第12話 密室のゾンビ

 桜は散ってしまったが、ようやく暖かい日が続くようになった。そう思われていたのに、今日は一転して肌寒い日である。空は重い雲に覆われ、風は冷たかった。

 健二郎は千葉県千葉市あすみ野のゾンビ掃討に狩り出されていた。ゾンビパニック発生前は、明るく緑に囲まれた瀟洒な街だったのであろう。しかし、今や建物は色あせ、地域全体が荒れ果てている。活力に満ちているのは草木と昆虫類ぐらいである。ただ、この辺りは血の跡があまり見られないのが救いであった。都心から離れているので、ゾンビパニック発生の情報が伝わり、ほぼ全ての住民は避難したということである。

 それでも、ゾンビはいた。肉を求めて、あるいはあてどもなく、ただ風に煽られるままにやってきたゾンビたちであろう。数こそ多くはないが、このような住宅街に紛れ込んだゾンビの掃討は骨の折れる作業であった。屋内に入り込んでしまったゾンビを捜し出さなければならないからである。屋内といっても、広い空間の集まった商業施設などでの捜索は比較的容易であるが、マンションなどの住宅街となると一戸一戸を捜索するので大変な時間と人員が必要であった。

 そのように時間と手間をかける必要があるのかという議論もあった。ゾンビパニック発生からメンテナンスもされないまま4年が経ち、建物の資産価値など無きに等しくなったいま、そのような手間隙をかけずとも、爆薬などでゾンビもろとも爆破解体してしまえというのである。さらに論が進むと、現状のゾンビ封鎖線を維持して封鎖線内は放棄すればよいと言い出す者もいた。しかし、これは封鎖線内の地域にしがらみのない者による暴論であった。建物の価値は無きに等しくなっても、建物の中には資産、と言うよりそこで生活していた人々にとっての価値あるものが残されたままだったからである。関東地方およそ四千万人の被災者感情を無視することはできなかった。もっとも、そのうちの数百万人がゾンビ化しているのであるが。

 

 そういうわけで、軍は住宅地であれ商業地であれ、できるだけ無傷で奪還し、封鎖線を縮小していくという地道な作戦をほぼ毎日、展開しているのである。そんな作戦に今日は健二郎と岡野の中隊も加わっていた。別段、特別なことではなく、これまでにも住宅地のゾンビ掃討作戦に参加したことは何度もあった。

 健二郎はいつものように単独で掃討にあたった。健二郎が割り当てられたのは、およそ300軒の一戸建て住宅が建ち並ぶ区画である。岡野の中隊は隣接する区画の高層マンションを捜索している。高層マンションは捜索の手間隙はかかるが、一戸建て住宅よりゾンビと遭遇する確率が格段に低くなるので、このような割当になったのである。

 

 この日のような、どこに潜んでいるかわからないゾンビを捜索し、掃討する作戦では、ゾンビが音に敏感であるという特性を利用する。

 家屋外では常に何かしらの音を出し続ければ、道路や庭などを歩くゾンビはおびき出されてくるので、これを活動停止させればよい。

 家屋内の捜索は、まず玄関ドアや窓に集音器を当て、呼び鈴を鳴らしたり、激しくノックをするのである。ゾンビは音に反応して必ず動き出すので、その音を聞き取るのである。何も聞こえなくとも、家の周囲を必ず巡って確認する。窓や他の扉が破られたりしていれば当然、家屋内の捜索に移る。

 

 ゾンビが、ドアなどの扉を開けられるのかという疑問は、ゾンビパニック発生当時から上がっていた疑問であるが、これは観察の結果、開けられる場合と開けられない場合があるとしか現在のところ答えようがない。脳や手の損傷の程度、また扉の材質や開閉方向、さらにドアノブの形状などによっても変わってくるからである。当然、貧弱な扉であれば力ずくで破られることもある。

 窓やガラス戸の場合は少々事情が異なる。ゾンビは透明なガラスを認識できないようで、ガラスにぶつかれば、たいていの場合これを破壊してその先へ進もうとすることが観察の結果判明している。

 無論のこと、ゾンビに鍵の開閉は不可能である。鍵のかかった部屋からゾンビが発見された例は極めて少なく、それも、何かの拍子で鍵がかかったか、何者かがゾンビを閉じ込めた結果であった。


 健二郎は自分の歌声を大音量で鳴らしながら住宅街を歩いていた。彼がサイボーグ化される前に録音していたものである。健二郎にとっては、自身の肉体同様、自身の歌声さえも鑑賞の対象なのである。その歌声は確かに美声であるし、技術的にも高く評価されてしかるべきであろう。健二郎の数少ない特技である。

