいだけである。「嘘つくな」と一刀両断してしまった。
栗田は表情を緩めて好々爺の表情になった。
「嘘は言っておらんぞ」
「なるほど、嘘は言ってないか。ならもう一つの目的は何だ?」
「サイボーグ技術の確立であるぞい」
「栗田のじいさん、サイボーグ開発とゾンビ掃討とどっちが主目的なんだい?」
「それは無論のこと、人々の脅威たるゾンビを取り除くことが主目的であるぞ」
健二郎はブサイクな顔を引きつらせた。
「ほほう、その大義のためにぼくを拉致改造したと」
栗田は顔をうつむかせて押し黙った。しばらくして押し殺すような声が栗田の口から絞り出された。
「仕方なかろう。バレンタイン1号に適合する脳波の持ち主がお前さんしか見つからなかったのだ。致し方なかったのだよ。全ては人類のためなのだ!」
「わざとらしく苦渋に満ちた顔しなくていいぞ。おっさん」
「なんじゃい、少しは慰めになるかと思ったのに」
あっさりと栗田は自分の演技が見破られたのを認めた。
「おっさんはサイボーグを開発したかっただけだろ」
「だけということはないぞ。ゾンビを打ち払いたいというのもまあ、無きにしも非ずだの」
郡司は天を仰いで嘆息した。
「ああ、やっぱりサイボーグ開発がしたかったんですね」
「なんでそんなにサイボーグの開発がしたいんだ?」
「そりゃあ、子供の頃に観たテレビアニメのサイボーグがかっこ良かったからだて。お前さんたちも小さい頃に観たテレビ番組に少なからず影響を受けておろう? わしが生体工学を志したのもそれが原点での。そうしたらゾンビパニックなどという未曾有の危機が発生しおった。そこでサイボーグに世界を救ってもらおうと考えたのだよ」
健二郎と郡司は言葉も無かった。幼少期の夢を叶えたといえば聞こえはいいが、どさくさにまぎれただけではないか。しかも他人を巻き添えにして。
最後の質問をしたのは呆然から先に立ち直った郡司である。
「あ、ええと、なんでバレンタインていう名前になったんです?」
「計画書ができたのがその年のバレンタインデーだったからというだけさね。なにかかっこいい名前をと思っとったんだが、ちょうどよかったわい」
「それだけですか」
「それだけよ。世の中、こんな単純な話の方が多いもんだて。ほっほっほっ」
健二郎と郡司は脱力して所長室を後にした。
「今の話、どうだったよ。サエちゃんよ」
廊下をとぼとぼ歩きながら郡司は先ほどの話を総括しようとした。
「まあ、倫理どこ吹く風のデタラメな話だったけど、あの食えないおっさんから一応、本音らしき言葉が引き出せたのは収穫だな」
「ほう?」
「正直、適当にはぐらかされて終わりだと思ってたんだけどな。珍しいこともあるもんだ」
「さすがに、当のサイボーグ2人が所長室にまで押し掛けたのが効いたんじゃないのか」
「かもね。でもあのおっさん、ぼくらを自分の趣味に巻き込んだとほぼ認めておきながら、ついに詫びの一言も無かったな。やっぱり食えないおっさんだ」
郡司は快活に笑って、健二郎の尻を揉んだ。
「まあ、いいじゃねえか。それが縁でこうしてサエちゃんとも会えたんだしよう」
「それはそうだけど、せめてこの顔はなんとかしてほしかったな」
健二郎は郡司の尻を揉み返した。
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