第29話 郡司の初めて(その1)

 太陽がその恩恵を過剰に供給してくれる季節である。いいのや市の小学校や幼稚園の庭では、それらを植えた本人たちよりもはるかに高く成長したヒマワリが太陽に負けず劣らぬ存在感を示していた。

 国立生体工学研究所のヘリポートでは、3機のヘリが出動準備中であった。多用途ヘリが2機と輸送ヘリが1機である。多用途ヘリには今日も岡野によってコードネームが付けられていた。クマボン1、2である。

 クマボンとは九州某県のマスコットキャラクターという話であるが、寂しいことに知っていた者は誰もいなかった。岡野は内心で肩を落としたものである。

 輸送ヘリはバレンタイン号の輸送及びサポートのために改造された特別仕様機で、チョコレート・ワンと名付けられている。

 健二郎はチョコレート・ワンの前で出動前の装備チェックをしている郡司を見かけた。

「なかなか大荷物だな。グンちゃんよ」

「おう、サエちゃんか。まあな。機関銃だけでもでかい荷物な上に、弾薬3000発と替え銃身5本を背負って、刀を腰に差すからな。サイボーグならではだよ」

「刀なんか長くて邪魔になるだろう。短剣かナイフでいいんじゃないのか?」

「なに言ってるんだ。武士たるもの刀を持たずしてどうする」

「グンちゃんは武士の家系なのか」

「いや、茨城で細々と農家をやってたらしい」

「農民じゃないか」

「いやしかし、日本男児たるもの心意気は武士でありたいだろう。武士とは民とお国を守る者! まさに今の俺!」

「はあ」

「自慢じゃないが俺は小学2年生の頃、筆と墨を渡されて”武士道”と書いた男だぞ」

「う〜ん、よくわからないけど心意気は伝わったよ」

「ならいいじゃねえか。ところでサエちゃんは初めての毛筆でなんて書いたか覚えてるか?」

「初めての毛筆で? ぼくは自画像を描いたよ」

「そ、そうか。さすがだぜ、サエちゃん」

「それより、グンちゃん。いよいよ初陣だな」

「おうよ。腕が鳴るぜ。尻を引き締めてかからないとな!」

「なんでいちいち尻と絡めたがるんだろうな。この人」


 3機のヘリは離陸していった。目的地はさいたま市内のとあるゴルフ場である。軍の偵察によって、このゴルフ場に1万を越えるゾンビが溜まっているということが明らかになったのである。ゾンビが吹き溜まった理由は明確ではないが、田井中によると、風による影響が意外と無視できないという。この辺りの地形は風が吹き込む形になっており、文字通り風に吹かれるまま、各地からゾンビが流されてきたのであろうということである。

 ゴルフ場のような啓開地であれば、軍の投入も可能なのであるが、さすがに万を越える大群となると作戦規模も相応に大きくならざるを得なくなる。封鎖線からも遠く離れた場所であるし、緊急性はないのであるが、さりとて、放置しておくとそれだけゾンビが増え、対応に手間がかかるようになるであろうという理由で、軍はバレンタイン1号と2号に出動を要請したのである。栗田や恵美も、この条件であれば、バレンタイン2号の射撃データを取得するのに適していると判断し、要請を受諾した。


 チョコレート・ワンの機内では健二郎と郡司が戦闘モードに移行したところで、これから最終チェックである。健二郎と郡司が身体の各所にケーブルを挿されたままチェックが終わるのを待っていると、ほどなくして各スタッフから恵美に「異常なし」の報告が上げられた。

「2人とも異常無しよ。健二郎君、気分はどう?」

「顔以外は問題無しです」

「いつも通りね。和仁君はどう?」

「問題ないっす」

「よろしい。装備のチェックは済んでるわね?」

 健二郎は数日前に届けられたばかりの大矛を手に取った。長い柄の先に幅広の短剣が取り付けられたような武器である。穂先に重心が偏っているように見えるが、その辺りの調整は済ませてある。健二郎はさらに刀を2本、腰にマウントした。

 郡司は機関銃を手に取った。銃自体は軍で使用されているものと同じであるが、特殊なセンサーが取り付けられており、そのセンサーから発信されるデータをバレンタイン2号のコンピュータが処理して、驚異的な命中率を実現するのである。弾丸はいちいち弾倉交換などで射撃を中断しないよう、背嚢から直接給弾ベルトが銃に接続されている。郡司は交換用銃身を背嚢にくくりつけ、さらに刀を腰のベルトに差した。