 健二郎はちょうど100軒目の住宅の捜索にかかるところであった。健二郎はここまで幸いなことにゾンビと遭遇しなかったが、岡野の中隊が捜索しているマンションにはゾンビがうろついているらしく、散発的に銃声が聞こえていた。


「やっと100軒目か。ようやく終わりが見えてきたぞ。高校生の頃、ポスティングのバイトしたことがあったけど。あれは文字通りポストにチラシ突っ込めば終わりだったからなあ」

 100軒目の住宅は普通の一戸建て住宅の4〜5軒分もありそうな、2階建ての壮麗な住宅であった。開いたままの門扉から玄関ポーチへ向かう。ドアにヘルメットから伸びた集音器を押し当ててノックをすると集音器を通じて、健二郎の耳に生気のない呻き声と引きずるような足音が聞こえてきた。バレンタイン1号のコンピュータはその声紋と足音を一瞬で分析し、音の正体がゾンビであると判定した。

「ようやくご在宅か。宅配便の配達員の苦労が忍ばれるな」

 玄関ドアには鍵がかかっていたので健二郎は庭へ回った。しかし、庭へ下りるガラス戸は全て無傷のままであった。鍵も深くしっかりとかけられたままで、何かの拍子に鍵がかかったとは思えなかった。裏口も無傷で、鍵がかかっていた。家の外観にも特に異常は認められなかった。

「おかしいな」

 健二郎の控えめな頭脳でも疑問ではあったが、とにかくゾンビは活動停止させなければならない。健二郎は強引にガラス戸の一つをこじ開けて屋内に侵入した。ゾンビ活動区域では、ゾンビ掃討のためであれば令状や許可がなくとも家屋への侵入が許可されるので、法的に問題ないとはいえやはり気後れするものである。

「おじゃましまーす!」

 健二郎の声が聞こえたのか、呻き声と足音が近寄ってきた。部屋の入口から現れたゾンビは、健二郎の姿を見るや、健二郎の体に食らいつこうと襲いかかってきた。健二郎は体を捌いてゾンビを避けるとそのままゾンビの背中を押して、庭へゾンビを追い出した。健二郎は腰の短剣を抜き放って起き上がろうとするゾンビの首を一刀で斬り落とした。汚濁した体液が荒れた庭に噴き出し、荒涼とした景色を凄惨な景色に変えた。わざわざ庭でゾンビの首を落としたのは、荒れているとはいえ、家の中という温かくあるべき空間をゾンビの血で汚したくなかったからである。顔はブサイクなれど、心はブサイクにあらずという健二郎なりの美学である。


 健二郎は集音センサーを起動して他にもゾンビがいないか確認したが、この一体だけのようであった。健二郎は外へ続く窓や扉を確認して回ったが、おかしなことに全て無傷で、施錠されていた。

「となると、あのゾンビはどこから入ってきたんだ? いや、ここの住人がゾンビを閉じ込めたのか?」

 健二郎は2階に上がった。ゾンビが2階の出入り口から侵入するとは考えにくかったが、先の西戸塚貨物駅で遭遇したような、強力な脚力を持つゾンビがいないとも言えない。健二郎は2階をぐるりと一回りしてみたが出入り口は、窓もガラス戸も全て無傷で、施錠されていた。

 健二郎は再び庭へ下りた。家の中にいるのは危険なように思えたからである。センサーに感知されないだけで、未知の何者かが潜んでいるかもしれないのだ。

「健二郎君、聞こえる? 山内よ。なにかおかしなことになっているようね」

「ああ、恵美さん。ある家の中にいたゾンビを一体、活動停止させたんですけど、こいつがどこからこの家に入ったのかわからないんですよ」

「ドアや窓の鍵は全部かかっていたのね?」

「ええ、しっかりと。何かの弾みで鍵がかかったような感じじゃありませんでした」

「ふーん、となると、誰かがその家に閉じ込めたか…」

「恵美さん?」

「これは密室ね!」

「密室?」

「そうよ、鍵のかかった家の中の屍体となれば密室殺人じゃないの」

「はあ、それはそうですが。殺人というかゾンビですけどね」

「同じようなものよ。とにかく岡野大尉に報告した方がいいわね。私は健二郎君の視界カメラの記録を再確認するから!」

 バレンタイン1号の眼は高性能のカメラでもあり、当然、健二郎が見た光景は全て記録される、恵美はそれを全て再確認すると言うのだ。

「恵美さん、もしかして興奮してます?」

「そんなことないわよ。ただ、サスペンスドラマみたいだなあって」

「恵美さんがサスペンスドラマ好きだなんて、初めて知りました。さしずめ、あすみ野密室殺人事件ですか」

 健二郎は、恵美への軽口が自分の不安を打ち消すための強がりであることを自覚していた。

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