第28話 健二郎の初めて

 健二郎は半年ほど前の初陣を思い出した。

 健二郎が拉致された頃は桜が咲いていた川縁の土手に、ヒガンバナが、赤く美しいが、どこか物寂しげな花を咲かせていた。このことは、健二郎がサイボーグに改造されてから半年が経ったことを意味している。

 この半年というもの、健二郎はバレンタイン1号の調整と基礎訓練に明け暮れていたのだが、いよいよこれから初の実戦である。ゾンビ封鎖線の内側にヘリで降下して、とある広場にたむろするゾンビを掃討するだけで、とくに作戦としての目的などは設けられていない。データの収集と何より健二郎に実戦を経験させることが目的であった。単独行動はさすがに危険なので、当時、岡野の中隊はいいのや市に拠点を移して間もなかったが、その第一小隊が健二郎のバックアップとして後方に付随することになった。


 研究所のヘリポートから2機のヘリが離陸していった。先導の輸送ヘリには第1小隊が搭乗している。後続の輸送ヘリは、バレンタイン1号の現地修理が可能になるよう改造された特別仕様のヘリである。のちにチョコレート・ワンと名付けられるヘリであるが、この時はまだその名は付けられていなかった。

 予定の地点を過ぎたところで、機内ではバレンタイン1号の最終チェックが行われようとしていた。最終チェックは戦闘モードに移行して行われる手順であるのだが、この頃は戦闘モードへの移行許可申請が下りるまでたっぷり30分は待たされたものだった。恵美からの許可申請はまず小松川が受け取り、小松川から国家安全保障局長へ取り次がれ、国家安全保障局長からさらに防衛省の関係部署へ申請が伝達されるのである。無論のこと申請が受領されてから審査され、その結果が恵美の元へ伝達されるまでにも相応の時間がかかった。

 この日もそれを見越して許可申請を離陸前に提出していたのであるが、離陸前に許可が下りることはなく、機内で移行許可が下りるのを待つしかなかった。

 2機のヘリが目的地に向かって飛行しているそのとき、付近の地上部隊から緊急通信が入った。ゾンビの大群に襲撃され、封鎖線が破られたというのである。


 第1小隊を乗せたヘリは、岡野の命令で直ちに目的地を変更して、火消しに向かった。

 健二郎たちにも岡野から支援要請が届いたのであるが、バレンタイン1号は通常モードのまま待たされているので、出動はまだ不可能であった。肝心の健二郎はといえば、俄然やる気である。

「助けを求められているのに、助けずして何のためのサイボーグですか。ぼくは行きます!」

 恵美も出動には賛成であったが、開発者である栗田の意見を確かめるべく、いいのや市の作戦室に通信を入れた。

「栗田所長、岡野大尉からお話は伺っているかと思いますが、バレンタイン1号を出動させて構いませんか? 健二郎君はその気になっていますが」

「いいんでないかね。わしらの研究成果がゾンビの1000や2000にやられるはずもないしの。三枝君がその気なら、なおさらだて」

「わかりました。健二郎君にも出動してもらいます」

 栗田の背後から甲高い男の声が響いた。

「ああ、栗田所長、その通信切らないでください。山内さん、お待たせしました。戦闘モードへの移行許可、出ました!」

「ありがとうございます。小松川さん。健二郎君、戦闘モードに移行しなさい」

「了解、モード変更、戦闘モード!」

 健二郎の視界に各種データが表示され、腹部の動力炉が急速に出力を増大させていく。身体の末端までエネルギーが行き渡るのを健二郎は感じた。恵美とそのスタッフはすぐさま最終チェックにとりかかった。チェックの最中にも戦況は悪化しているらしい。悲鳴のような援軍要請が断続的に健二郎たちのヘリにも届いているのである。

 最終チェックは全て滞りなく終了し、健二郎は戦闘用ヘルメットを装着した。ヘリはすでに破られた封鎖線に接近しており、健二郎の降下を待つばかりである。

「健二郎君、いつでも行けるけど、覚悟はいいわね?」

「……」

「健二郎君?」

「ああ、かっ覚悟ならできてます。だだ大丈夫でしゅ!」

「その割には脳波が大分乱れてるわよ。まあ、緊張するなという方が無理よね」

「緊張なんて、そんなことあるわけないじゃあないですかぁっ。その機械がこっ壊れてるんですよ!」

 恵美はこのナルシストでお調子者の青年を少しだけ見直した。この土壇場で啖呵を切れるのは大したものだと。

「よく言ったわ、健二郎君。それじゃあ行って来なさい。バラバラになってもちゃんと直してあげるから」

「バラバラはやだなあ……」

 健二郎は薙刀を手に取り、刀を腰にマウントした。同乗している兵士がヘリのハッチを開くと、眼下にはゾンビがわらわらと広い道路を行進しているのが見えた。先頭を歩くゾンビが何度も激しくのけぞっているのは銃撃を受けているためらしい。しかし、頭部に命中しないのか、行進は勢いを全く落とさない。

