⑧花は桜木、人は武士


 全ての授業を終えてまっすぐ家庭科準備室へと向かう。あと10日もすれば実力テストが始まり全てのクラブはいったん休みになるらしいので、それまではできるだけ通うつもりだった。今日は何作るかなぁ……。


「ちーっす」


 ガラリと前のドアを開けると、日野、杉山、そして加藤先輩の三人が一つの机を囲んで額を付き合わせていた。だいたいこの三人プラス俺が固定なところあるよなぁ、うちのクラブって。


「あ、ツヅリおつー」


 一番に反応したのは日野だ。相変わらず制服を派手に改造してるがよく似合っていた。

 球技大会でお揃いのハチマキ作ってから、さらに創作意欲が増したらしく、体育祭や文化祭、クラス対抗イベントには全てお揃いのものを作りたいと今から意気込んでいるらしい。


「ツヅリ君、こっちこっち」


 そんな日野と仲良しの黒髪清楚な杉山がニコニコしながら手招きするので、何かと近づいて見てみれば、テーブルの上には御重が乗っていた。正月のおせちとか入れるアレな。


「なにこれ」

「中身は全部お稲荷さんなんだけどねー」


 加藤先輩はアハハと笑いながら、いつものように巻き髪を手の甲で払って笑う。


「おおっ、すげぇ!」


 みれば確かに御重の中半分ほど残っていたのはいなり寿司。食欲をそそる黄金色だ。


「うまそー! でもなんで稲荷?」

「練習だよ。試作品だけどよかったら食べてくれない?」

「わーい、さっそくいただきまーす! あ、手洗う!」


 伸ばしかけた手を戻し、準備室備え付けの水道で手を洗った。加藤先輩の隣に椅子を持ってきて座り稲荷を一つつまんで口の中に放り込む。小さめに作ってある稲荷はジューシーで甘さと酸味と何もかもが完璧で床を転がりたくなった。


「うっま! なんかシャクシャクしたの入ってる!」


 その歯ざわりがまたいいアクセントになっていていくらでも食べられそうだ。


「レンコンだよ」

「へー!」

「レンコンは見通しがいいって縁起のいい食べ物だものね」と、杉山。さすがお嬢様系らしい豆知識を発揮している。


「練習ってなんの練習なんですか?」


 日野が問いかけると「今度の土曜日、バレー部の試合の応援に行くからそのお弁当試作」

「おおおー」

「俺も加藤パイセンと友達になって出掛けたいッス」


 神妙な顔で言うと、加藤先輩がまたケラケラと笑う。


「てかツヅリもおいでよ。たくさん作るから」

「えっ、やったー!」

「あっくんも連れておいでね」

「ええー!」


 なんで芥川! めっちゃ嫌だったが一応うなずく。そこでふと今朝の滝本先輩の言葉を思い出した。


「あ、そういや生徒会がまた取材させて欲しいって言ってたんですけど」

「えっ?」


 それまで楽しげにしていた加藤先輩の顔色が突然変わる。

 あれ? と思いつつも、今朝滝本先輩が俺に伝えたことをそのまま説明した。


「もう一度……?」


 無意識なんだろう、加藤先輩は首元のチェーンを弄びながらうつむく。


「だったらすっごく凝ってるように見えるけど簡単なの作ろうよ!」


 やる気満々な日野が舞台調に立ち上がる。


「すっごく凝っててでも簡単って、ワガママだなぁ」

「女子はワガママな生き物なんですぅーあれもこれも全部欲しいんですぅ」


 日野は俺のひやかしを軽くあしらって、杉山と、あーでもないこーでもないと話し始めた。


「だったらケーキかなぁ。アップルパイとか、フルーツロールケーキなら簡単だけど見栄えがいいと思う」

「いいねいいね!」


 女子はワガママな生き物で、あれもこれも全部欲しい……か。

 あれもこれも、全部……。



 翌日。昼休みに国語準備室を訪ねると、芥川はソファーに横になりすやすやと眠っているところだった。道理でノックしても返事がないはずだよ……。カーテンは閉じられているが窓を開けているのでそよそよと気持ちいい風が吹き込んでくる。

