第21話 前線基地にて
一定区画のゾンビを排除し、安全確認ができたら封鎖線を前進させる。この地道な封鎖線縮小作戦を軍はこの3年ほど、ほぼ毎日行ってきたが、封鎖線の縮小は遅々として進まなかった。軍事行動であれば要衝を占拠すればその周囲を制圧したことになるが、相手はどこにいるとも知れず、どこにいたとしても脅威となりうるゾンビである。住宅であれば一軒一軒、高層建築であれば一棟一棟を地下から最上階まで、さらに農地、山林、工場、娯楽施設、その他あらゆる場所でゾンビを捜索し、掃討して安全を確保するのだ。音声などである程度ゾンビを誘引できるとはいえ、あまりにも範囲は広く、状況は多彩で計画通りに事が運ぶはずがなかった。
しかし、例外的に進捗状況が好転してきたのは、健二郎が活動する管区である。健二郎1人で兵士数十人分の成果を挙げてしまうので、その分の人員を他所へ割くことができたからである。
ゾンビ根絶のためのサイボーグ実用化を目指すバレンタイン計画は、数字の上でも成果を示しつつあった。
そのバレンタイン計画の成果の1つであり、ゾンビ掃討の牽引役ともなっている健二郎は、今日も封鎖線縮小の作戦に参加することになっていた。
いいのや市の国立生体工学研究所の作戦室は、作戦開始前の喧噪に包まれていた。岡野が正面の指揮卓で次々と指示を飛ばしている一方、作戦室の後方では、健二郎、恵美、小松川、田井中の4名が暇そうに会話を交わしていた。
「健二郎君、今日は何の武器で参加するつもり?」
「そうですねえ。市街戦みたいですから、刀と短剣ですかね」
健二郎と恵美の会話を聞いて、小松川は先日の会話を思い出した。
「そう言えば例の新しい武器は間に合わなかったそうだね。三枝君」
「まだ未完成だから仕方ないですね。でも、試作品はなかなかいい感じでしたよ」
「へえ。そりゃよかった。ところで今日は何だと思う?」
「うーん、わかりません」
「私もわからないですね」
小松川の問いに健二郎と恵美は首をひねった。別の意味で首をひねったのは田井中である。
「何だと思うとは、何のことですか?」
「すぐにわかりますよ」
小松川のあきらめたような所作と同時に岡野のひと際鋭い声が飛んだ。
「ヘリのコードネームはジャクリーンだ。いいな!」
「ほお〜、ジャクリーンとはまた映画のようなコードネームですね」
無邪気に感心する田井中に、小松川は携帯タブレットの画面を見せた。そこには”くまのようちえん”というタイトルの幼児向け絵本の紹介ページが開かれていた。ジャクリーンというのはそのようちえんに通うくまの女の子の事らしい。田井中は苦笑いで3人を振り返った。
「なるほど。何が何なのかよくわかりました」
それから15分後に健二郎とそのメンテナンススタッフ、さらに岡野とその中隊を乗せたヘリは順次離陸していった。目的地は神奈川県平塚に設置されている平塚第2前線基地である。
”前線基地”とはこの場合、封鎖線の監視および封鎖線縮小作戦の拠点となる基地のことで、ゾンビ出没地帯を囲むように配置されている。基地といっても恒久的なものではなく、封鎖線の縮小に伴って移動する基地で、だいたいの場合、多数の兵士を収容できる学校や公園などを利用している。先日、健二郎が確保した市民公園も前線基地になっているはずである。
4機のヘリは平塚第2前線基地に着陸した。3機の輸送ヘリからは武装した兵士が続々と降りてきて、中隊本部の設営を開始した。
最後に着陸したチョコレート・ワンでは、健二郎が最終チェックにかけられていた。健二郎の身体の各所にケーブルが挿され、恵美とそのスタッフがディスプレイの表示を見ながらキーボードを叩いている。10分もすると各人から「異常なし」の報告が恵美にもたらされた。
「健二郎君、全て異常なしよ。気分はどう?」
「顔以外はすこぶる良好です」
「いつも通りね。じゃ、行ってきなさい」
「は〜い」
健二郎は腕を防護するガントレットと両脚を防護するレガースを装着してから、刀二本を腰に、短剣一本を背中にマウントした。ヘルメットをかぶり装備品のチェックをしていたところで恵美から声がかかった。
「健二郎君、まだ作戦開始には大分時間があるわよ。ヘルメット外したら?」
「そうしたいのはやまやまですけど、ここは初めて会う人が多いですからね。この顔は隠しておいた方がいいかなと思いまして。もう兵隊さんたちの間では噂になってますからね。サイボーグがゾンビを薙ぎ倒してるって。その顔がこんなブサイクじゃ、格好がつかないでしょう」
