第6話 取引

 データ整理のために研究室へ向かう恵美と別れて、健二郎と栗田は研究所の上階にある応接室に向かった。

 そこには2人の男が待ち構えていた。健二郎たち3人を窓から見ていた2人である。2人とも健二郎のブサイク顔を見ても眉一つ動かさない、真剣な面持ちである。

 背の高い方の男は佐藤と名乗った。名刺の肩書きには防衛大臣政策参与とあった。健二郎は初めて聞く官職名だが防衛大臣の相談役のようなものだという。

 背の低い方の男は伊藤と名乗った。名刺の肩書きには内閣危機管理監とあった。これも健二郎は初めて聞く官職名であったが、内閣官房でも危機管理面でのトップであるという。

 両名とも政府の高官である。健二郎の人生において、これほどの高官と接する機会はこれまでなかったし、順当であればこれからもなかったであろう。

 気の張りつめた室内で口火を切ったのは伊藤管理監である。

「先ほどのテストは見学させていただきました。栗田所長。想像以上でした」 

「これは恐れ入ります。先ほどの稼働テストは仮のもので、まだ最大出力は出しておりません。ゾンビ根絶のためのサイボーグを実用化するバレンタイン計画。その第一の成果が彼です」

 佐藤参与が満足げに頷いた。

「うむ、軍によるゾンビ掃討はなかなか進んでおらぬが、彼がいれば事態は好転するだろう。これだけの成果があれば私も防衛大臣閣下と話がしやすい。三枝健二郎君といったね。どうかその力で日本を、いや世界を感染体から解放する尖兵となってはくれまいか」

 伊藤管理監が間を置かずに健二郎に視線を向けて言葉を継いだ。

「我々は政府の意向を受けて三枝君。君に正式に感染体掃討への協力を要請するためにここに来た。どうか我々に協力して、あの哀れな者たちを天に帰してやってはもらえないだろうか」

 佐藤と伊藤は息子のような年齢の健二郎に頭を下げた。健二郎は戸惑いを隠せなかった。サイボーグにされたということだけでも頭が追い付かないのに、政府高官からの協力要請など想像の範囲外である。

