第25話 運命の出会い!
梅雨前線がそろそろ名残惜しそうに日本列島から去ろうとしている頃である。いいのや市に設立されている国立生体工学研究所の花壇にはラベンダーが咲き乱れ、甘い香りを職員たちに振りまいている。
栗田の研究室は空調が効いているが、それでも栗田と恵美と彼らのスタッフは額に汗を滲ませて、なにやら忙しく作業の最中である。そんな空気をまるで読まず健二郎は部屋の隅っこで彼の肉体をうっとりと見つめていた。普段であれば健二郎とてこのような作業の際は研究室から閉め出されるのであるが、今日は健二郎のデータが必要だということで、健二郎も研究室に連れ込まれたのである。今も彼の手首から伸びた、長いケーブルが機材の一つに接続されている。
「ああ、いつ見ても何度見てもきれいだ。早くこの顔に戻りたいものだが……。それもこれもあのおっさんのせいだ。畜生め」
”あのおっさん”こと栗田清はあいかわらずのほほんとしているが、極めて珍しいことに、今日は真面目に作業に取り組んでいるらしい。
「そちらはそれでよい。そのまま、MS値を維持してくれたまえ。こちらの状況はどうかの?」
「良好です」
「うむうむ、では蓋を開けよう。電動ノコを貸してくれ。わしがやろう」
健二郎は栗田たちの作業になど目もくれず己の肉体を愛で続けている。
「これならパリスも黄金の林檎をぼくに渡す他ないだろうな。ああ、時が時ならぼくは歴史をも変えたかもしれないのに」
栗田たちは栗田たちで、健二郎のトンチキな独り言などおかまいなしに作業を進めていた。
「よし、次はいよいよ引っ越しじゃ。せーのでいくぞ。皆の衆、用意はいいかの? せーの!」
「全数値オールグリーン」
「ではこちらは蓋をしてくれたまえ。蓋をしたら中にオットー液とハーマン薬を詰めておくのだぞ。次はこちらだの。調子はどうかの?」
「動力出力、電圧、熱量、全て順調です」
「よしよし。ミノフスカヤ溶液とポルマリンゲル剤を重量比30:1で混合して、144カプラー注入してくれたまえ」
「はい、注入します。現在60…100…144カプラー。注入よし」
「ミケランジェロやダヴィンチが生きていたら、ぼくの肖像画と彫刻を仕立ててもらうのに」
健二郎は全く栗田たちの作業に興味がないようで、ずっと1人で戯れ言を呟くのみである。しかし、確かに健二郎の肉体であれば、この戯れ言も様になるであろう。それほどまでに健二郎の肉体は秀麗である。
「さて恵美君、起動コマンドを頼むよ」
「はい。起動します」
健二郎は突然背後から肩を抱かれた。筋肉が逞しく発達しているので男性だと言うことは振り返らずともわかったが、こんなに立派な体つきをした男性が栗田のスタッフにいただろうか? 健二郎が振り返ったのと、背後の男性が健二郎の耳に息を吹きかけようとしたのが同時だったのが、2人の出会いを運命的なものにした。唇が重なったのである。
「んっ?」
「んっ!」
健二郎と男性は唇を密着させたまま見つめ合った。健二郎は驚愕のままに目を見開いているが、男性はうっとりとゆっくりと目を閉じた。どのぐらいの時間が経っただろうか。この膠着状態を打ち破ったのは恵美である。
「2人ともそれぐらいにしなさい。どうやら、相性は抜群のようね。自己紹介も無しにそこまでの関係になれるなんて」
健二郎は我に帰って、男性を押しのけた。
「ぶえええええええええっふぉえっふぉえふぇおふぉげふぉふぉ!」
「なんだよ、サエちゃん。そんなに恥ずかしがることねえじゃねえかよ。ふっははは」
健二郎と唇を重ねた男性は、身長は健二郎よりも10センチほども低いが、体つきは健二郎以上に筋骨隆々とした堂々としたものであった。顔貌はなんとも特徴のない平均的な顔つきである。平均的すぎて作り物の感すらある。表情はにこやかで快活。白い歯がまぶしかった。
「あなたはどこのどちら様ですか!」
健二郎は唇を拭いながらこの見慣れぬ人物を誰何した。
「俺は
「同僚?」
「同類と言ってもいいな」
「同類?」
健二郎は栗田と恵美に視線を向けた。
「さっきから呼んでるのに、あなたがそのカプセルにへばりついてるからそんな事故が起こるのよ。健二郎君、彼は郡司和仁君。言い換えればバレンタイン2号よ」
「バレンタイン2号!?」
「だから俺とサエちゃんは同僚で同類なんだよ。まあ、よろしく頼むぜ! じゃあ、改めて挨拶の接吻を」
「やめろ、ぼくはその気はない。それにサエちゃんてなんだ」
「サエグサだからサエちゃんだよ。その気はないってさっき散々、その男の顔みてポエム垂れてたじゃねえか」
「これはぼくの肉体だ。ぼくはぼくが好きなのであって、君を好きなわけじゃないぞ」
「俺以外の男なら誰でもいいのか!?」
「栗田のおっさん。これ脳移植失敗しただろう」
「いやあ、大成功じゃよ。元々彼はそんな感じだからの。手術もお前さんの時より、時間も手間も遥かに短縮されとるしの」
「えっ。もしかして、今そこでやってた作業が脳移植手術だったのか?」
「今更何を言っとるのかね」
「だって皆、白衣を羽織ってるだけじゃないか。手術なら手術らしい格好ぐらいしたらどうなんだ」
「だから、白衣を着とるだろうに。お前さんのときなんて全員普段着だったぞい」
