第5話 動作テスト

 健二郎と恵美と栗田は研究所の裏手にある広大な空き地に出た。そこは整地作業中のようだが、今は無人である。そばには大型の重機が数台停まっていた。

「研究所の拡張作業中での。誰もいないしここで試してみよう」

「で、なにをすればいいんだ」

「恵美君、たのむよ」

「はい」

 恵美は携帯端末を取り出して音楽プレイヤーを起動させた。軽快なピアノの音が鳴り響き、聞き慣れたフレーズがスピーカーから飛び出す。

「腕を前から上げてのびのびと背伸びの運動ー!」

「ラジオ体操よ。健二郎君やってみて。で、少しでも体におかしなところがあれば教えてちょうだい」

「はあ…わかったよ」

 健二郎は渋々と、そして淡々と体操をこなしたがどこにも異常など感じられなかった。むしろ体が軽いほどである。深呼吸をすませ、健二郎は直立の体勢に戻る。

「どこにも異常はないぞ」

「何言ってるの、ラジオ体操は第2もあるのよ」

「そうだった」

「わしらもたまには体を動かそうかの」

「そうですわね」

 人の良さそうな初老の紳士と絶世の美女と筋骨隆々のブサイクが輪になって、ラジオ体操で運動している様は傍から見ればさぞや異様であったろう。研究所の窓から彼らをみる2人の男も戸惑いを隠せなかった。

「何をしているのかね。彼らは」

「さあ?」

 2人とも60歳代半ばであろうか。スーツ姿で身分は不明だが、テレビの国会中継などでときどき見かける顔である。


 3人は深呼吸で息を整えた。ピアノの伴奏が終わり、あたりに静寂が訪れる

「健二郎君、どこかおかしなところはない?」

「いや何も。本当にこれ機械の体なのか? なにもかも普段と変わりないが」

「ふむう、当人すら疑問に思うほど彼の脳とバレンタイン1号との親和性が高かったということかの。通常モードは問題なさそうだのう」

「通常モード?」

 健二郎の疑問に恵美が答えた。

「今の健二郎君は日常生活を送るために性能がセーブされている状態なのよ。ゾンビと戦う際にはモード変更してバレンタイン1号の性能をフルに発揮してもらうわ」

「どうするんだ?」

「モード変更。戦闘モード。と声に出していってみて」

「モード変更。戦闘モード」

 その瞬間、健二郎の視界に劇的な変化が生じた。視界に幾何学的な光線が幾本も走り、何らかのデータを示す数値がいくつも出現したのだ。

「な、なんだこれは!」

「栗田所長、これを」

 恵美は携帯タブレットの画面を栗田に見せた。その画面には健二郎の視界がほぼそのまま表示されていた。

「うむうむ、設計通りだの」

「健二郎君、あなたの眼は複合センサーになっているの。他にも赤外線モードや望遠モードにもなるわ。でもそれは後で試してみましょう。差し当たって肝心なのはパワーよ」

「腕力、脚力といった単純な力だの。これがなくてはゾンビに接近も攻撃もできんからのう」

「あそこに廃屋があるでしょう。工事の人たちが困ってたから、行って壊してきてくれる?」

「え、あれのことか?」

 廃屋というが、恵美が指差したのは500メートルほど離れたところに見える、半壊したコンクリート製の建物で、健二郎たちの場所からだと石ころにしか見えない。往復するとなるとそれなりに体力も時間もかかるだろう。まして破壊して来いとは。

「そうよ。今の健二郎君なら、走れば1分程度で行って帰ってこられるはずだから。あ、まだ全速力は出さないでね」

「わかったよ」

 健二郎としては軽く走り出したつもりであったのに、鋼の体はまったく期待を裏切った。爆発的な速さに健二郎は驚愕した。驚愕のあまり健二郎はバランスを崩し、土の上で2度3度と転がり、顔から土砂に突っ込んだ。その有様を双眼鏡で観察していた栗田と恵美は軽くため息をついた。

「ありゃあ、あの男、コケおったぞ」

「バレンタイン1号の姿勢制御システムも脳の制御下にありますから。脳が追いつかなければああなりますわね。彼はあまり運動が得意ではないようですね。少し調整しなくては」