「ちょっと待ってください。ぼくだってゾンビを根絶できるならそうしたいけど、ぼくはまったくの素人です。この体でもできるかどうか、正直、自信はありません」

 2人の男の顔から一気に緊張が消え失せ、代わりに張り付いたのは興冷めの表情である。

「まじで言ってんの?」

「空気読みたまえよ」

 人生の先達が高校生のような口ぶりで文句を垂れるのを聞いて、健二郎は悄然と愕然のカクテルを飲み込まされた。

「なんだ、それがあんたたちの本性か。まあそれはいいとして、今も言った通りぼくは素人だ。第一、こんな体にしてくれと頼んだ覚えもないんだぞ」

「えっ、どういうことです。栗田所長?」

 佐藤だか伊藤だかが驚きの声を上げた。

「彼は志願してサイボーグになったのでは?」

 伊藤だか佐藤だかが栗田を追求する。

「いやー、交渉するの面倒だから無断でやっちった。てへっ!」

「無断で脳移植をしたですと!?」

「しかも、てへっ、ですと!?」」

 健二郎は2人の政府高官に強く訴えかける視線を投げた。こんな無法がまかり通るのかと、健二郎の眼は憤りに燃えていた。佐藤と伊藤はソファにふんぞり返って脚を組んだ。

「なァーんだ面倒だから勝手に脳移植したってだけかァー」

「ぜェーんぜん問題になりませんなァー」

「ほっほっほっ」

「ほっほっほっ」

「ほっほっほっ」

 おじいさんたちのほのぼのとした笑い声を消し飛ばす様に健二郎は怒鳴った。

「こらああ!」

「いーじゃんよ。元に戻すのは簡単なんでしょ? 栗田所長?」

「ええ。サイボーグにする方が難しいですな」

「ならよかったじゃん。ノープロブレム!」

 健二郎の怒りに逆立った髪が天を衝いた。

「あんたらこの場で肉片にしてやろうか! モード変更! 戦闘モード!」

「どうかしたかね?」

 栗田は眉一つ動かさず、のほほんとしたままである。健二郎は狼狽えた。

「どうした? さっきみたいにならないぞ」

「それはそうさな。安全装置の一つぐらい付いているよ。お前さんの場合、わしらの許可がないと戦闘モードに移行できんようになっとる」

「ぐ、ぐぬぬ!」

 それももっともだと健二郎は納得せざるを得なかった。彼の鋼の体の破壊力は彼自身がたった今、目の当たりにしたところである。あのような爆弾を野放しにできるはずがない。健二郎にその気がなくとも、機械の暴走事故など珍しくもないのだ。

 背の高い男が携帯タブレットを操作しながら言った。

「仕方ないなあ。三枝健二郎君、悪いけど君のことを調べさせてもらったよ。国立昭立大学に在学中。成績は中の下。スポーツテストに至っては下の中となっているねえ」

「それがどうした。ぼくの美しさで成績が悪いのがおかしいか?」

 健二郎の容姿にそぐわぬ実力に失望する者、失笑する者は大勢いた。健二郎とて、努力を怠ったわけではないが、得手不得手があるのは当然であろう。

 背の低い方の男が薄ら笑いを浮かべて健二郎の急所を突いた。

「いやいや、問題は君が体育と英語の単位を落としていて、卒業が危ぶまれているということなんだがネェー」

「ぐっ。運動と英語は苦手なんだよ」

「フムー、政府高官たる我々でなんとかしてあげられないでしょうかネェー?」

「そうですナー。幸い国立大学の学生ですし。ツテとコネでなんとかしてあげられるでしょうナー」

「ぬぐっ」

 佐藤と伊藤はさらに健二郎を揺さぶった。

「就職先も保証できるでしょうナー」

「イヤー、大学を出て即、天下りとは羨ましいですナー」

「むむむ」

 絶世の美男のわりに出来の良くない健二郎にとってはなかなかに魅力的な提案であったが、栗田の一言はやはり効いた。

「いまならお前さんの肉体に無駄毛の永久脱毛処置を施してやるぞ。どうだね」

「よし、やろう」

 健二郎は無駄毛処置の一言で決意した。

「おお、やってくれるかね!」

「ありがたい。政府も全面的に支援するよ!」

「ちょろいのお!」

 健二郎はその気になった。ゾンビを蹴散らせば将来の不安が解消され、忌々しい無駄毛とその処理から解放されるのだ。この体であれば、噛まれてもゾンビ化しないという。しかも、先ほど体感した圧倒的なパワーとスピードがある。健二郎にとってメリットは大きいように思われたのだ。

「ぼくがゾンビどもを蹴散らしてやりましょう! そのかわりさっき言ったことお忘れなく。はっはっはっ」

「もちろんだとも。すぐに文科省の友人をあたろう。ほっほっほっ」

「私も省庁の友人に掛け合おう。ほっほっほっ」

「ゲスいのお。ほっほっほっ」

 こうして健二郎は鋼の体でもって、ゾンビ掃討に協力することになったのである。


 健二郎が退室して、応接室の3じじいは絵に描いたような密談を展開していた。

「では、佐藤参与に伊藤管理監。バレンタイン計画への予算の件、お願いいたしますぞ」

「もちろんです、栗田所長。私から大臣閣下に掛け合いましょう」

「私も官房長官に話をしましょう。まあ、問題なく予算は下りるでしょう。なにせ今はゾンビ特需ですからなあ。ゾンビ対策となればたいていのことは可能ですよ」

「いやあ、ありがたい。ゾンビ根絶は確かに悲願ではありますが、こんな時期でも研究は続けなければならないですからのう」

「栗田所長もご自分の研究のために、ゾンビをだしに使うとは考えましたなあ」

「ところで、栗田所長。我々に菓子をいただけるという話もお忘れなく」

「ええ、もちろん忘れてはいませんよ。山吹色(サンライトイエロー)のお菓子をお裾分けしますよ」

「ほっほっほっ」

「ほっほっほっ」

「ほっほっほっ」

 今からおよそ1年前の出来事であった。

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