「なるほど、それもそうね」
「そんなことないわよ、ぐらい言ってくださいよ」
「私も科学者だからね。どんなに心で思っても事実は認めないといけないの」
「じゃ、せめて恵美さんの心の内を語ってくださいよ」
「女の心を無理にこじ開けようだなんて、無粋なことを言うのね」
「ず、ずるい。科学者の顔と女の顔を使い分けてる」
「いいから、さっさと行ってきなさい。そんなこと気にしてると肌が荒れるわよ」
「サイボーグの肌が荒れるなんて、聞いたことがないですよ」
健二郎は諦めたのか馬鹿馬鹿しくなったのか、ヘルメットを脱いでヘリを降りていった。
岡野は基地司令部から中隊本部へ赴くところで、苦虫を噛み潰したような顔でヘリから降りて来る健二郎と鉢合わせた。
「おう、三枝君。ちょうどよかった。作戦の説明をするから中隊本部へ来てくれ」
「はい」
「どうした、なんだかえらく難しい顔をしているじゃないか」
「いえ、事実とはなんと冷たいものであろうかと思いまして」
「ほう?」
岡野と健二郎が中隊本部に到着すると、中隊の幹部たちはすでに集合済みであった。
岡野の第1特務中隊は、中隊本部と3個小銃小隊と1個機関銃小隊、そして1個ヘリコプター小隊から成っている。
中隊本部は中隊長の補佐やその他様々な雑務をこなすのが主任務であるが、無論、いざとなれば銃を取って戦闘に参加する部隊である。
小銃小隊は全員が自動小銃を装備した、軍の基本と成る部隊で主戦力となる。
機関銃小隊は自動小銃より強力な汎用機関銃を装備した部隊で、小銃小隊では火力が足りない場合などに派遣され、その小隊の支援を行う部隊である。
そしてヘリコプター小隊であるが、ヘリコプターが中隊に配属されることなど通常はあり得ない。しかし、岡野の中隊の場合、いいのや市という最前線から離れた場所が拠点であるため、特別にヘリコプター5機が配属されたのである。特務中隊と呼ばれる所以でもある。高価なヘリコプターを5機も配備するにあたり、軍の上層部では相当な議論が巻き起こったのであるが、政界からの圧力で無理矢理鎮められたという噂である
岡野の中隊に限らず、ゾンビパニック発生以来、世界中の軍隊で新たに装備された武器といえば弾丸であろう。ホローポイント弾が新たに装備されるようになったのである。ホローポイント弾というのは弾丸の先端に窪みがあり、対象に命中すると対象の中で弾丸が変形、分裂し、対象の内部を大きく破壊する弾丸である。
あまりに非人道的だということで、国際条約で戦争での使用は禁止されているのであるが、ゾンビの脳を効率よく破壊できるため、対ゾンビ作戦に限っては使用が許されているのである。
「さて、諸君。今日の作戦だが、我々は新平塚駅と駅の北側400メートル四方の捜索に当たる。地図で言うとこの範囲だ」
岡野はそう言って指揮卓に広げられた地図に四角形を書き込んだ、そのとき、兵士の1人から報告がもたらされた。
「ドローンからの映像来ました。スクリーンに出します」
健二郎たちがドローンからの映像を確認したところ、駅前広場はゾンビの溜まり場であった。雲霞の如くとまでは行かないが、それでも大群と言ってよいであろう。経験的に健二郎も軍もゾンビが駅や街道、商業施設など、かつて人が集まった場所に溜まりやすいということを知っていた。それが、生前の記憶がわずかでも残っているためなのか、人間の存在を本能的に感じてのことなのか、全くの偶然によるものなのかは不明なのであるが。
岡野は憮然として地図を見直した。
「やれやれ今日も大漁だな。さて、そうなると駅前広場と駅ビルは三枝君に任せようか。三枝君が先頭でゾンビの数を減らし広場を確保した後、中隊本部をそこに設営、その後第1、第2、第3小隊は担当区画の捜索へ向かう。第4小隊は広場で待機だ。何か質問は?」
特に普段と変わりのない作戦である。質問は上がらなかった。
「では、各自、作戦開始まで準備をしておくように。以上、解散」
健二郎が中隊本部を出ようとしたところを岡野は呼び止めた。
「三枝君、毎度のことながら危地に放り込むようですまないな」
「お気になさらずに。ぼくも一応役には立っているようですし、この体ならゾンビにもなりませんし」
「そうか、では今日もよろしく頼むよ」
「了解、ぼくは器の大きな男になりますよ」
岡野は健二郎が、おそらくは山内主幹に何か言いくるめられたのだと察した。
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