第18話 変種
いよいよ梅雨入りである。東海地方にある国内でも有数の研究都市、いいのや市では市内の各所でクチナシの花が白く、可憐な花をつけ、甘い香りをたゆたわせていた。
そのはずれにある国立生体工学研究所のさらに一室、”作戦室”と関係者が呼ぶ部屋で約30名の人間と1名のサイボーグが報告会の開始を待っていた。出席者はこの部屋を本部としている陸軍第一特務中隊幹部、同じくこの部屋を本拠としている国家安全保障局いいのや出張所のメンバー、そして、ゾンビ掃討用サイボーグの実用化を目指すバレンタイン計画のメンバーである。
今日の報告会では、調布データセンターで確認された変種のゾンビについて報告がされる予定である。そうは言っても、通常のゾンビについてもはっきりしたことは何一つわかっていないというのに、今更、変種だの突然変異種だのが現れたところで、どうなるものでもあるまいというのが約30名と1名の思うところであった。
恵美さん、と隣に座る山内恵美という名の美女に声をかけたブサイクは、室内でも唯一のサイボーグ・三枝健二郎である。
「どうしたの? 健二郎君」
「ぼくはサイボーグなんですよね」
「そうよ」
「なのに、なんでこんなにじめじめと湿っぽいんですか」
「仕方ないでしょう。梅雨なんだから」
「いえ、そうじゃなくて。なんで機械のぼくまでこんなに湿気を感じてるんですか」
「知らないわよ。所長に聞きなさい」
恵美は健二郎の向こう隣で、のほほんとしている好々爺を見ながら暑苦しい質問を丸投げした。
「おい栗田のおっさん。なんでぼくまでこんなにじめじめしてるんだ。錆び付いたらどうする」
「恵美君には敬語なのに、わしには口が悪いのう」
「当たり前だ。ぼくをこんなブサイクなサイボーグにした恨みがそう簡単に消えるわけないだろう」
「ほっほっほっ」
「またそれか。くそ」
健二郎が舌打ちしたのと同時に3人の男が入室してきた。岡野と小松川はよく知った顔であるが、最後尾の男は初めて見る顔であった。岡野が最前列の指揮卓につき、一同を見渡して口を開いた。
「全員そろっているようなので、早速始めよう。今日は、先日の調布データセンターでバレンタイン1号が遭遇した変種のゾンビについていくつか報告がある。まずは軍の偵察結果から、その後はこちらの田井中氏からしていただく」
岡野はスクリーンに関東地方の地図を投影させた。東京とその周辺に50個ほどの赤い印がつけられている。
「これは調布データセンター作戦の後に、軍が上空から偵察した結果確認された、変種の数と位置だ。見ての通り、都心部に近づくにつれて目撃例が増加している」
確かに、埼玉、千葉、神奈川には数個ずつしか赤い印がないが、東京、それも都心部には赤い印が集中している。
「上空から偵察しただけなので、屋内は未確認である。さらに偵察地域も限定的なものなので、思った以上にこの変種は存在すると思われる」
岡野はコンソールを操作して資料を切り替えた。ヘリから撮影したものと思われる写真が数枚投影された。
「これはその確認された変種を撮影したものだ。調布の変種は右腕が発達したゾンビだったが、写真の通り、左腕の発達したもの。右腕と右脚が発達したもの。実に様々だ。では、この変種の生態などについて、田井中さん。お願いします」
岡野に代わって指揮卓についたのは中肉中背の30代半ばと思われる男である。几帳面で生真面目を絵に描いたような印象である。軍人や政府関係者を前にして少々緊張しているようである。あまり人前に出るのは得意ではないのであろう。
「ただいま紹介にあずかりました。
特殊感染体研究所というのはゾンビの研究観察を行い、その成立及び生態、何より撲滅方法を明らかにするために設立された研究組織である。研究所自体は大阪にあると健二郎は聞いていた。
田井中はスクリーンに資料を投影させて説明を始めた。
「まず件の感染体を我々は便宜的に特殊感染体四肢強化種と呼称しておりますが、ここでは岡野大尉にあわせて変種と呼称します。この変種はこれまで確認されてきた、いわゆる走る個体とは全く異なります。あれは筋肉が損傷していない結果、激しい運動が可能だったというだけで、いわば健康なゾンビというだけでした」
田井中は新しい資料をスクリーンに投影させた。
「ですが、この変種はゾンビ化の過程で四肢が異常発達したもののようです。軍が撮影したこの写真の例でも、右大腿の筋肉が大きく欠損していますが右脚全体が大きく発達しています」
さらにスクリーンに別の写真が投影された。健二郎が調布で切り落とした変種ゾンビの右腕である。肩から奇麗に切断されており、拳は失われ、前腕の骨が露になっている。
「発達というのはこの場合、骨と筋肉が強化されているということです。この写真を見ていただければお分かりかと思いますが、筋肉ばかりか、骨も二回り以上も太く強固になっています。当然のことながら、それだけ破壊力は増していると考えられます。もし遭遇したら十分な注意が必要です」
少し間を置いて田井中は核心について述べ始めた。
「さて、この変種への対応ですが、今までと変わりありません。脳を完全に除去させればよいと考えられます。つまり頭部の完全破壊、または首をはねることです」
室内からは安堵の溜息が漏れた。これまでと対処方法が同じであればやりようはいくらもあろう。室内が静まってから田井中はもう一つの核心について自嘲気味に述べた。
