第15話 侵入

 翌週、研究所から3機の大型ヘリが東京都調布市に向けて離陸していった。編成は西戸塚貨物駅のときと同じ、多用途ヘリが2機と輸送ヘリが1機である。輸送ヘリはバレンタイン1号の応急処置を施せるように改造された、特別仕様機であるチョコレート・ワンである。多用途ヘリには岡野によってコードネームがつけられていた。指揮機のクツログマ1と予備機のクツログマ2である。

 クツログマとはゾンビパニック発生の数年前に流行した熊のマスコットキャラクターである。熊から連想される獰猛さの欠片もなく、だらだらとくつろいだ様が若い女性を中心に人気を集めたものだった。


 チョコレート・ワンの機内では健二郎が最終チェックを開始するところであった。恵美は研究所にある作戦室と交信してバレンタイン1号の戦闘モードへの移行許可を求めた。

「作戦室へ。こちら山内。バレンタイン1号の戦闘モードへの移行許可をお願いします」

「こちら岡野。許可します」

「こちら小松川。許可します。三枝君、頼むよ!」

「健二郎君、移行許可が下りたわ。戦闘モードに移行して」

「りょうかい。モード変更、戦闘モード!」

 健二郎の視界にレティクルや各種データが表示されるとともに、腹部の動力炉が出力を増大させていく。指先までパワーが行き渡るのを健二郎は感じた。

「恵美さん、移行完了しました」

「よろしい。それじゃ服を脱いで」

「いやん」

 健二郎は携帯タブレットの角で頭を殴られた。

「ひどいな恵美さん。壊れたらどうするんですか」

「そのときはもっとブサイクな顔にしてあげるわよ。アホやってないで服を脱いで」

「は〜い」

 恵美が健二郎の身体の各所にケーブルを挿していくのと平行して、スタッフはモニターやコンソールの準備を整えた。

 恵美の指示でスタッフはきびきびと動き、続々と恵美の元に報告が寄せられる。

「うん、ここまでは異常ないわね。健二郎君、暗視モードにしてみて。はい、サングラス」

 健二郎はサングラスをかけた。異常に濃いサングラスで視界が急激に暗くなる。健二郎は視界を暗視モードに変更した。色彩はくすんでいるが、先ほどまで見ていたのとほぼ変わりない映像が健二郎の脳に結ばれた。

 健二郎の視界をモニターでトレースしていた恵美は満足げに頷いた。

「うん、大丈夫なようね」

「ええ、大丈夫です。これなら建物の中が真っ暗闇でも、適当に光源をばらまけば見えるようになるでしょう。心配には及びません」

「心配? 誰が誰の?」

「ええと、僕が僕のです」

 噛み合わない会話をしているうちに、指揮機のクツログマ1から通信が入った。

「こちらクツログマ1。まもなく降下予定地点に到着する。準備されたし」

 健二郎は立ち上がって戦闘用ヘルメットを装着した。今回は超接近戦が見込まれるので防具をいつもより多くの箇所に装備する。腕と手首をガードするガントレットと脚をガードするレガース、さらに首を防護するネックガードを装着した。

 武器は屋内で使用する短剣を1本とナイフ2本を腰にマウントし、手には薙刀を取った。全て超合金製で、普通の人間では振りかぶることも難しい重量である。

 今回も離れた場所から健二郎が単独で降下し、敷地内に突入する予定であるので、屋外で振り回せる薙刀は必要であった。

 建物の屋上に降下して、屋上から対象を目指すという案も挙げられたが、周囲に高層の建物が多く、ヘリが近づくのは危険であろうとの指摘があったので、ならばと健二郎が外からの突入を買って出たのだ。

「外のゾンビを掃討しながら中に入りますよ。ついでだけど少しでも国土回復に近づくでしょう。小松川さん、かまいませんか?」

 小松川も特に反対はしなかった。


 健二郎はそもそも、大学の卒業と就職と無駄毛の永久脱毛という餌に釣られてゾンビ掃討作戦に加わるようになったのであるが、作戦から帰還するたびに兵士や研究所スタッフから送られる、純粋な歓呼に戸惑いと心地の良さを感じていた。

