第7話 作戦室

 健二郎は後ろ髪を引かれる思いで研究室を後にした。恵美と栗田とともに作戦室に向かうためである

 作戦室とは、”関東方面軍第1師団司令部付第1特務中隊本部”と”国家安全保障局防疫班いいのや出張所”という二つの看板を入り口に掲げている部屋である。

 前者はバレンタイン1号を中心とした作戦を実行する陸軍の部隊であり、後者は関係省庁と情報交換・各種調整を行う内閣官房の部署である。

 両者は軍の一部隊と官僚組織で、本来関わりはないのであるが、非常時ということで相互に連携してバレンタイン計画を支援するよう政府から特別指示をされている。そのため、1つの部隊と1つの部署が、このバスケットボールのコートほどの、さほど広くもない部屋に無理矢理同居させられているのである。当初は中隊本部や出張所などと呼ばれた部屋であるが、あまりの煩わしさに関係者全員が面倒くさがって、現在では単に”作戦室”と呼ばれるようになったという経緯がある。


 わざわざこの研究所にこのような部屋が設けられたのは、バレンタイン1号のメンテナンスがこの研究所でないと不可能なことと、健二郎が自身の肉体と離れるのを拒否したためである。そんな理由から、部屋には30人ほどの軍人と5人の国家安全保障局員が常駐している。

 健二郎たちが作戦室に入室すると歓呼の声が健二郎を迎えた。

「今日も大戦果だな!」

「おかげでまた東京解放に近づいたぞ!」

「ブラボー!」

 健二郎は上機嫌で彼らの歓呼に応じた。このときばかりは健二郎も自分がブサイクであることを忘れてしまうのであった。

「やあやあ、諸君! ありがとうありがとう!」


 健二郎たちは隣接する指揮官室に入った。この部屋も狭い部屋である。そこでは2人の壮年の男が何やら深刻な面持ちで携帯タブレットの画面を見つめていた。

 迷彩服の男は岡野雅人おかの まさとという陸軍大尉で、ここを拠点とする特務中隊の隊長である。長身で大柄な体格はいかにも軍人を思わせるのだが、彼の自宅は熊のぬいぐるみで溢れているという。

 スーツの男は小松川敏夫こまつがわ としおという名で、国家安全保障局の出張所所長である。痩せ形で眼鏡をかけたその姿はいかにも高級官僚という印象であるが、彼の自宅の本棚は漫画、特に少女漫画で満杯だという。

 2人とも43歳で、大学時代からの友人同士であるとのことだった。


「これからどうなるんだ?」

 野太い声で岡野が友人に問うと、小松川は対照的な甲高い声で応じた。

「それはわからん。ヒロインが淡い恋心を抱いたまま儚く散るか、思いの丈を打ち明けて儚く散るかの二択だろうな」

「そんなひどい話があるか。こんなに一途に彼を想っているのに」

 恵美が2人の携帯タブレットを覗き込むと、案の定そこには少女漫画の1ページが表示されていた。

「岡野大尉洗脳計画は順調ですか? 小松川さん?」

「やあ、山内さん。見ての通りですよ。順調順調」

「おお、山内主幹に三枝君。今日の作戦もおかげで成功だよ。今は別部隊があの街道の後片付けをしているところだ。おや、今日は栗田所長もお越しですか」

「国家の一大事だというのに余裕だの。まあ、指揮官たるものどんと構えてるぐらいでないとの」

「そうでしょう。さすがよくおわかりで」

 岡野はそう言って豪快に笑った。恵美としては、栗田には構えてばかりいないで所長の責務を果たしてほしいものなのだが。


 岡野が改まった顔つきになって切り出した。

「さて、図らずも面子がそろいましたな。ちょうどいい、次の作戦についてですが、予定通り3日後の正午より開始となります。繰り返しますが、目的は神奈川県にある西戸塚貨物駅のゾンビを排除し、これを奪還することです」

 岡野はスクリーンに地図と数枚の写真を表示させた。

 西戸塚貨物駅は面積およそ25万平方メートル。2面のコンテナホームと、留置用の線路を数本備えた中規模の貨物専用駅である。これを奪還して東北地方と東海地方を結ぶ鉄路を回復する嚆矢とするというのだ。

 挙手をして発言を求めたのは健二郎である。

「岡野大尉。今更だけど、ここ、ぼくが行く必要あるんですか。こんなだだっ広いところ軍の部隊を展開した方がいいんじゃないですか?」

 健二郎としては、戦いたくないというわけではないのだが、そのほうが合理的なように思えたのだ。岡野は腕を組んだ。

「まあその通りとも言えるのだが、軍を投入するとどうしても設備に被害が出るので三枝君に行ってほしいのだ。変電所などの設備には傷をつけるなというお達しでね。それにこのライブ映像を見てほしい」

 岡野のコンソール操作で現在の西戸塚貨物駅がスクリーンに表示された。そこには数千にも上ると思われるゾンビがひしめいている。雑草がわずかな隙間に生えるように、放置された列車の間にもゾンビが揺らめいていた。

「いっぱいいるのう」

 暢気に事実を指摘したのは栗田である。

「仰るとおり。なぜかは不明ですが、ゾンビの吹き溜まりになっています。それが今までここに手を出さなかった理由でもありますが、とにかくここは軍が展開するには広すぎるやら狭すぎるやら、なんとも中途半端な場所なのですよ」

「別に部隊が展開しないわけじゃないんだろ? 岡野?」

 小松川の問いに岡野は応じた。

「無論だ。三枝君があらかたゾンビを片付けた後に、討ち漏らしを掃討する部隊が展開する。まあ今日と同じだな」

 岡野は健二郎以外の3人を素早く見渡した。

「軍人としてはなんとも情けないのだが、よろしく頼むよ! 三枝君!」

「頼りにしてるわよ! 健二郎君!」

「文科省も力添えしてくれるというしね! 三枝君の未来も日本の未来も明るいというものだよ!」

「無駄毛処理はいつでもできるようにしておるぞ!」

「仕方ないなあ。わかりました! ぼくがゾンビどもを蹴散らしてやりますよ! 悠々自適の将来のために!」

 健二郎以外のオトナたちは若者の操作の仕方を熟知しているようである。

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