第16話 調布データセンターの戦い(その1)
健二郎は通路の奥へ進もうとしたところで、両眼を暗視モードに切り替えた。もうここまでくると目の前は闇である。健二郎はケミカルライトを一本取り出した。樹脂製の棒を軽く折り曲げると、棒の内部に封入された化学物質が化学反応を起こし、蛍光色に発光するライトである。わずかな光源であるが、この程度の光源でも健二郎の両眼には十分である。健二郎は発光させたケミカルライトを前方へ投じた。
事前に受けた説明によると、この先の通路に出るには回転扉を通過しなくてはならないはずなのであるが、ライトに照らされた回転扉はひどい有様であった。
「なんだこれは。回転扉がめちゃめちゃに壊されているぞ」
この回転扉は電子ロックがかかるのだが、電源供給がなされていない今ではただの回転扉になっているだろうということではあったが、ゾンビが通過するにしてもここまで破壊する必要はないはずである。
「しかし、これはひどい壊され方だな。回転軸がへし折れているじゃないか」
「三枝君、こちら岡野だ。問題発生かね?」
「問題というほど問題でもないですが、ぼくの視界映像見えますか? 金属製の回転扉が壊されています。ゾンビの怪力でもここまでできますかね?」
「うーん…ゾンビにしても異常だが、人の手によるものでもなさそうだな。ともかく十分気をつけてくれ。エントランスにバックアップの部隊を待機させておく」
「了解。ありがとうございます」
健二郎は再び歩を進めた。埃のたまった通路には何かが歩いた跡が認められた。幸か不幸か、生きた人間のものではなくゾンビのもののようである。ケミカルライトを二本投じたところで目標のサーバールームに到達した。サーバールームは指紋認証で解錠される扉であるが、電源供給が絶たれていてもロックされたままのはずであった。そのため、健二郎は部屋の扉を力ずくでこじ開ける手はずだったのであるが、それも無用であった。先の回転扉同様に、こちらの扉も破壊されていたからである。
健二郎は身を潜めて内部の様子を集音センサーで探った。ゾンビパニックが発生する前は、激しい空調と数千台のサーバーに装着された数万個の冷却ファンががなり立てる風切り音で不快な賑やかさに満たされていた部屋であったはずであるが、いまはゾンビの呻き声と足音が低く、重苦しく聞こえるのみである。
集音センサーには相当数の反応が認められた。
「ゾンビが……約100体だと!? こんな狭くて奥まった場所によくも流れ込んだもんだな。まったく」
健二郎は短剣を腰の鞘に収め、代わりにナイフを握った。見た目は軍隊で使用されるような大型の戦闘用ナイフであるが、これも超合金製で、重量は10キログラムほどもある。切り裂くと言うより断ち切るという方が正確であろう。
健二郎はまずケミカルライト数本を適当にサーバールーム内に放った。鈍い光と乾いた落下音にゾンビの数体が興味を示したようであるが、大勢はうめき声を上げながら揺らめいているだけである。健二郎の現在位置から目標のサーバーまでは部屋の端から対角線上の端、つまり最長距離にある。部屋は奥に長く伸びた長方形で、約1メートルごとに黒いサーバーラックが20列ほども並んでおり、その合間にゾンビがひしめいている。
「まるで中国の……ええと、兵馬俑だったか。あれみたいだな。さて、そんなことより、おしごとおしごと」
健二郎はポケットから小さなキューブ状の物体を3個取り出した。スイッチを入れてから5秒後にゾンビが最もよく聞き分けられる音域の音を発する、ゾンビを誘因するための小型スピーカーである。
「ほいなっ。ほいなっ。ほいなっ」
健二郎が続けざまにキューブを投げた5秒後に、部屋の3カ所からこの場にはまったくもって不釣り合いな少女たちの歌声が響きだした。健二郎はよく知らなかったが、"アップルトン"という、5人の少女から成る音楽ユニットだという。ゾンビはそもそも音に敏感であるが、少女の声が最もゾンビの気を引くという研究結果が出ているので、これを利用した防ゾンビグッズである。市販品であるが、多数の製品の中から"アップルトン"の曲を選んできたのは小松川である。
ゾンビが咆哮を上げながらキューブに殺到する。数年ぶりに耳にする人の声だからであろうか、ゾンビがゾンビを押しのけ踏み潰す異様さである。
「うむむ…こんなに食いつきがいいとは思わなかったけど…まあいい、その方が仕事がしやすい」
健二郎は先ほどから脳裏に浮かぶ違和感を追い払って、ナイフを構え直した。ゾンビはキューブの音源に殺到しているので、こちらを向いていない。静かに、鋭く、素早くゾンビの背後に接近し首をはねる。崩れ落ちる胴体を後方に押しのけ、直近のゾンビの首を握り潰し、次のゾンビの首を掻き落とす。返り血を避けようもない、狭い空間である。健二郎の体は瞬く間にゾンビの返り血で斑模様に染まった。
次々にゾンビの首をはね、潰し、捩じ切って、30体ほども活動停止に追い込んだころには、ゾンビも異常に気づいたようである。キューブからの音源を放置してサーバーラックの間を縫うように歩き始めた。
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