⑦花は桜木、人は武士


 中田さんが置いていったポットで新しいお茶を作る。膝を付き合わせ向かい合ってお茶を飲みながらエリカの話を聞いていた。


「トールは誰にでも人当たりいいし、会いたい時には都合が合えば会ってくれるわ。でも決して自分からは会いに来てくれなかった。私たちは精神的に父親を失って、それぞれの道を探すしかなくなった」

「じゃあ今日襲ってきたのは……」

「兄の一人よ。三番目」

「そっか……」


 ただ認められたい、愛されたい、それだけなのに。なんでもできる超人真殿斗織は子供たちを愛さない。やっぱり罪な男だぜ。つか、芥川はどうするのかなぁ……。


 真殿斗織に《嫌いだ》なんて言ってたけど、あの御手座流だろ? 本人の意思はとりあえず置いとくとして芥川の花には真殿斗織をうならせる、そして他人を惹きつける魅力があるのは確かだ。もし、もしかしたらだけど教師やめたりとかあるのかな。想像するとなんかモヤモヤした。



 

 内覧会が終わったと中田さんが知らせてくれたのはそれから小一時間後。彼の運転する車にこっそりと乗り込んで家まで送ってもらうことになった。

 広い車の後部座席には俺とエリカだけ。そしてエリカは終始無言を貫いているから、運転手の中田さんがいても妙に緊張する。マンションのそばに車を停めてもらって、改めてエリカの横顔を見つめた。


「エリカ」


 彼女の横顔は凛と美しくて彼女の目線の先にあるもの全てに嫉妬してしまいそうになる。この車を降りたら多分エリカとはこんな風に話せなくなるとわかっていたから余計に。


「俺はいつでもどこでも何があってもエリカの味方だから。それだけは覚えといて」


 俺の言葉にエリカは黙って耳を傾けている。


「まぁ、俺相変わらず弱っちいし、個人的に問題抱えつつだけど……エリカのことはずっとずっと応援してるからな」


 正直エリカはもうサラになりたいとは考えなくなるのか、わからない。いやむしろ、赤の他人の俺の言葉に一度耳を傾けたとしても、実の父親である真殿斗織に対する思いがそう簡単に変わるとは思えない。でも俺の一言がほんの一瞬でもエリカの気休めになるのなら、微力でも力になりたいと思う。


「『弱いにしろ強いにしろ、とにかくお前はそこにいる。それが強さというものだ。お前はどこへ行くのかも知らず、なぜ行くのかも知らない。どこへでも入って行くがいい。何にでも答えるがいい』」


 エリカがふと、長い夢から覚めたようにつぶやく。


「それって?」

「ランボーよ」

「ああ、そうか……こないだも聞かせてもらったな。ランボー。お母さんは詩人だったんだよな」

「うん」


 首だけを動かして、エリカは俺を見つめる。とても落ち着いた目をしていた。


「またね、ギン。おやすみなさい」

「え? あ、うん、おやすみ」


 いつの間に外に出ていたのか中田さんが後部座席のドアを開けてくれる。今またねって言った……よな。テレビ越しに会いましょうってことか? 後ろ髪引かれながら車を降りるとすぐにドアが閉められる。テールランプが遠くなり見えなくなっても俺はまだ半分夢見心地でその場に立ち尽くしていた。



 

 翌朝いつものように学校へと向かう。ぼんやり校門に続く坂を上っていたらだいぶ先に芥川らしき人物が歩いているのが見えて、発作的にその人影を追いかけていた。


「待った……っ!」


 手を伸ばして手首を掴む。


「……えっ!?」


 驚いたように振り返ったその人は……。


「あ、ら。かっ、滝本先輩!?」

「ビックリした、綴君かぁ……」

「うわぁぁぁぁあ、すっ、すみません、その、間違えましたっ!」


 慌てて掴んでいた手首を離し、ペコペコと頭を下げる。


「男友達と間違えたんでしょ?」

「え? あ、はい、すみません……」


 本当は芥川と間違ったんだが失礼なことには変わらないので頷いた。


「私の場合はよくあることだから」


 滝本先輩は苦笑しさらりと髪をかきあげる。


「女子にしては背が高めだし、基本的にズボンが多いしね」


 そう、そうなんだ。今までジャージと体操服、私服という制服以外の滝本先輩としか話してなかったから驚いてしまった。今日の滝本先輩はスカートではなくパンツだったんだ。十月学園は制服はとりあえず着てればいい。

 だから女子がパンツを履いてはいけないなんて校則ももちろんなくて、校内でもたまにだけどズボン姿の女子も見かける。ただ滝本先輩の場合かなり細身で均整のとれた体型をしているから、完全に男だと、しかも芥川だと勘違いしてしまったんだ。


「じゃあまたね」


 滝本先輩はにっこり笑って踵を返す。その後ろ姿はやっぱり芥川によく似ていた。

 顔は似てないんだけど髪型とか、細くて白い首とか、そういうとこのカテゴリーが似てんのかなぁ……。


「はい……ほんと、すみません……」


 謝りつつ彼女の背中を見送っていると「あ、そうだ綴君」何かを思い出したのか立ち止まり、彼女は肩越しに振り返った。


「今度スイーツクラブの取材、二回目お願いできるかな?」

「――え?」

「前回はいきなり行ったもんだから、派手な写真が撮れなかったって新聞部がちょっと、ね。完全にあちらのワガママだとは思うけど、取材不足と考えれば確かに一理あるとは思うんだ。だから今度は最初からきちんと取材させてもらえないかなって。どう?」

「あ、はい、大丈夫だと思います。今日クラブ行くんで、みんなに伝えておきます」

「よかった。じゃあまたね」


 滝本先輩はホッとしたように笑い、今度こそ行ってしまった。

 スイーツクラブの取材……二回目? 一回目ってあのスコーンが無くなった時の話だよな。滝本先輩は生徒会……。あ、あの日来た生徒会って滝本先輩のことだったのか。そっかあ……ふぅん……。


「はよーっす……」

「おはよう、ツヅリ。てか、なんか疲れてない?」


 すでに教室に来ていた中尾と挨拶を交わし、席に着く。


「んー、土日いろいろあってさ」

「いろいろって?」

「えっとさぁ……いろいろ?」


 一応説明してみようと言葉を選ぼうとしたが、全くできる気がしなくて誤魔化す。


「なんだよ、それ」


 中尾がすっきりした一重まぶたをぱちぱちさせる。


「いや、ほんといろんなことありすぎて疲れたんだよ……はぁ……」


 思い出すだけで疲労感がどっと押し寄せてきて思わず机に突っ伏してしまった。

 この土日にあったことってさぁ……。土曜はタカシ兄ちゃんの手伝いで美術館に行って、真殿斗織に会って、トラウマ刺激されてやっぱり書けねーわってなってさ? 翌日、エリカ会いたさにのこのこと真殿斗織のアートフラワー展の内覧会に顔出して……芥川のこと傷つけようとする真殿斗織の三番目の息子に殺されかけてその三番目の息子が真殿斗織の邪魔になると思い込んでるエリカに菊一文字で切られて。

 で、芥川に花で飾られて、芥川の家族の確執を聞かされてなんとなく地味にへこんでいるというね……。

 当事者の俺が並べても意味不明だろ。濃いよ、濃い! 学校に来るとあれが全部夢だったんじゃないかって気がするけど、全部現実で本当にあったことなんだよなぁ……。


「ほんと、いろいろあったみたいだな」


 頭上で中尾が苦笑する声がした。

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