⑥花は桜木、人は武士


 気づけば客の注意はまた真殿さんたちに移っていた。お言葉に甘えて俺とエリカはそっとその場を抜け出し控え室へと逃げる。普段は会議室として使っているんだろう、20畳くらいのスペースにはテーブルと椅子、ホワイトボードがある。シンプルな部屋だ。さらに部屋の角にパーテンションがあって、エリカは長テーブルの上に畳んで衣類をざっと腕に抱えるとパーテンションの裏に隠れてしまった。


 うん? ぼーっと突っ立っていると、向こうからしゅるしゅると衣擦れの音がし始める。

 んなっ!? まっ、まさか着替えてる!? 俺も中田さんもいるのに!?


 鏡を見なくても今自分の顔が真っ赤で、耳まで熱くなっているのがわかった。

 だっ、ダメだろこれは! あわあわしつつ部屋を出ようとしたら「綴様はこちらをお召しください」と中田さんから真新しいタンクトップとデニムシャツを差し出された。


「衝立はございませんがよろしいですか?」


 どうやら俺もここで着替えろということらしい。


「あ、はい、大丈夫です、ありがとうございます……」


 いいのかよ俺がいて気にならないのかよと思ったが仕方ない。全身を飾る花をそっと抜いてテーブルに並べ、パーカーを勢いよく脱いだ。


「いっつ……ぅ」


 全身のひきつる痛みから想像する以上にパーカーは本当にあちこち派手に切り裂かれてただのボロ雑巾だ。あーあ、このパーカーすっごく気に入ってたのになぁ……。地味に落ち込むぜ。


「これは……」


 そこで初めて中田さんが、テーブルの上の救急箱を慌てて広げる。思ったより酷かったのかもしれない。俺を椅子に座らせると、テキパキと消毒をし大きな絆創膏を貼ってくれた。


「ありがとうございます」

「いえ。それではお茶を持ってまいりますのでお着替えください」


 中田さんはテーブルの上を片付け部屋を出て行く。


「えと……じゃあ着替えるかな……」


 パーテンションの向こうにエリカがいる。そう思うとなんだかむずがゆくて思わず独り言を繰り出してしまう小心者の俺。サイズ的に入るのか微妙にビビってたけど羽織るだけなら問題ないようだ。着替え終わったところでちょうど中田さんが戻ってきて、テーブルの上にお茶を並べた。

 口元に運ぶとすごくいい匂いがする。エリカも姿を現して俺の隣に座ってお茶を飲む。長い脚にぴったりと張り付いたジーンズと厚手のTシャツというカジュアルだ。でもめっちゃ可愛い。ていうかほんと何しても可愛い。生きてるだけで可愛い。


「制服の上着は至急クリーニングをしまして、明日お持ちします」

「何から何までどうも……って、上着ってことはあの人!」

「はい。こちらで保護いたしました」

「保護……こちらで?」

「正確には御手座家に連絡を取っただけですが」

「あ、そう……」

「警察では少し都合が悪いこともございます」


 中田さんは至極淡々と法律を無視した言葉を連ねる。


「それってもみ消すってこと?」

「綴様には大変なご迷惑をおかけしましたがさようでございます」

「いや、そうじゃなくて。俺のことはいいんだよ別に。だけどそれ芥川が納得する?」

「なさいませんね。双樹様は御手座家のこういうところをひどく嫌っておいでですから」


 それまでピクリとも表情を変えなかった中田さんの表情がほんの少し困ったような笑みを浮かべる。もしかしたら中田さんは芥川のこと気に入ってるのかもしれないな。あくまでもただの勘だけど。


「それでは内覧会が終了いたしますまでこちらでお待ちください」


 出て行く彼の背中を見送ると部屋はしんと静かになった。


 えっと……何か喋ったほうがいいのか? いや俺が無駄口叩いても何の得にもならないから黙ってたほうがいいか? とりあえずこういう時は寝たふりでもしたほうがいいのか。あー、どうしよう!! もんもんしていたら「ねぇ……」と、エリカが口を開いた。


