明日に向かってはねろ!

山川榎屋

第1話 三枝健二郎という男

 街道に沿って植えられた桜並木は七部咲きといったところであろうか。満開になるにはもう数日かかりそうである。気の早い人間であれば桜見物に繰り出すであろう。

 しかしいま、この桜を見上げる人間は誰もいない。

 街道を走る自動車も1台としてない。

 今、街道を群をなして歩いているのは人の屍である。

 

 歩く屍。

 

 医学的には既に死んでいるというのに、生きた肉を食らうためにさすらう、かつて人間だった肉と骨の塊である。土気色の爛れた皮膚、血と腐汁の滲む崩れた筋肉、知性と理性の光を失って久しい眼はまさに恐怖映画に登場するゾンビそのものである。実際彼らは人々からゾンビと呼ばれていた。特殊感染体という名称が用意されたはしたが、一般的にはゾンビという呼称が定着していた。


 そのゾンビの大群の前に彼がただ1人立っていた。180センチは越えるであろう長身である。大型の戦闘用ヘルメットをかぶっているので、表情と顔の造形は伺い知ることができないが、ゾンビの群れを前にして全く動揺していないようである。それもそのはずで、これまで彼は万を超すゾンビを活動停止させてきたのだ。今更動揺などするはずもない。今日も彼は手持ちの武器と鋼の体を駆使して、この街道をのし歩くゾンビを全て活動停止させるのだ。


 戦闘開始時刻と同時に彼はゾンビの大群に向けて突入していった。超合金製の大薙刀を振りかざし、振り払う。ゾンビ五体の首が飛び、汚濁した血液と体液が切り口から噴き出す。そのまま次の群れに飛び掛かりゾンビ3体の首をはね飛ばした振り向き様にゾンビ2体の頭を蹴り砕く。大薙刀の振るわれるところ血煙が噴き上がり、屍体の断末魔が響きわたった。ものの5分で200体を超す歩く屍が歩かない屍にさせられ、永遠の安寧を手に入れた。

 激しい物音と断末魔の叫び声にゾンビたちが気づいたようである。数百のどす黒いゾンビの群れが、一斉に彼をめがけて街道を歩き出すその様は、津波が川を遡るようである。彼はゾンビの津波に圧し潰されるかに見えた。

 彼は刃に付着したゾンビの肉片を拭い取り、大薙刀を構え直した。

 最先頭のゾンビを見極めると同時に大薙刀を振るい首をはね飛ばす。後続のゾンビ6体の首をまとめて飛ばした返す刃で3体のゾンビを腰斬する。体を半分に断ち割られてなお彼に迫るゾンビの頭部を踏み砕きながら大薙刀を振るう彼は、さながら竜巻のようである。屍肉の津波と鋼の竜巻の激突は竜巻に歩があると思われた。

 しかし、竜巻にも綻びが生じた。ゾンビの1体が彼の左腕に食らいついたのである。彼は食らいついてきたゾンビの首を右手で握り潰し、捩じ切って捨てた。鋼の竜巻はいささかも威力を衰えさせることはなかった

 40分後、2千体近いゾンビの残骸が街道を埋め尽くしていた。これでまた街と街が連結され、人と物資が行き交うようになるであろう。街道は本来の役割を果たせるようになったのだ。


 人間業とは思えぬ立ち回りでゾンビの群を壊滅させた彼の名は三枝健二郎さえぐさ けんじろうといい、23歳の大学生である。

 三枝健二郎という青年は、彼の通う大学では知らぬものとてない有名人であった。そのあまりの美貌ゆえにである。

 頭髪は柔らかく波打ち、目は切れ長で涼やか、鼻筋は細く高くすらりと通り、唇には色香すら湛えていた。背は高く、筋肉は程よく引き締まり、白皙の肌は上等なティーカップを思い起こさせるほど滑らかで、艶やかであった。中性的で優美な彼の姿はさながらギリシャ神話のアポローンのようだと評する者もいた。

 すれ違う女性の全てと男性の半分が息をのんで見つめたほどの美貌を誇った彼であったが、彼が視線を注いだのは自らの顔であり肉体であった。趣味を問われて”自分鑑賞”と答え、無人島に何を持ち込むかと問われて”鏡”と答えた男である。

 一方、彼の能力は平凡かそれ以下と言ってよかった。大学の成績は”不可”と”可”と”良”が均等にちりばめられた程度のものであったし、運動能力に至っては、味方チームを敗北に導くことの方が多かった。

 しかし、彼はそれを卑下することはなかったし、卑下するまいと努めたこともない。健二郎の生来の、よく言えば快活さ、悪く言えば能天気さがそれを実現していたのである。そのためか、秀麗な顔立ちの割に嫉視されるということが無く、男女を問わず友人は多かった。

 しかし今、彼は大学を休学し、もう半年以上も学友たちの前に姿を現していない。

 それはたった今、彼が示した通りゾンビとの戦いに身を投じているからなのだが、もう1つ、姿を隠さざるを得ない理由があった。


「よし、作戦完了! 左腕を噛まれたけど、まあ大したことないよね」

 ゾンビの掃討を確認した健二郎はヘルメットを脱いだ。心地の良い風にのって桜の花びらが彼の頬に沿ってそよいでいった。過酷な仕事を終えたその顔は安堵の表情であったが、造形は擁護のしようもなくブッサイクである。頭髪は悪い意味で無造作で、目はぎょろりと大きく、鼻筋は短く低くずんぐりとしており、唇は紫色である。筋肉はがっしりと引き締まり、血色の悪い肌は縄文土器を思い起こさせるほど荒く、武骨である。野性的で粗野な彼の姿はさながら地獄の鬼のようだと評する者もいた。


 これがもう1つの理由である。彼の顔も体も、かつてとはかけ離れた姿になっているのである。

 なぜ彼はこのような姿になったのか?

 脳を機械の体に移植されたからである。それも、鋼鉄の骨格を人工の強化筋肉と強化皮膚で覆い、恐るべきパワーの発露を実現した機械の体にである。

 つまり、今のブサイクな健二郎はサイボーグなのである。

 なぜ彼はサイボーグとなったのか。

 志願したのではない。ある日拉致され、眠らされている間にこうされてしまったのだ。

 愕然とする健二郎はなだめすかされ、丸め込まれ、あれよあれよと言う間にゾンビと戦う羽目になってしまった。


 かくして美貌の凡人・三枝健二郎は、醜男の超人・三枝健二郎となり、ゾンビを掃討する日々を送っているのだ。

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