第10話 西戸塚貨物駅の戦い(その2)
管理棟周辺のゾンビを蹴散らして、健二郎は管理棟に侵入した。管理棟は3階建てで南北に長い、ごく普通の鉄筋コンクリート製の建物である。
「うへえ」
健二郎はうんざりした。建物の中までもゾンビで溢れていたのである。
「タカノブ1へ、これより管理棟内の掃討にかかる」
「タカノブ1、了解。十分注意されたし」
「りょうかい。さあて、おしごとおしごと!」
健二郎は刀を鞘に納めて、短剣を抜き放った。思いのほか狭い廊下なのでこの方が動きやすいのだ。
健二郎に気づいたゾンビが群がり寄ってくる。健二郎は駆け出した。ゾンビ2体の首をはねたその流れで強烈な回し蹴りを放ち、後続のゾンビの頭部を粉砕する。狭い通路はすぐにゾンビの体液で壁といわず天井といわず、悉く塗り籠められた。ゾンビの頸椎は断ち斬られ、頭骨は叩き割られた。永遠に動き続けるかと思われた屍体はようやく永遠に動かなくなった。
1階の掃討を完了して健二郎は2階へ向かった。通常、地上階より上は地上階に比べてゾンビの数は格段に少ない。ゾンビは階段などの段差の昇降を苦手としているからなのだが、これは脚の筋肉が食いちぎられたり腐乱したりしているためである。この建物も例外ではないようで、1階に比較して2階のゾンビの数は少ない。健二郎は着実にゾンビを活動停止させていった。
屋内で頼りになるのは集音センサーである。ゾンビは息をひそめるなどということしないので、呻き声や呼吸音は常に聞こえるのだ。
「ゾンビの呼吸に意味があるのかね」
健二郎はそう疑問に思わないでもなかったが、反射的なものか、ほぼ全てのゾンビには呼吸のような筋肉の動きが認められるのである。
「タカノブ1へ、こちら健二郎。2階の掃討終わり。3階へ向かう」
「タカノブ1、了解。あとはそこだけだ。頼むぞ」
健二郎は3階へ上がった。右手へ向かって廊下が伸びている。正面はトイレのようだ。まずはここから捜索と掃討を開始しようとしたそのとき、健二郎の後部センサーが警告を発した。健二郎が反射的に振り返った顔面に、ゾンビの飛び蹴りが炸裂した。健二郎はもんどりうって女子トイレのドアを破り、便器を大破させた。
「しまった! 走る個体か!」
ゾンビの中でも珍しい、走ることができる個体である。脚をはじめとする全身の筋肉がほぼ損傷していない場合にのみ発生すると言われているが、ゾンビに食いつかれてゾンビ化する以上、これはなかなかに矛盾した存在なのである。健二郎の目の前の個体も四肢に咬み傷が見られない。しかし、胸部に大きな穴が開いている。呼吸をしない、というより肺を食い破られて呼吸ができないゾンビである。
「くそ! どこから!」
走るゾンビにしてみれば、3階から屋上へ続く階段の踊り場に突っ立っていたら、健二郎がのこのこ上ってきただけのことである。
健二郎が便器から体を起こすより早く、走るゾンビは迫って来た。健二郎は左腕を突き出してそれに応じた。ガントレットにゾンビを噛み付かせてから短剣で走るゾンビの首を落とそうとしたのだが、走るゾンビは健二郎の左手を蹴り上げて、もう一度健二郎の顔面に蹴りを叩き込んで来た。ゾンビの怪力による全力の蹴りである。ヘルメットのバイザーが砕け散って、ブサイクが露になってしまう。
「何やってるの健二郎君。走るとはいえ所詮ゾンビよ。スパッとやっちゃいなさい。スパッと」
戦闘状況をモニターしていた恵美が冷然と言い放つ。
「走るだけじゃないですよ。蹴りも入れてくるんですよ」
「原始的な攻撃本能なのかしら。弱らせて食いつこうというのね」
「人ごとだなあ」
しかし、健二郎は恵美との会話で動揺から立ち直った。走るゾンビの蹴りを左腕で掴み、そのまま立ち上がりつつ、走るゾンビの片足を払い、走るゾンビが転倒したところを短剣で首をはねた。
「顔を蹴られるとはね。これが本当の顔でなくてよかった」
健二郎は奇妙な安堵をしてから3階の探索を再開した。20体ほどのゾンビを掃討して管理棟はクリアになった。これで健二郎の今日の任務は完了したことになる。
「タカノブ1へ、こちら健二郎。管理棟のゾンビを排除した」
「こちらタカノブ1、了解。これより軍による掃討戦に移る。健二郎君はチョコレート・ワンで帰投してくれ。おつかれさん」
「健二郎、了解。あとはよろしく」
健二郎は外に出てチョコレート・ワンを待った。まもなく見慣れた機体が飛来して空中静止した。
「こちらチョコレート・ワン。後部ランプを開く。そこから搭乗されたし」
「健二郎、了解」
チョコレート・ワンの後部が大きく口を開き、ホームが滑り降りる。健二郎はそのホームに一跳びで飛び乗った。
「そのまま動かないで!」
恵美の鋭い声が健二郎に向けられた。恵美が女帝の威厳を発揮するのはやはりこのように命令を下すときだと健二郎は思った。機内を見ると、恵美のスタッフ全員が健二郎に向けてライフルのようなものを向けている。健二郎は両手を上げた。
「撃て!」
恵美の号令で彼らがトリガーを引くと銃口から洗浄液が噴き出し、健二郎の全身を叩く。バイザーが割れているので、ブサイクな顔が余計にブサイクに変形させられた。
「撃ち方やめ」
スタッフが洗浄液の噴出を止める。毎度の洗礼である。健二郎が機内に乗り込む前に、健二郎の体にこびりついたゾンビの体液を洗い流すのだ。実害はないとわかっていてもやはり、屍肉や腐汁には触りたくないものだ。
「健二郎おつかれ」
「お疲れさまでした。健二郎さん」
「おっつおっつ!」
「いやあ、それほどでもないさ。はっはっはっ」
スタッフと兵士のねぎらいに今日も鷹揚に応える健二郎であった。
「恵美さん、健二郎、戻りました」
「お疲れさま。どこか調子の悪いところは?」
「特にないですけど、顔を蹴られたので顔を変えてください。美しい顔に」
「ん。だめ。他には?」
「ありません……」
「そう、なら研究所に戻ってメンテナンスしましょう。機長、バレンタイン1号収容しました」
「こちら機長、了解。タカノブ1へ、こちらチョコレート・ワン、バレンタイン1号の収容完了。研究所へ帰投する」
「タカノブ1、了解」
チョコレート・ワンの窓から数機の輸送ヘリが西戸塚貨物駅に向かうのが見えた。掃討部隊であろう。健二郎が討ち漏らしたゾンビを活動停止させるとともに、健二郎が築いた屍山血河の処理にあたるはずである。その後は確保した駅と線路を軍が封鎖線で囲むことになっている。駅の稼働はまだ先のことになるのであろうが、ともかく、国土解放へまた近づいたのである。
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