 眠っている芥川は妙にリラックスしている。その姿を見た時こいつはまだここにいるつもりなんだなと感じてちょっとだけホッとした。


「芥川、菓子パンあるぞ。食うだろ?」


 ソファーのそばのローテーブルにコンビニで買った芥川の分のメロンパンと牛乳を置き電気ケトルでお湯を沸かす。インスタントコーヒーを作ったところで振り返ると起き上がった芥川が半分眠ったような顔でメロンパンにかぶりついていた。


「なんか言えよ!?」

「モグ……」

「ったく……」


 ため息をつきつつ芥川のデスクの椅子に腰を下ろす。


「あのさ……日曜日……あのあと結局どうなったんだ?」

「――話にならないから逃げた」

「逃げたって……」

「そもそもあの夜会場に行ったのだって、俺にその気は無いと伝えるためだし……もう逃げ回るのも面倒くさくなったし、せっかく職にありつけたんだから当分ここにいようと思ってるし」


 芥川は至極面倒くさそうにいい、メロンパンを半分ほど食べてテーブルの上に置く。


「そうなのか……」


 聞いてみればあっさりとしたもんだ。なんで俺、こいつが学校やめるかもしれないなんて不安に思ったんだろう。馬鹿らしい。あと、俺がチケット渡したからついでに来てくれたのかなーなんて思ったのは恥ずかしいから内緒にしておかなければ……。

 なのにこういう時に悪魔的に勘が働く芥川は「なにお前、俺がいなくなると思って確かめに来たの」とからかいにくる。


「なっ……」


 自分に向けられる好奇心にきらめく瞳で息が止まりそうになった。


「まぁね。甘ちゃんで泣き虫の寂しがりだからね、お前。仕方ないかもね。ふふっ」

「ちっ、ちげーし!」

「いいんだよ、ツヅリ君。素直になってあの時みたいに泣いても。また肩貸してあげようか?」


 ニヤニヤニヤニヤ。芥川は性悪の笑顔で無駄に長い脚を組みソファーの肘置きにもたれかかった。完全に悪役顏だ。


「だっ、だから、そんなんじゃっ……」


 あの時みたいに泣いても……また肩貸してあげようか……?

 普段は記憶の奥底に押し込めている羞恥の記憶が蘇りそうになる。

 うぎゃーーーー! ダメだダメだダメだ!


「だーーーっ!」


 慌てて奇声を発し、記憶の蓋を閉じて《なかったこと》にした。


「きょ、今日来たのはあれだよっ……そう、滝本先輩のことだっ!」


 苦し紛れに発した言葉だったが、芥川はおや、という顔をして軽く首を傾ける。どうやら話題の変更に成功したようだ。胸をなでおろし昨晩ベッドの中で考えた推論を真面目に芥川に聞いてもらうことにした。


「滝本先輩がローレルホールで突き落とされたのは、芥川と間違えられたからなんだな?」

「――」

「あの日、お前は俺たち生徒とお揃いのジャージを着て、なおかつ日野からハチマキまで巻いてもらってた。一見生徒と変わらない格好をしていたんだ。だからお前の3番目の兄さんは、お前と背格好のよく似た滝本先輩を間違えてしまった……。突き飛ばした後、間違ったことには気づいてなかったのかもしれない。屋上で俺を見たときかなり錯乱してて、俺を芥川と間違えてたくらいだし……で、お兄さんは階段の下にいた井上先輩の声を聞いて、反対側の階段から逃げた。滝本先輩が自分で階段を落ちたと言い張ったのは、自分を突き落としたお兄さんを《誰か》と勘違いしてかばったんだ」

「ふぅん……」


 芥川は一旦テーブルの上に置いたメロンパンをまた口に運び始める。


「で、その《誰か》は、加藤先輩だと思う」

「なぜ?」

「加藤先輩は道ならぬ恋をしてる」


 ふとアカシアの樹の下でキスをしていた情景を思い出す。


「あの日、加藤先輩は指輪をなくしてスコーンを盗んだけどやっぱり誰にも言わずにスコーンを盗むのはリスクが高い。もちろんとっさにとった行動だってのは状況からして明らかだけど、そうしないといけなかったのは滝本先輩がその場にいたからじゃないか?」