「な、なんだと……」
「まあまあ、サエちゃんよお! こまけえこと気にすんなって!」
「気にしないでいられるか! それよりあんたはいつ拉致されたんだ。何を盾に取られているんだ?」
健二郎は自分がサイボーグにされたときのことを思い出したのである。ある日、突然拉致され、気がついたらこの部屋でサイボーグにされていた、あの日のことをである。健二郎は、この郡司という青年もおそらく拉致され、無断でサイボーグにされたのだろうと思い込んでいるのだ。ところが、郡司は怪訝な顔をするばかりである。
「拉致? 盾? サエちゃん何を言ってるんだ? 俺は俺の足でここまで来たんだぞ」
「は?」
健二郎は射殺さんばかりの目で栗田を睨んだ。栗田はしれっと視線を外している。代わって経緯を説明したのは恵美である。
「和仁君にはあらかじめ政府から打診があったのよ。と言うより、この研究所から政府に要請したのよ。バレンタイン2号と極めて親和性の高い人物がいるから、脳移植手術を受けてくれるよう打診してみてくれって」
「ぼくのときと対応が違うじゃないですか……」
「やれやれ、お前さんが拉致しただの無断で手術しただのうるさいから、こうして手続きを踏んだのに、踏んだら踏んだでうるさい男だのう」
栗田の放言に健二郎は殺意を覚えたが、口にしたのは別のことである。
「ということは、郡司さんといいましたか。あなたはすべて理解した上でサイボーグになったんですか。こんな手術を受けてまで」
「うん」
「なぜです? ゾンビに恨みでもあるんですか?」
「その打診に来た政府の奴が、俺を腰抜け呼ばわりしやがったからだよ! あの野郎め!」
「は?」
今日はこれで何度目だろうか。人の発言に疑問符をぶち込んだのは。
「俺は最初その話を断ったんだよ。当たり前だろ。いきなりやって来て、サイボーグになってゾンビと戦ってくれなんて誰が引き受けるかってんだ」
「ですよね」
「あんな腐れた屍体を相手にするより、飲み屋で美味い酒を飲んでいたいですよ、はははーって雑談気味に言ったら、あの野郎こともあろうにこの俺に向かって、”ゾンビが恐いんですか。腰抜け野郎ですね”なんてぬかしやがったんだ!」
「はあ」
「それで俺は頭に来て、わかった、やってやるよ! サイボーグでもアンドロイドでもなんでもなってゾンビどもを一掃してやるよって啖呵切ったんだ。だからここへ来てサイボーグになったのさ」
「それだけですか」
「いや、実は各地から美味い酒を届けてもらうよう手配してやると、約束してくれたからというのもある」
「丸め込まれてるじゃないですか」
「いやー、でもまあ、サイボーグになってゾンビを薙ぎ倒すってのもかっこいいだろ。それもサイボーグなら、ゾンビにはならないそうじゃねえか。それで酒も飲める、あの野郎にぎゃふんと言わせられるんら言うことなしだ」
こいつは馬鹿だ。
健二郎はこの郡司という男を馬鹿だと断定したが同時に、常人でもないとも感じた。その心意気に健二郎はいたく打たれた。
「わかりました、郡司さん。いや、あえて、グンちゃんと呼ばせてもらうよ。今後ともよろしく頼む!」
「おうよ、背中は任せとけ! そのぷりっとしたケツは俺が守ってやるぜ!」
「それはお互い様だ、グンちゃんの引き締まった尻はぼくが守ろう」
「はっはっはっ」
「はっはっはっ」
「単細胞な男同士、気が合うのね」と恵美は思っただけで、口には出さなかった。口を開いたのは栗田である。
「うむうむ、君たちならすぐに仲良くなれると思っていたよ。ふたりとも馬……いや、いい漢だからのう。漢字の漢と書いて”おとこ”だ。ただ郡司君はまだ調整やテストが残っておるでの。出動はまだもう少し先だろうて」
「おい、栗田のおっさん。一つ聞きたいことがある」
健二郎の悪意に満ちた問いにも老獪な栗田はどこ吹く風である。
「なにかの〜?」
「このグンちゃんの頭のサイズも顔の造形もなぜこんなに普通なんだ」
「そりゃあ、技術の進歩よの。色々と小型化が図れたから、頭部は小さくすることができたのだよ。顔の造形は、おまえさんがブサイクは嫌だというから、平均的な日本人の顔をモデルにしたんだぞい」
「じゃあ、今すぐぼくの顔もこのレベルにまでできるんだな? やってくれ、というかやれ」
「そりゃ無理だのう。バレンタイン1号は結局は1号。そう簡単に仕様変更はできんよ。それに面倒くさい」
「おっっっさあああああああああんんんんん?」
「まあまあ、サエちゃん。俺はこのカプセルの中のサエちゃんより、今のサエちゃんの方が好きだぜ!」
「グンちゃん、ちっとも慰めにならないぞ」
そういえば、郡司の肉体の方はどんな顔をしているのだろうか、と健二郎は好奇心に駆られたので視線を寝台の方に転じてみたところ、そこに横たわっていたのは、ごく普通の壮年と思われる男性であった。
「さて、無事に起動もしたところで作戦室に行きましょう。和仁君を紹介しないといけないからね」
恵美の一声で一同はぞろぞろと研究室を後にしたのだった。
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