「ん?」

「双樹と仲がいいみたいだけど、あいつのことどのくらい知ってるの?」

「どのくらいって……何にも知らないな。双樹って名前も今日初めて知ったし」


 そもそも俺が一方的に借りがあると思ってるだけであいつが俺のことをどう思ってるかなんてわかんないもんな。下手したら俺よりパンの耳の方が好きだろ。食えるし。


「そうなの……」


 エリカは少し驚いた様に目を見開き、それからパイプ椅子の上に膝を抱えて座り直した。その様子はどこか寂しそうで、どうも黙っていることもできず思い切って尋ねてみる。


「さっき、芥川は真殿さんに《父さん》って言ってたけど、あれどういうこと? そんな歳じゃないよな、真殿さんって。せいぜいいって三十代半ばだろ?」

「トールには私を含めて七人の認知した子供がいるの」

「ふぅん……七人の……ってはぁぁぁあ?」


 驚きすぎて椅子から転がり落ちそうになった。


 なんだよ七人の子って! アブラハムかよ! てか、エリカは娘!? はあ!?


「でっ、でもあの人一度も結婚したことないって言ってたぞ!?」

「ええ、ないわよ。だけど結婚しなくたって子どもは作れるでしょう?」


 エリカが不思議そうに首をかしげる。いやいやいやいやそうだけどさぁ!


「あ、えっ、と、じゃあ真殿さんいくつ??」

「44歳」


 驚いた。ナチュラルに十以上若く見える。若作りとかそんなレベルじゃなく、まるで歳をとるのを忘れているみたいだ。だって肌だってピカピカで髪もツヤツヤしてたし。あれなら二日酔いで死にかけてる姉ちゃんズの方がよっぽどババ……年上に見えるわ。


「七人兄弟の一番上は30歳で、一番下は私。全員腹違いよ」


 腹違いって要するにお母さんが違うってことだよな? てか一番上が30で真殿斗織44ておかしいだろ! どうなってんだよ! いやっ、不潔よーっ!


「芥川は?」

「双樹は特別……沙羅の息子だから」


 そこで、しゅんと落ち込んだような表情を見せるエリカ。長い睫毛を伏せて俯いてしまった。


「沙羅……ってエリカがなりたかった沙羅?」

「そう。トールのたった一人の最愛の姉よ。17年前、沙羅が死んだあとトールは息子の双樹を引き取ったの。双樹にとってトールは叔父で、名付け親で、育ての親ってこと」

「そう、だったのか……」


 名付け親……育ての親。で《お父さん》なのか。沙羅の息子で双樹。つか、沙羅双樹しゃらそうじゅってお釈迦様が死んだところに生えてた樹のことだろ? 綺麗な名前だけどちょっと悲しい感じがするなぁ……。真殿斗織はどんなつもりで芥川に双樹という名前をつけたんだろう。


「トールは御手座流の跡取りだったけど、沙羅が死んでからすべての権利を放棄した。御手座を捨てたあとは遠縁の、特に深いゆかりもない真殿を名乗るようになった」

「そんなこと許されるわけ?」

「いいえ、もちろん親族は許さなかったわ。トールには御手座流をまだまだ大きく出来る才能があったから。ここですったもんだがあって、結局トールは自分の血を分けた7人の子供たちと甥の双樹を合わせた8人の誰かに、次期家元を継がせると約束したの」

「で、それで選ばれたのが芥川?」

「そう。元々兄弟はみんな私を含めそれぞれ英才教育を施され、育てられていた。だけど結局……選ばれたのは一番やる気のない双樹だったの。5年前のことよ。他の兄弟はいまだに納得していないけど……。私は当時小学生で、はなから物の数に入っていなかったのかもしれないけど……私だって倒れそうなくらいショックだったし、いまだに夢に見るくらい」