「ついでに申し上げますと、なぜこのような変種が誕生したのかについては、誠に残念ながら不明としか申し上げ様がありません。そもそも感染体、ゾンビの成立についても、いまだにまったく不明としか申し上げようもない状況ですので、ご理解ください。では、変種については以上です」
室内はあきらめに似たような空気に包まれた。当初の予想通り、今更、変種が出てきたところでどうなるものでもないという結論だったからである。田井中に代わって再び岡野が指揮卓についた。
「田井中氏には今後、オブザーバーとして作戦にも加わっていただくことになっている。今後はゾンビの専門家の意見も状況に応じて必要となるであろうという判断だ。では諸君、ご苦労だった。以上、解散」
田井中の説明は、特に健二郎にとってはさして真新しいものでもなかった。単純に破壊力増強したゾンビが増えるというだけのことである。調布でも明らかになったように、変種でもバレンタイン1号のパワーには敵わなかったのだ。
「これだけのことを説明するためにわざわざ大阪から来なくても、ネット経由とかで十分じゃないですかねえ」
「何言ってるの。特殊感染体研究所はこの研究所のとなりに移転したのよ」
「へ?」
「開所式は来月だけどね。あなたが初めて起動したときに廃屋を壊したでしょう。あそこに建ったのがそうよ」
「え、あの建物がそうだったんですか。知らなかった。いつの間に」
健二郎は少々気味の悪い疑問にかられた。
「あの、ということは、例の変種ゾンビの屍体とか生きた……というのも変ですけど、生きたゾンビがすぐ隣で飼われてるってことですか」
「まあ、そうなるわね」
「あんまり、いい気分じゃないなあ」
「ここなら研究環境も整っているし、事故が起こったときに即応できるからね」
「即応?」
「ゾンビが逃げたなんてことになっても、あなたが殴り込んで行けば解決でしょ」
「なんてこったい」
暢気な会話を繰り広げる健二郎たちに近づく男がいた。田井中である。
「初めまして。田井中です。こちらのみなさんがバレンタイン計画の関係者でしょうか?」
ふんぞり返って栗田は返答した。
「わしがバレンタイン計画のリーダー・栗田清である!」
「ああ、栗田所長。お会いできて光栄です。先生の業績は私どもも聞き及んでおります」
「んっふっふ〜、いやいや、そんな大したことはないよ。鋼鉄の体を組み上げて、それにちょっと脳を移植するぐらいのことだて」
「しかし、それでゾンビ掃討は眼に見えて進捗していますし、将来的にサイボーグ技術は様々な局面で必要とされるでしょう」
「そうだろう、そうだろう。んん〜、君はこの技術の必要性と重要性をよくわかっておるようだ。サイボーグ本人が1番わかっとらんというのも皮肉な話よのう」
栗田は隣の健二郎をちらりと見やって、大げさに嘆いてみせた。健二郎は冷めた眼で栗田の視線を見返すのみに留めた。どうせまた、健二郎の肉体を人質にろくでもないことを言うのが目に見えていたからである。田井中は栗田の言うところは不明であったが、栗田の視線で隣に座る独特な容貌の青年が件のバレンタイン1号であることを察した。
「あなたが三枝健二郎さんですか? 調布では少々危なかったようですが、無事でよかった。一国民として感謝しています」
「いえ、それほどでも。ところで、田井中さんはゾンビの専門家なんですか?」
「うーん、ゾンビパニック発生当初から研究は始めていますけど、専門家と呼ばれて胸を張れるほどの成果が出ていないのが事実ですから、少々面映いですね。何か聞きたいことでも?」
「まあ、ぼくとしてはもっと楽にゾンビ退治できる方法がないのかということですね」
「それが我が研究所の目指すところなのですが、今のところ、彼らを一網打尽できるような方法は糸筋すら見出せていないのが現状です。残念ですが」
「実直な物言いをなさいますのね。田井中さん」
恵美の声色は賞賛とも皮肉ともつかない絶妙なバランスを維持していた。彼女自身は素直な感想を述べただけなのであるが、彼女の怜悧さから、彼女の発言に皮肉を感じる人間が多いのも事実である。田井中も少々鼻白んだようである。
「いや、お恥ずかしい。私ももう少し成果を引っさげてここに来られればよかったのですが」
「いえ、変種に関しては、この短期間で対処方法が明らかになっただけでも成果ですわ」
「そう言っていただけると、徹夜であの変種を解析した甲斐があったというものです。ええと失礼ですが……」
「山内です。この研究所の主幹研究員を務めております」
「ああ、貴女がそうでしたか。田井中です。以後よろしくお願いします」
健二郎は軽い感動を覚えていた。この研究所に来て以来、これほど礼儀正しく、真面目な大人を久しぶりに見たと思ったからである。何せ彼の周囲は、マッドサイエンティスト、女帝、くまだいすきおじさん、まんがだいすきおじさんと、癖のある人物で固められているのだ。
「さて、では今日はこれで失礼します。今日はパソコンゲームの”信長の覇権”の発売日でしてね。一仕事済んだことですし、これから早速プレイするんです。それではまた」
健二郎は自分の周囲の人間に”ゲームだいすきおじさん”が加わったことを知った。
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