「グンちゃんに比べたらぼくは楽だなあ。武器を持つだけでいいものな」

「そうね。でも健二郎君も飛び道具が使えたらって思うことはあったでしょう」

「そりゃありますよ。いちいち接近しないと攻撃もできないんですからね」

「これからはその役目は俺に任せな。サエちゃん!」

「ああ! 頼りにしてるよ!」

「仲いいわねえ。あなたたち」

 恵美がお調子者同士の友情パワーに呆れていると、機内に機長の声が響いた。

「間もなく降下地点!」


 健二郎が開いたハッチから下を覗くと、そこはゾンビパラダイスであった。かつては美しく手入れされていたであろう、フェアウェイもグリーンもゾンビの大群に踏み荒らされていた。ゴルフ場の面影などどこにもなく、もはや蠢く腐肉の沼であった。

「いやあ、そ、壮観じゃねえか」

 初陣の郡司はさすがに緊張したようである。軽口がやや強ばっていた。

「大丈夫だよ、これぐらいなら。飛び降りられる」

「そうじゃねえよ」

「ん? まあいいや。それじゃ行くぞ! アローハー!」

 健二郎が威勢よく飛び降りて行ったのを尻目に、郡司は隣の兵士に健二郎のかけ声について訊いていた。

「アロハってなんすか? 降下のかけ声って言やあ、ジェロニモとかレンジャーじゃないんすか?」

「そうなんですけどね。あの人はいつもああなんですよ」

「へえ、じゃあまあ俺も続くか。行くぜ! アローハー!」

 ヘリのローターが起こす強風で、健二郎と郡司の着地地点のゾンビは吹き散らかされていたが、彼ら2人の着地を確認したチョコレート・ワンが後方へ離脱して行き、風が収まると同時にゾンビの大群は健二郎と郡司を目指して歩き出した。久しぶりの獲物なのであろう。心無しか目の色を変えているように見える。

「よし、グンちゃん。頼むよ」

 郡司は機関銃を構えて狙いを定めた。視界の照準はゾンビたちの頭部を正確に追っている。

「おう、任せとけ。行くぞ! ファイヤー!」

 しかし、引き金は全く動かない。無論のこと弾丸も発射されることは無かった。郡司はすぐに原因に気付いた。

「あっ、いけね。安全装置の解除忘れてた!」

「グンちゃん、落ち着いて」

 健二郎はそう言って、間近に迫るゾンビの首を大矛で貫いた。頸椎が切断され、ゾンビは力を失い首から下だけが芝生に倒れ臥す。首は穂先に乗ったままである。健二郎はそのまま大矛を左に薙いで、ゾンビ4体の首を一振りではねた。

「よし! 安全装置解除! ファイヤー!」

 郡司のかけ声とともに轟いたのは、空虚な金属音であった。発砲音も轟かなければ、ゾンビの頭部が爆ぜる音も轟かなかった。

「あっ、いけね。弾丸装填するの忘れてた!」

「グンちゃん、落ち着いて!」

 郡司に背中を預けるつもりだった健二郎は慌てた。そうこうしている間に郡司の正面にもゾンビが迫っているのだ。健二郎は郡司の前に出て、迫るゾンビの群を打ち払った。健二郎はひたすら、突いて、薙いで、切り払った。ゾンビの首がいくつもはね飛ばされる一方で、ゾンビの胴は芝生に折り重なっていった。

「お待たせサエちゃん! 装填よし! 照準よし! 安全装置解除! ファイヤー!」

 健二郎が思っていたよりも重厚な発砲音がテンポよくフェアウェイに轟くと、発砲音の回数と同じ数のゾンビの頭部が次々に爆砕されていった。郡司は視界に表示される射撃指示に従って機関銃を操り、首の無い屍体をグリーンといわずバンカーといわず、射程内のそこかしこに倒れ伏せさせていった。その射撃は正確無比という他無い。機関銃で続けざまにヘッドショットを成功させるなど、訓練を受けた兵士でも不可能である。命中率は驚異的な数値を叩き出している。この場合の命中率というのは”頭部に命中させた率”のことであり、200発を撃ったいまでも流れ弾は1発も生じていない。