 エリカは膝小僧におでこをくっつけてため息をつく。


「そして、跡取りが双樹に決まったら私たちはみんなトールに捨てられてしまったの」

「捨てた?」


 物々しい言葉に一瞬ゾッとする。だけどエリカは弱々しく首を横に振った。


「誤解しないでね。なにも途端に冷たくされたとか責任を放棄されたとかじゃないわ。むしろ生前分与で相当な財産を相続したし。だけど私たちがトールから欲しいものはそんなものじゃないの」


 ふと気づくと、エリカの細い方が震えていた。きっと泣くまいとしているんだろう、大きく見開いた瞳に涙の膜が張っている。


「トールは私たちっ……ううん、私が何したって基本的にはどうでもいいのっ……トールの心にあるのはいつも沙羅と双樹だけだからっ……それでもトールの心が欲しい、私を傷つけないための優しさじゃなくて、本気で私を見て、向き合って欲しい……っ……!」


 しん、と静かな会議室に、エリカの嗚咽が響く。


「うっ……ヒックッ……だけど、ダメなのっ……わたし、サラに、なれ、ないっ……ひっくっ……」

「エリカ……」


 ああ、もうダメだ。

 気がつけば、俺は泣きじゃくるエリカに手を伸ばしていた。


 俺の前で泣いているのはアイドルでもない女優でもない。ここにいるのは一人の普通のそして俺の好きな女の子。泣いてる顔なんて見たくねぇよ。


 エリカの丸いきれいな後頭部をヨシヨシと、逆立った心を撫でた。


「エリカ、それでいいじゃん」

「え……?」

「沙羅の真似じゃなくてエリカらしくいればいいんだ」


 何を言い出すのかと顔を上げ俺をキョトンとした顔で見つめる彼女。まるで子供みたいに無防備な顔だ。いじらしくて胸が苦しくなるよ……。


「こんな風に心をさらけ出されたら、さすがの真殿斗織もほっとけねぇよ。つか、俺がゆるさねぇよ。なんでこんな可愛いエリカのことほっとくんだよ、意味わかんねぇ」


 手のひらの下の黒髪はつるつるしていて、いったいどんなシャンプー使ったらこうなるんだと若干脱線しながら思考を巡らす。と「私、かわいいの?」恐ろしい発言に一瞬手が止まった。

 何言ってんの、この子。おお、神様この子をおゆるしください!


「はい?」

「いや、顔はそこそこだけど、中身が可愛くないのは自覚してるから……だけどギン、いま、私の中身の話、したみたいだから……」

「お、おう……」

「そっか……」


 エリカはごにょごにょと呟いたあと、さらに膝におでこを押しつける。それから目線だけで俺を見上げた。


「だっ、だったら、もっと、言ってくれてもいいよ?」

「え?」


 意味がわからなくて言葉が出てこない。


「だからっ……その、かわいいとか、その……好きとか」

「……っ!」


 頭の中に天使の祝福のラッパが鳴り響く。


 なんなんだよこれ! 女の子ってかわいすぎるだろー! 顔がめちゃくちゃ熱くなる。火が出てそうだ。だけどここで黙ってたら男がすたるぜ! せっかく許可が出たんだ、俺は自分をさらけ出すっ!


「かっ……かわいい、めちゃくちゃかわいいよ、エリカ、大好きだ! 生まれてくれてありがとう!」

「ふふっ、なにそれ」

「なにそれって、俺の正直な気持ちだけど!?」

「……そっか。嬉しいね。そっか……心をさらけ出されたらほっとけないって、こういうことなんだ」


 泣いていたエリカはくすくすと笑い、目元に浮かぶ涙を指でぬぐう。


 よかった笑ってる。それが嬉しくてたまらなくて、エリカの頭を撫でる手をもっと優しくする。嫌がられたらすぐにやめようとものすごく真剣にやったけど、エリカはそんな様子も見せず、黙って俺に撫でられてくれた。まさに地上に舞い降りた天使! で、とりあえずこれって嫌われてないってことでいいよな? 屋上で告ったことなかったことにされたのかと地味に凹んでたけどこれからも勝手に好きでいてもいいってことだよな、やったー!


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