 絶世の美男子であった健二郎は他人に見惚れられるということには慣れていたが、学業も運動も不得手な健二郎は、仕事の成果を賞賛されるということには慣れていなかったのである。健二郎はこの仕事の成果が、バレンタイン1号の性能によるものであるとは重々承知していたが、それでも誰かの、何かの役に立っているという実感は得難いものであったのだ。


「こちら機長。降下地点に到着した。いつでもどうぞ!」

 健二郎は機体側面のハッチを開けた。高度は20メートルと測定されている。この程度ならロープは不要だ。

「がんばれよ! 健二郎!」

「気をつけて! 健二郎さん!」

「早く帰ってこいよ!」

 研究所スタッフと兵士の激励に健二郎は威勢よく応じる。

「まかせといて! それじゃ行くぞ! アローハーーーーーあああああああ!?」

 健二郎が機外に身を投げて一直線に降下したその先は、街角夢売り場、即ち宝くじの路上売店であった。バレンタイン1号とその装備の重量に、小さな売り場はひとたまりもなく粉砕された。

「なんてことだ、失敗した。華麗に着地するつもりだったのに。まあいい、気を取り直して行くぞ!」

 健二郎は目標の建物に向かって駆け出した。


 相変わらず目標に対してほぼ直線の経路しか示さないナビに沿って、健二郎は走った。都心に近い分、これまでの作戦地域より路上を徘徊するゾンビの数は明らかに多かった。健二郎は眼につくゾンビの首を片端からはね飛ばし、哀れな彼らに永遠の安息を与えていった。

 10分程度で健二郎は目標の建物に到着した。降下地点からそれほど距離はなかったが、そこかしこに散らばったゾンビを掃討しながらの進撃だったので少々時間がかかったようだ。

 健二郎はエントランスに侵入した。エントランスはさほど広くもないが天井は高く、まだ太陽光が差し込んでいた。ざっと50体ほどのゾンビが健二郎の侵入に気づいて、群がり寄ってきた。

「むむ、やっぱりいたかあ。こちら健二郎。エントランスにゾンビを確認した。掃討にかかる」 

 健二郎はゾンビの群に向かって駆けた。駆けながら薙刀を振りかぶり、首をはね飛ばそうとして失敗した。ゾンビが健二郎の想定よりも速く飛び込んで来たので、刃ではなく柄で殴打する形になってしまったのだ。柄では首ははねられない。しかし、バレンタイン1号のパワーで殴られて無事で済むはずもなく、殴られたゾンビは壁に叩き付けられた。

「んん? 間合いを読み間違えた?」

 ゾンビが速かったのか、健二郎が遅かったのか。にわかに判断はつかなかったが、とにかく今のままでは懐に飛び込まれてしまう。噛まれてもゾンビにならないとわかっていても、食われるという生理的な嫌悪感は拭いようもない。健二郎は気を取り直してゾンビ掃討にかかった。

 健二郎が薙刀を真一文字に振り抜くと、今度は7体分の首が飛んだ。しかし、健二郎は違和感を感じていた。

「変だな。手応えが重いぞ」

 バレンタイン1号の不調なのであろうか。それとも、自分が油断したのだろうか。あるいはゾンビが異常なのであろうか。しかし、考えている時間はない、ゾンビはすぐそこまで迫っているのだ。健二郎が前方に一気に踏み込んで、続けざまに薙刀を8回振り払い終わったときには、残りのゾンビ全てが床に崩れ落ちていた。埃が積もり、色褪せたエントランスはゾンビの血と腐汁でどす黒く染色された。

「クツログマ1へ、こちら健二郎。エントランスを確保した。これより奥のサーバールームへ向かう」

「クツログマ1了解。気をつけろよ」

 健二郎は薙刀を捨て、腰の短剣を抜いた。奥へ続く通路へ健二郎は慎重に歩を進めた。

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