 弾丸はゾンビの頭骨を貫通すると同時に変形、分裂してゾンビの脳を掻き回し、引き裂き、後頭骨を破砕して脳漿とともに虚空に飛び出した。その間にも、郡司の機関銃では弾丸が薬室に装填され、撃鉄が雷管を叩き、炸薬が爆発して、弾丸が銃口から撃ち出されている。20世紀初頭に戦場で兵士たちに猛威を振るった機関銃は、いまゴルフ場のフェアウェイでゾンビに対して猛威を振るっていた。

 健二郎は感心することしきりであった。100メートル以上も離れたゾンビをその場にいながら活動停止させているのである。バレンタイン1号であれば移動の時間がかかる分、ゾンビ排除の効率はバレンタイン2号に劣るであろうと健二郎が認めたとき、郡司から声がかかった。

「サエちゃん、銃身交換するから援護してくれ」

「銃身交換? どこかにぶつけたのか?」

「いや?」

「ならそのまま撃ち続ければいいじゃないか」

「いや、機関銃てのは4〜500発も撃てば銃身が焼けて、精度ががた落ちするんだ。だから交換するんだよ」

 暢気に会話を交わしているように見えるが、健二郎は郡司の周囲を回りながら群がるゾンビの首をはね続けていた。この程度のゾンビの群に飛び込んだことは何度もあるが、今回は郡司の援護射撃があるおかげで大分楽ができているので、会話にも多少の余裕があった。

「それでそんなに予備の銃身を持ってるのか。了解、早いとこ済ませちゃってくれ」

「おう」

 郡司は機関銃を下ろし、焼け付いた銃身を外して放り投げると、背中の背嚢から予備銃身を取り出し、機関銃に取り付けた。センサーが銃身の温度を読み取り、バレンタイン2号のコンピュータは新たな条件での射撃指示を始めた。

「ファぁイヤぁぁー!」

 郡司は再び射撃を開始した。銃弾がたて続けにゾンビの頭部を爆ぜ飛ばす様は、それを見ている健二郎や関係者にはこの上もなく頼もしく映った。このままバレンタイン3号や4号が実戦投入されれば、ゾンビ掃討作戦はさらに進捗するであろう。


 健二郎は様子を探るべく大きく跳躍して立ち木の枝に乗った。そこから見えたのは、ゴルフコース上をたむろしていたゾンビの大群が健二郎や郡司たちの方角にずるずると移動をしているさまだった。これまでであれば、健二郎が自ら移動をしなくてはゾンビを活動停止させることは叶わなかったのであるが、今回はいくらゾンビを活動停止させても、ゾンビが湧いて出るかのように切れ目無く押し寄せて来ているのである。これでは一休みもままならぬ。健二郎にはその原因がわかっていた。

「そりゃあ、あんなに銃声が響けばあいつらも寄って来るよな。でもグンちゃんというか、バレンタイン2号の場合、それこそ望むところなのかな? 寄ってくるのを待ち受けて撃てばいいんだし。軍人さんには悪いけど軍の部隊じゃ、あんなにゾンビが寄ってきたら、頭を吹き飛ばす前に接近されて食われてしまうだろうな。機械の体だからできる精密連続射撃だよなあ」

「あっ」

「どうしたグンちゃん」

「ジャムった。直すからゾンビを近づけないでくれ」

「ジャムがなんだって? 何の話?」

「弾丸が装填不良を起こしたんだ。それをジャムって言うんだ」

「ああ、そうことか。了解」

 健二郎は立ち木から飛び降り様にゾンビの頭部を蹴り砕き、大矛を真一文字に薙ぎ払った。ゾンビの頭部が粉砕され、首が飛び、胴が崩れ落ちる。腐汁と汚濁した血液が霧状になって健二郎と郡司の周りを覆った。健二郎は大矛によって”突き”という新たなゾンビ掃討手段を手に入れて、それを縦横に駆使していた。斬撃でゾンビ6体の首をはね、そのまま激烈な突き繰り出し、ゾンビ3体の首を圧し切ると力任せに薙ぎ払ってゾンビ5体の首をはねた。郡司は健二郎が大矛を振るって屍体の山を築く有様に舌を巻いた。

「ほえ〜、こりゃすげえ、現代の本多忠勝だな。よし、直った! サエちゃん、頭下げろ! もういっちょファイヤー!」

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