第2話 ゾンビパラダイス
ほどなく大型の輸送ヘリが1機、健二郎の頭上に静止した。ヘリから顔を出したのは、健二郎のメンテナンスを担当している
今の健二郎にとってはなくてはならない人物であるが、健二郎のメンテナンス担当と言うことは、彼女も健二郎の脳移植に関わった人物の1人であるので、恨み半分義理半分というところであった。
健二郎はおよそ10メートルの高さにあるヘリに一跳びで乗り込んだ。
「お疲れさま。健二郎君」
健二郎のブサイク面にも全く反応しないのは、慣れているためと言うより、最初から関わっていたからであろう。
「いやあ、それほどでも」
「そう。どこか調子の悪いところは?」
「左腕を1カ所だけ嚙まれました」
「なら左腕は修理ね。他に異常がないか、研究所に着くまでに簡単にチェックしておきましょう」
「了解。ところで今日のぼくの戦いぶりはいかがでしたか?」
「そうね、野性的だったわよ」
「いえ、そうじゃなくて。しなやかとか優美とか華麗とか流麗とか」
「どれも当てはまらないわね」
「おかしいな。ぼくの体捌きがそんな粗野なはずはないのに」
「馬鹿なこと言ってないで、服脱いで。ケーブル繋げるから」
「は〜い」
健二郎は窓の外を覗いた。眼下にはゾンビに踏み荒らされた街の骸が続いている。小さく蠢いているのはゾンビだ。現在の日本は首都とその周辺の大都市圏、即ち、さいたま市、千葉市、横須賀市、八王子市を結ぶ地域がゾンビパラダイスになっている。ゾンビパニックは日本に限らず世界中で発生しているのであるが、最初にゾンビが発生した日本ではゾンビによる人的、経済的、社会的被害は特に甚大であった。
今から4年前の東京、新宿のどこかで最初のゾンビが発生した。ゾンビは人々に食らいつき、食らいつかれた人々はゾンビとなって、また人々に食らいついた。ゾンビは指数関数的に数を増していき、新宿の街は大パニックになった。
想定外の事態に政府も軍も対応は後手後手に回った。なにせ、日本の国防軍は第二次大戦以来、一度も銃口を人に向けたことがなかったのだ。相手は暴徒とはいえ、丸腰の民間人なのである。発砲を躊躇したのも当然であろう。
暴徒の正体が死体であり、何らかの理由で歩き、人を食らうということが判明した頃には、東京は既にゾンビの街となっていた。異常事態として法整備もないままゾンビに対して実弾の発砲許可が下りたのだが、兵士にとっては大して慰めにならなかった。相手は銃弾を受けてなお、歩き続けたからである。
軍は後退に後退を重ね、政府も民間人も東京とその周辺から大挙して逃げ出し、日本は首都が無人となるという前代未聞の事態に陥った。
それでも半年後には政府と軍は、関東平野を包囲するゾンビ封鎖線の構築に成功した。人々の証言と研究者の観察によりゾンビの習性や特性が判明してきたので、ゾンビ被害の拡大を食い止めることに成功したのである。そればかりか、政府と軍はゾンビに対して反撃に転じ、3年半が経過した現在では北関東平野と房総半島をほぼ取り戻している。
残るは南関東平野の大都市圏なのであるが、この大都市圏は最初にゾンビが発生した地域であり、世界的にも異常に高い人口密度を記録していた地域であるので、ゾンビの数が格段に多く、封鎖線の縮小作戦は停滞したままである。
健二郎は恵美による損傷チェックの間、手持ち無沙汰になったので、手近にあったパンフレットを手に取った。それは政府により作成されたもので、ゾンビに関する情報や諸注意が記述されたものである。健二郎はパンフレットを眺めるように読み始めた。
〜〜〜〜
ゾンビは映画や漫画の中の存在ではなくなりました。映画や漫画のゾンビのように、出会うとすぐにあなたを補食しようとします。現在は国防軍がゾンビを封鎖線の中に封じ込めていますが、封鎖線の外でゾンビに遭遇することがなくなったわけではありません。このパンフレットでは、ゾンビに出会わないための工夫、ゾンビに出会ったときの注意事項を紹介します。
1.ゾンビとの遭遇を避けるために
・絶対にゾンビ封鎖線に近づいてはいけません。
・ゾンビの生体や行動をよく知りましょう。
・ゾンビの出没情報に注意しましょう。
・ゾンビが潜みそうな場所には注意しましょう。
2.ゾンビに遭遇したら
・動作は緩慢なので、落ち着いて、その場から急いで離れましょう。
※聴覚が鋭いので大声や物音を出さないようにしましょう。
※嗅覚が鋭いのでできるだけ風下に向かいましょう。
※まれに走る個体が認められますが、速度はそれほど速くありません。
・絶対に話しかけてはいけません。(呼びかけに応じた例は一つもありません)
・安全な場所まで逃げたら、すぐに最寄りの軍または警察に通報しましょう。
3.ゾンビの生態
・動作は緩慢ですが、力は人間より強くなっています。
・理性や意識はありません。知能もサルと同程度かそれ以下と考えられています。
・本能的に肉を補食しようとしていると考えられています。
・優れた聴覚を備えています。
・優れた嗅覚を備えています。
・視覚は個体により差がありますが、人間だった頃とあまり変わらないようです。
・階段などの昇降は苦手なようです。
※逃げるときは上へ上へ逃げましょう。下に逃げると転落しながらも追いかけてきます。
・ゾンビの活動は半永久的に続くと考えられています。
※理由は明らかではありません
4.ゾンビ化について
・ゾンビ化は人間にしか起こりません。
※ゾンビに噛み付かれた小動物や昆虫類に噛みつかれても、ゾンビにはなりません。
・現在のところ、ゾンビ化するのはゾンビに”噛みつかれた場合のみ”と考えられています
5.ゾンビに襲われたときは
・とにかく、噛まれないことを第一に考えましょう。
※殴打されたり体液を浴びてもゾンビにはなりません。冷静になりましょう。
・普段からできるだけ厚着をして、ゾンビの歯が通らないようにしておきましょう。
・ゾンビをやっつけようと考えてはいけません。逃げる方法を考えましょう。
6.ゾンビの活動を停止させるには
・ゾンビの脳を完全に除去する他ありません。
※脳の一部を破壊してもゾンビは襲いかかってきます。
※最も確実なのは、ゾンビの頭を切り落とすことですが、最終手段と心得ましょう。
〜〜〜〜
健二郎はパンフレットを閉じた。
つまるところ、「ゾンビと出会ったら逃げろ」ということである。軍隊でも小火器による攻撃は銃声でゾンビを呼び寄せるのが関の山で、重火器を持ち出さないと排除が難しいのである。特殊な弾丸を使用すれば、ゾンビの頭部を完全破壊することも不可能ではなかったが、ふらふらと揺らめくゾンビの頭部を安全な距離から狙い撃つのは、訓練を受けた兵士でも至難の業なのである。
政府と軍は封鎖線の構築以後、封鎖線の縮小に努めてきたが、ここにきて巨大な壁に突き当たっていた。数百万体にも上ると試算されるゾンビを完全排除して、失われた首都を奪還するまで、どれほどの時間と労力と物資と犠牲を要するのか、気が遠くなるばかりであった。
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