第11話 日常!
桜の花びらがふわふわと心地の良い風に乗っていた。暖かな日差しはあまりに過酷な現状を脳裏から溶け出させるかのようである。
健二郎も作戦室でふわふわしていた。携帯端末で自分の写真を見つめたり、わら半紙に自画像を描いてみたりしながら、誰か手の空いた人間がいないか室内を眺めているのである。ようするに、暇で寂しいから話し相手が欲しいのだ。いつもなら自身の顔を見に研究室へ赴くところなのだが、今は栗田と恵美とスタッフが研究室に閉じこもって何やら作業中なので中に入れなかったのだ。
作戦室に来てみれば、岡野は司令部に、小松川は府庁へそれぞれ報告、連絡、相談のために出かけていた。あの伊藤だか佐藤だかに会うのだという。となると、話ができそうな人間はこの作戦室にしかいないのであるが皆、忙しそうである。
「今日は訓練もないし、体が錆び付いてしまいそうだ。文字通りに。何かやることやること」
健二郎もサイボーグにされて以来、一応訓練をしているのである。バレンタイン1号のパワーに任せておけば大体のことは力ずくで解決できるのであるが、それでも無駄な出力を抑えれば、部品の損耗も少なくなるからということだった。何よりも、脳が動きのイメージを持っていると、バレンタイン1号の性能をより引き出せるようになるという。
「仕方ない、1人ぼっちで訓練でもしてくるか」
健二郎は訓練場に向かった。訓練場といっても元々は倉庫だった建物にマットを敷いて、訓練用の道具を運び込んだだけである。
訓練場で健二郎は戦闘訓練用ヘルメットを装着した。鏡に映るブサイクを見たくないのだ。
健二郎は訓練用の刀を手に取って構えた。無論、剣道や居合いの構えではない。健二郎がゾンビとの戦いの中でいつの間にか身に着けていた、ゾンビ掃討に最も適した構えである。ゾンビの首をはねるために、剣道と違い横方向に振るための構えであることが特徴である。普通の人間であればすぐに腕が痺れてくる構えであるが、サイボーグにとっては大した問題ではなかった。
「うん、きれいだ」
満足した健二郎は次に必殺技を編み出そうと考えた。この独自の構えから繰り出される奥義である。健二郎は鏡を見ながら、美麗に流麗に華麗にゾンビを打ち払う技を模索した。破壊力や効率よりも追求すべきは”美”であった。
健二郎は元々運動能力やセンスがある方ではない。むしろ、平均以下の能力とセンスしか持ち合わせていない青年である。それが曲がりなりにも、ゾンビの大群を体一つで掃討してこられたのは、ひとえにバレンタイン1号の運動性能によるものである。おかしな話ではあるが、バレンタイン1号は健二郎の肉体よりもはるかに健二郎の意図を反映した動きをこなすのである。健二郎はそれを重々承知してはいたが、無断でブッサイクなサイボーグにされたあげく、ゾンビのただ中に放り出されたのだ。せめてこのよく動く体を堪能するぐらい許されても良いではないか。
「さて、潤滑油も暖まったところでやってみるか。モード変更。訓練モード」
健二郎がそう宣言すると、健二郎の視界に戦闘モードと同様のレティクルやデータが表示された。
訓練モードとは、パワーを抑えた戦闘モードである。さらに、健二郎にはゾンビの群れが見えている。ヘルメットではなく、バレンタイン1号のコンピュータが健二郎の脳に見せているゾンビで、これまでの戦闘記録を基に挙動がシミュレートされる。これをコンピュータと連動した訓練用の刀で攻撃するのだ。見ようによってはバーチャルリアリティを利用したコンピュータゲームである。
「うーん、まずはゾンビ100体でいくか。半包囲された状態から訓練開始」
100体のCGゾンビが一斉に健二郎に襲いかかる。健二郎は実戦で繰り出すような力任せの斬撃ではなく、たったいま編み出した”奥義”を繰り出してみた。しかし、CGゾンビの大群はいささかの動揺もなく、感銘も受けずに健二郎の全身に食らいついた。視界の中で目まぐるしく損傷報告の表示が点滅し、アラートがけたたましく鳴り続ける。30秒後、コンピュータは作戦失敗の判定を下した。
「だめだったか。やっぱりゾンビが相手じゃ小細工は無用だ。力こそ正義なんだなあ」
健二郎は悄然と訓練場を後にしたのであった。
健二郎が暇を持て余している間にも、栗田と恵美は研究室でバレンタイン1号の改良に努めていた。
より軽く、より小型化してエネルギー消費を抑えるとともに、より安価にしなければならないのである。バレンタイン1号は圧倒的なパワーを誇る高性能機ではあったが、エネルギー消費が大きすぎた。これまでは問題にならなかったが、今後、より厳しい戦いが続けば作戦途中にガス欠などによる機能停止など起こしかねない。加えて、健二郎もなかなかに力任せな戦い方をするので、部品や部材の消耗が激しく、交換費用も鰻上りであった。
ゾンビに対して極めて有効であることと、政府も開発に関わっているので、開発中止ということはないであろうが、限度というものもあろう。バレンタイン1号のアップデートは常に行われなければならなかった。
恵美は3枚のディスプレイと数名のスタッフに囲まれながら、しなやかな指でコンピュータのキーボードを叩き続けていた。中央のディスプレイには英数字の羅列が凄まじい速度で書き連ねられていき、右のディスプレイに描画されたバレンタイン1号の三次元CGモデルは目まぐるしく動き回り、左のディスプレイでは検証結果のログが断続的に流れていく。スタッフとディスプレイから続々ともたらされる報告と情報と質問と提案を前にいささかも動ずることなく、次々に指示を飛ばすその様は、まさに敵の大軍に怯むことなく戦場で采配を振るう女帝であった。
栗田は別のスタッフとこの日の朝に届けられた義手の試作品を囲んで動作テストの最中であった。従来品より3パーセントの重量軽減に成功しているはずで、事実、重量は軽減されていたのであるが、出力が従来品を下回っていた。これでは意味がないと、朝からずっと問題解決にかかりきりなのである。栗田としては、潤沢な予算が約束されていて、いくら費用がかかっても維持、運用が可能なバレンタイン1号のアップデートなどより、次の研究に取り掛かりたかったのであるが、次の研究へのゴーサインが、バレンタイン1号の戦績とコストが釣り合うか否かにかかっているので渋々、コストカットのための改良に取り組んでいるのであった。
栗田たちは小休止に入った。栗田と恵美はスタッフが淹れた茶を飲んで人心地ついた。
「やれやれ、こんなちまちま切り詰めるような真似せんでも、予算はじゃぶじゃぶ使えるんだから、壊れたら即交換ということでいいと思うんだがの」
「栗田所長、研究者たるもの常に予算と戦うものですよ。他の研究者の方々の恨みを買うような発言は慎んでいただかないと」
「わしは常日頃から予算獲得のために努力を惜しまなんだぞ」
「そうですね。政府の偉い人たちと仲良くしておくのも一つの方法ですね。奥飛騨の温泉旅館でのどんちゃん騒ぎ。楽しかったようで何よりです」
「なぜ知っとるのかね」
「私、安心したんですよ。マッドサイエンティストの呼び声も高い栗田所長にもそのような俗な一面があるんだなって」
「君もばっさりものを言う娘だのう」
「それほどでも。さて、続きにかかりましょうか」
「うん、そうだの」
栗田と恵美は再び作業に取り掛かるべく立ち上がった。バレンタイン1号のブサイク面をなんとかしようと言う声は、最後まで上がらないまま、湯のみの茶は飲み干されたのであった。
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