 生徒会執行部としてスイーツクラブに来ていた滝本先輩に指輪を探していることを知られてはいけない理由……。


「つまり、加藤先輩と滝本先輩は付き合ってる。秘密の恋人。だから恋人の前で指輪をなくしたなんて言えなくて加藤先輩はあんなふうにスコーンを盗まざるを得なかった!」


 どやっ! びしっと芥川を指さすと、芥川は冷めた眼差しでメロンパンを貪っていた。もはや俺を見てすらない。


「メロンパンの固い皮の部分だけたくさん食べたいな……」

「独り言!?」


 もはやメロンパンの固い部分以下の俺は、椅子に座ったまま床を滑り芥川に近づいた。


「な、そうなんだろ?」

「お前がそう思うんならそれでいいんじゃないか」

「なんだよそれー! 論理的だろ俺の推理!」

「論理的証明なんて己の確信の得られたことをいま一度証明してみせるという、自己満足にすぎないんだ。お前のやってることはそれ。本当に、ほんとーに、とってもくだらないよ」

「なっ……」


 割と自信があった説明なのに念入りに否定されて鼻白む。


「でも大きく外れてはないだろ?」

「ではなぜ滝本は自分を階段から突き飛ばしだと思った加藤をかばう?」

「恋人だからだよ」

「突き飛ばされる理由は?」

「えっと……それはあれだ、喧嘩だろ……」

「ケンカしたくらいで恋人を階段から突き飛ばすのか。怖い奴だねぇ、お前は」

「俺はそんなことしねぇよ」

「加藤はするのか?」

「う……しないと、思う……」


 ああ、そうだ。そりゃ人間発作的に何をするかなんてわかんねぇけど、加藤先輩がそんなことする人かって言われたら、違うって言える。短い付き合いだけど、恋人を想って泣く加藤先輩を思い出したら直情的な行動はどうも馴染まなかった。


「じゃあなんで……滝本先輩は誰をかばってるんだ……」


 うむむと腕を組み考えてみたがまったく何も思い浮かばない。


「てか、そういうお前はわかってるのかよ」

「さぁ」


 芥川はパックの牛乳を飲み干すとそのままゴミ箱に放り投げた。


「あっ、こらそのまま捨てたらダメだろー! 臭くなるしー!」


 慌ててパックをゴミ箱から取り出した。仕方ない、あとからすすいでちゃんと捨てよう……。


「ほっとけよ、もう」


 腹が満ちて満足したのか芥川はまたゴロンとソファーに横になってしまった。こうなると芥川はテコでも動かない。説明する気もなさそうだ。だから俺はちょっとばかし卑怯な手を使うことにした。


「滝本先輩が階段から突き飛ばされたのは誰のせいだよ」

「……」

「確かにもう同じ事件は起こらないかもしれないけど秘書の中田さんは警察沙汰にはしないって言ってたぞ。だったら滝本先輩はこれから先も勘違いしたままだ。そういうのどうかと思うけど。せめて滝本先輩だけには本当のこと話した方がいいんじゃないの」

「……考えとく」


 これ以上聞きたくないと言わんばかりに俺に背中を向ける芥川。何が問題かってやっぱり他人事じゃないからだよな。確かに芥川の家庭の事情抜きに滝本先輩に説明することは難しいかもしれない。てか説明したら普通に警察沙汰だし、芥川はこの学園にはいられなくなるだろう。さっきは煽るようなこと言ったけど、俺は滝本先輩が何かしら誤解したままでいるんなら、それを解消してほしいってだけなんだよな……。


 でも芥川の事情抜きであいつが滝本先輩にどう説明するかって難しすぎるっていうかなんというか……。

 言いたいことは山ほどあったが、なんの名案も思いつかない俺も、結局口をつぐむしかなかった。

 

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