 健二郎は地面までの距離を測った。14メートルという数値が計測されたのをみて、健二郎はそのまま飛び降りることにした。ラペリングでの降下も訓練済みであるが、眼下の兵士たちは負傷者を抱えているのであろう。今にも包囲されそうなのである。

「よし、行くぞ。訓練通りやるんだ。ああああアローハー!」


 装備だけで100キログラム近い重量の健二郎が着地すると、アスファルトの破片が飛び散り、砂埃が立ち上った。驚愕したのは兵士たちである。頭上を通過したヘリが何かを落としていったのは把握できたが、まさか人を落としていったとは思わなかったのである。しかもその人は10メートル以上も上空から落ちて来たというのに、怪我をした様子もなく、立っているではないか。

 健二郎の着地点は幹線道路の十字路中央であった。健二郎の前方には15名ほどの兵士が射撃も忘れて、あんぐりと口を開いている。右手と左手と後方からは、ゾンビが大口を開けて迫りつつあった。

 ゾンビは狙いを直近の健二郎に定めたようである。三方から健二郎をめがけて雪崩を打って歩き出した。健二郎は逃げ出してしまいたい衝動を覚えずにはいられなかった。しかしそれでも、兵士たちを後退させるために、かろうじて十字路の中央に踏みとどまれたのは、義務感もあるが、自分がサイボーグでゾンビ化しないとわかっていたからでもある。薙刀を握る両掌は汗などかくはずもないのに、健二郎の脳は確かにじっとりと汗が滲むのを感じていた。

「早く後退してください! ここは任しぇて!」

 緊張と恐怖で顎が落ち着かないためか、健二郎は舌を噛んでしまった。

「し、しかし、君はどうする。何をするつもりだ」

「ぼくなら大丈夫!」

「大丈夫なものか! そんな武器で奴らと戦うつもりか!?」

 ゾンビは間近に迫っている。問答をしている余裕など1秒たりともない。自分とバレンタイン1号の実力を見せてやれば、彼らも素直に後退するだろう。健二郎はゾンビに向き直って、薙刀を振りかぶった。

「どっりゃああああ!」

 健二郎は、三方から迫るゾンビに向かって半ば自暴自棄で薙刀を横薙ぎに振り抜いた。健二郎の一振りは8体のゾンビの首をはね、6体のゾンビの頭骨を粉砕した。14体ものゾンビが一度に崩れ落ち、動きを永遠に止めた。この一撃は誰よりも健二郎自身を驚かせた。初めて起動したあの日に、コンクリートの柱を粉砕したときも驚いたが、襲い来るゾンビを薙ぎ倒せる力が本当にあるのだと実感したのである。

「見ての通りです! ぼくの心配は無用ですかりゃ、早く後退してくだひゃい!」

 驚愕と興奮で今度は声が裏返ってしまった。兵士たちは唖然とするばかりだが、指揮官らしき兵士がいち早く立ち直り、後退を指揮し始めた。

 あとはもう乱戦であった。次々に襲いかかってくるゾンビの撃退に健二郎は必死で、このときのことはあまりよく覚えていない。

 十字路に屍山血河を築いた健二郎はそのまま、封鎖線を突破したゾンビを掃討して回り、その日のうちに500を越えるゾンビを活動停止に追いやった。溢れ出したゾンビは全て掃討され、封鎖線は無事に修復された。気がつけば健二郎の薙刀は曲がり、刀は折れていた。

 健二郎の初陣は修羅場であった。しかしながら、その修羅場をくぐり抜けたことによって、健二郎が自信をつけたのも確かである。以後、健二郎は臆することなくゾンビを掃討するようになるのである。


 健二郎の話を聞いた郡司は感心することしきりで、健二郎を陶然と見つめた。

「いや〜、すげえじゃねえか。サエちゃん。最初からそんな修羅場だったなんてなあ。道理でいいケツしてやがるぜ」

「そうだろう? グンちゃんも実戦を重ねればいいケツになるぜ」

「はっはっはっ」

「はっはっはっ」

「ほら、2人とも思い出とケツの話はいいから。シミュレーション再開するわよ」

「はあ〜い」

 その日のシミュレーションはおおむね成功であった。課題もいくつか認められたが、大した問題ではないと思われた。最大の成果としては、郡司がゾンビの姿に慣れてきたということであろうか。バレンタイン2号の実戦投入はもう間もなくである。

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