第13話 哀しき結末

 健二郎は岡野への通信回線を開いた。今日の岡野は研究所の本部ではなく、現場の後方で作戦の指揮を執っている。

「三枝君、こちら岡野だ。どうもレアなケースに当たったみたいだな」

「こちら健二郎。ええ、家中の窓もベランダへのガラス戸も全部無傷で鍵がかかっていたのに、家の中にゾンビがいたんです」

「ふむう」

 あまり時間を取られたくはなかったが、侵入経路は明らかにするべきだと岡野は考えた。ゾンビの未知の能力による事態かもしれないのである。

 健二郎は1つの可能性に思い当たった。

「もしかしたら、あのゾンビはこの家の住人だったんじゃないでしょうか。ゾンビに噛まれて、自分が他人に危害を及ぼさないようにと中から鍵をかけてそのまま…」

「なるほど…」

 重苦しくなりかけた空気の中を小松川の甲高い声が割って入ってきた。小松川は研究所の作戦室にいるのだが、作戦の模様はすべて研究所の作戦室でも把握できるのである。

「なんにしても、その家の住人の所在を確認してみては? その地域の住人はほとんど避難しているはずだからね。その家の住人に連絡を取って、避難の際の状況を詳しく聴取するんだ」

 小松川の提案に岡野は同意した。

「そうだな、確認してみよう。小松川、すまんが頼まれてくれるか。三枝君、その家の情報を作戦室に送ってくれ」

「健二郎了解、作戦室に情報送ります」

「こちら小松川、情報を受領した。30分待っていてくれ」

 小松川は彼の部下たちに指示を出すとともに、自らもいずこかに電話をかけ始めた。


 30分もしないうちに小松川は情報を得たようである。研究所から無線通信が入ってきた。

「その住所の住民は全員、島根県で健在だよ。家の写真も見てもらったけど間違いなくその家で、避難するときは家族全員で鍵の確認をしたそうだから、住民の避難後に誰かが侵入したというわけでもなさそうだね。もちろんゾンビを閉じ込めたなんてこともしていないそうだよ」

 小松川の無線越しの報告に健二郎たちは困惑したが、その困惑の仕方は各々微妙に異なっていた。

「それはよかったけど、じゃ、このゾンビはどこからこの家に侵入したんだ?」

 健二郎の足下には先ほど活動停止させたゾンビの首と胴が転がっている。これまで何千何万と見てきたものが途端に不気味に映った。

「健二郎君の視界カメラの記録を見てみましたけど、出入り口におかしなところはありませんね。完全な密室だわ!」

 恵美は反対に謎が深まったことに奮い立ったようである。

「うーん、全身の骨を砕いて通風口から入って、また元に戻ったとか?」

 小松川の意見はいくらなんでも漫画の読み過ぎであろうと思われた。

「とりあえず、調査班を編成してその家に向かわせよう。三枝君は次の対象に向かってくれ」

 岡野は軍人らしく現実的な対応であった。


 健二郎は得体の知れない恐怖を感じていた。これまで健二郎が打ち倒してきた者共はたしかに歩く屍体という超自然的な存在であったが、自然に還す方法がないわけではなかった。しかし、この家で経験したことは、健二郎の持つ物理的な力だけでは対処できない何かが起こりつつあるのではと、健二郎に予感させたのである。それは、健二郎のみならず人類の存続にも関わってくる”何か”である。健二郎は戦慄した。

 嫌な予感がするときは嫌なことが続くものだ。暗雲が重く重くたれ込めてきたのである。すぐに、この季節にしては冷たい雨が降り始めた。

「雨か……」

 健二郎はブサイクなのに愁いと不安を帯びた目で頭上を見上げた。ふと、健二郎は途轍もない焦りと恐れと困惑を感じた。ありもしない心臓が縮み上がるのを覚えた。かくはずのない冷や汗をかいたと思った。衝動を抑えきれなくなった健二郎は全力で石畳を蹴って上空へと跳んだ。

「うあああああ!」

 健二郎の絶叫に、健二郎と通信していた恵美と岡野と小松川の3人は顔色を変えた。

「どうしたの、健二郎君!」

「なにがあった!」

「三枝君!」

 健二郎は腹の底から吠えた。

「ごめんなさあああああい!」

「は?」

「は?」

「は?」

 健二郎が頭上を見上げて見たものは半壊したベランダの柵であった。問題の家のものではない。隣接区画に建つ高層マンションの一室である。そして、健二郎が10メートル上空へ跳んで眼下に見たものは、広い屋根の中央に設けられた大きな天窓であった。しかしその天窓は激しく破壊され、窓の用を為さなくなっている。健二郎がそのまま天窓へ飛び込むと、豪華なキングサイズのベッドが健二郎の体を受け止めた。健二郎が飛び込んだのは寝室のようである。

 この家の2階は、この寝室をぐるりと取り巻くように部屋が配されているのである。健二郎はそのことに気付かなかった。健二郎は各部屋の窓とベランダへ続くガラス戸の鍵の確認に意識を集中するあまり、2階中央の寝室を完全に意識の外に置いてしまっていたのである。

 問題のゾンビは元々は隣接区画の高層マンションの上層階にいたのである。それがベランダの柵を壊して転落し、隣接区画に建っていたこの家の天窓を突き破ってベッドに落着した。以後、問題のゾンビはこの家の中を歩き回るはめになったというわけである。


 健二郎は寝室で立ち尽くしたまま、状況を説明した。健二郎の推理を裏付けるように、ベッドにはゾンビの体液が染み付いているし、寝室のドアノブにはゾンビが手をかけたと思われる跡が残っていた。まだ”事件”が起きてから日も浅いのであろう。

 恵美たちも一安心したようであるが、そこからの対応は様々であった。

「まったく、人騒がせな。健二郎君、あなたが最初から全部の部屋を見て回っていれば、こんな騒ぎにならなかったのよ」

 一部のマニアでもなければ肝が底冷えするであろう冷たさで、恵美は健二郎の迂闊ぶりを指摘した。常人であれば平伏せざるを得なくなるような恵美の威風にも耐えて健二郎が反論を試みられたのは、恵美も健二郎の視界をトレースしたはずだからである。

「すみません。いや、でも、仕方ないじゃないですか。こんな大きな家の屋根、地上から見渡せないですよ。それに、相手はゾンビですよ。最初から損壊した死体なんですよ。科捜研の人でも何が起こったのか推測なんてできませんよ。それに恵美さんもぼくの視界の記録を見ましたよね? 恵美さんもぼくと同じミスを犯したんじゃないですか?」

 恵美は冷然と、そして傲然と健二郎の反撃をはね返した。

「なんのことかしら? とにかく、岡野さんと小松川さんにはちゃんと謝るのよ。はあ、まさかガイシャが隣のマンションから落ちてきたなんてね。とんだ密室だわ」

 岡野は何より安心したようである。

「いやあ、未知のゾンビだとかそんなのでなくてよかった。まあ、三枝君、以後気をつけてくれたまえ。再発防止策は後で練るとしよう」

 小松川は笑いが止まらないようである。

「三枝君は本当に面白いねえ。ゾンビ掃討なんて過酷な仕事をしながらこんな刺激を与えてくれるんだからね」


 こうして、あすみ野密室ゾンビ事件は解決し、この日の作戦も成功裏に終了した。人類はまた少し生活圏を取り戻したのである。

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