 健二郎は口の中の土を吐き出して立ち上がった。視界の端で忙しくメッセージが表示されているが、今は読むこともできない。

 振り返れば恵美と栗田は100メートルほども後方である。今の数瞬でここまで来たというのか。

「なんてことだ。ぼくは本当にサイボーグになってしまったのか」

 健二郎がしばらく茫然自失していると頭の中で突然恵美の声が響いた。

「健二郎君、聞こえる? どうしたの? 体が動かないの?」

「こ、これは。声が頭にダイレクトに届いているぞ」

「今の健二郎君は脳以外機械よ。無線通信ぐらい装備なしでもできるわ。それより、体に異常は?」

「いや、大丈夫。大丈夫です。廃屋に……向かいます」

 健二郎は慎重に走り出して、徐々にスピードを増した。自動車にでも乗っているかのような速さで廃屋が迫り、強烈な風がブサイクな顔をたたく。

 14秒で400メートルを走り健二郎は廃屋に到着した。それほど大きくはない建物である。半壊状態なのは取り壊しの最中だからなのであろう。そばに重機が停めてある。

「この廃屋を壊せばいいのか」

「そうよ。誰もいないし、派手にやっちゃいなさい」

「よ、よし。それじゃいくぞ。しかし、これで怪我したらどうしてくれるんだろうな」

 健二郎は息を整え、拳を握り、ゆっくりと拳を振り上げ、思い切りよく柱を殴りつけた。通常であればコンクリートにはじき返されるはずの拳はクッションにめり込むようにコンクリートの柱に突入していった。健二郎は驚愕し、戸惑いつつもそのまま一気に殴り抜けた。コンクリート製の柱は粉砕され、飛散した破片は窓ガラスを突き破って30メートル先の地面に突き立った。唖然としたのは健二郎である。自分の拳と大破した柱を交互に眺め、これが自分の所業であることをなんとか信じようとするが、なかなかそれができない。

「健二郎君、まだ建物は壊れてないわよ。続けて」

「あ、ああ、了解」

 健二郎は隣の柱に蹴りを叩き込んだ。コンクリート片が散弾銃の弾丸のように飛散し、柱が大破すると同時に天井が崩落し、廃屋は倒壊した。

「ありゃあ、あの男、埋もれおったぞ」

 栗田は暢気に双眼鏡を覗きながら呟いた。己の研究成果がこの程度で壊れはしないという自信があるのだろう。その自信は健二郎がコンクリートの瓦礫を押しのけて這い出てきたことからも実証された。

 健二郎は口の中のコンクリート片を吐き出した。

「今日はいろんなものを吐き出す日だ。くそ」


 健二郎は恵美と栗田のもとに、今度は転倒することなく戻った。

「お疲れさま。健二郎君」

「どうだったかね?」

 健二郎は素直に感想を述べた。

「確かにとんでもないスピードとパワーですよ。これならゾンビどもにも十分対抗できるでしょう。オーバースペックな気すらしますがね」

 栗田は顔をほころばせた。一見、柔和な笑顔であるが、健二郎には面憎いばかりであった。

「ほう、そうかね。ならば、バレンタイン1号はこれでほぼ完成だの。彼らへのデモンストレートも十分だろう」

 一方、恵美は浮つくことなく冷静だった。

「そうですね。精密なテストはまた後日として、今日はこんなものでしょう。健二郎君、あとは中で話しましょう。中で政府の偉い人が待っているから」

「政府の人ってのは、建物の中からずっとこっちを見てるあの2人のことか」

「気づいてたの。ああ、センサーが反応したのね。あなたに協力を要請しにきたそうよ。まあ、受けるも受けないもあなたの自由だけどね」

「そうだの。だれにも強制はできんからのう!」

 健二郎は栗田の言い草に皮肉っぽく応じた。

「人の体をこんなにしておいてよく言う」

「脳をあっちからこっちに移しただけだろうに」

「2人ともその辺りで。健二郎君、せっかくだから言いたいことを言うといいわ。さて、その前に通常モードに戻しておきましょう。モード変更。通常モードと声に出して言ってみて」

「くそう。モード変更。通常モード」

 健二郎の視界から幾何学的な情報表示が消えて、視界は人間のものとなった。パワーも人並み程度に抑えられているようだ。

「さて、行くとするかの」

 健二郎たち3人は崩れた廃屋を後にして研究所に戻った。健二郎の運命を左右する話し合いがもたれようとしていた。

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