⑤花は桜木、人は武士


「うわああっ!?」


 とにかくエリカに怪我だけはさせられないと彼女の頭を抱えるようにしてゴロンゴロンと転がる。エントランスに続く階段は幅が広く、しかもゆるくカーブしていて段差がそれほどなかったのが幸いだったのかもしれない。俺自身は頭に血が上っているので痛みを全く感じなかったが、エリカは細いのでどこか痛めたんじゃないかと気が気じゃなかった。慌てて起きがり、呆然としているエリカの肩をつかみ、上半身を起こして顔を覗き込む。


「どこも怪我してないっ!?」

「だっ、」

「どっか痛い!?」

「い、じょぶ、大丈夫よ、本当に……」


 息も絶え絶えといったふうのエリカ。そりゃそうだろう。階段から転げ落ちるなんて怖いに決まってる。


「ほんとに!?」


 両手で、うつむいたままのエリカの顔を持ち上げていた。うおー、顔ちっせえ! 俺の手のひらに収まるくらい小さくて、こんなんでよく生きていけるな!? 咀嚼とかできんの? まるで人形みたいだ。あーもうっ、どっか怪我してたらどうしよう……!

 泣きたい気分にかられながら額や頬にかかる、乱れたエリカの髪を直してやる。


「ギン、まずいわ……」

「ん?」

「ちょっと君、大丈夫なの!?」


 うん?

 ハッとして周囲を見回してみれば、着飾った老若男女が驚いたように俺とエリカを取り囲んでいた。

 ぎゃーーー!


 一人二人じゃない。エントランスのど真ん中にいきなり姿を現したたちに客たちは興味津々だ。中には携帯のカメラを向けているやつもいて、とっさにエリカを腕の中に抱き寄せていた。

 やばいどうしよう、エリカ抱き上げて逃げるか? いやそんなことしたら通報もんだよな、いやいや待て俺は通報されてもいいけどこの怪我の理由とか聞かれたらまずい。エリカだけは巻き込めない! 

 頭の中をいろんな考えがグルグルと廻る。と、その瞬間。


「傷つけた傷つけたと泣くお前はいつも傷だらけだね」


 エントランスホールに涼やかな声が響いた。その声を聞いた途端、なんでだろう。若干緩んでた涙腺がさらに緩んでしまった。


「泣いてねぇし……つか、馬鹿だって思ってんだろ」

「ああ、思ってるよ。どうしてこうなるのか……本当にお前は馬鹿だ」


 芥川は両手をポケットに入れたまま俺を見下ろす。

 馬鹿馬鹿言いたい放題言いやがって……。

 俺はぼーっと、俺をまっすぐに見下ろす芥川の顔を見つめ返していた。こんな時に言うのもなんだけど、芥川の口の悪さは大したもんだ。学校でも外でもボロクソ言われてるし、最近じゃパンの耳扱いだし。だけど、なんでだろう……。俺はこいつに何を言われても本気で傷ついたりしないんだ。


 で、今さら気づいたけど、ヤツの隣にはなんと真殿斗織がいた。二人で何かを話していたのかもしれない。けれど芥川は真殿斗織から離れて、衆人環視の中俺に近づいてくる。


「なんだよ……」


 ゴクリと息を飲む。この状況でまた腹立つこと言われたらマジで泣き喚いて周囲をドン引きさせるからな!

 けれど芥川はいつもの悪口を言わなかった。嘘みたいに優しく見える顔で俺を見下ろした。


「でもね……傷つけられたから今度は誰かを傷つけてやろうと思わないお前は、尊敬に値する馬鹿だよ」


 そして芥川は笑ったんだ。まるで天使みたいに。春に気づいた緑が芽吹き花が開くように。


 あいつの手がすうっと伸びる。如来像を思わせるような優雅な指先で、俺たちの背後、階段の下の左右に設置してある大きな花瓶の中から何本も花を抜き取ると、戻ってきてそれをそのまま俺の胸元に差し入れる。


「へ?」

「じっとしてろ」


 そして芥川は、会場のいたるところに展示されている真殿斗織の作品からテキパキと花を抜いていく。中には女性が胸につけていた髪飾りやコサージュまであった。

 だけど観客(そう、芥川というマジシャンが見せるイリュージョンの観客になってた)は大人しく奪われるままで、中にはうっとりしてる女の人もいて唖然とする。そして彼は座り込んだままの俺とエリカをどんどん飾り立てていった。


 一体何が起こってるんだ? 芥川、お前は……何をしてんだよ。

 びっくりしつつも、いつもみたいなツッコミで芥川を止めることはできなかった。だって、花を持つ芥川は見たことがないくらい綺麗だったから。

 研ぎ澄まされた刃のようにどこまでも澄んだ眼差しで、そして触れることはできない、玉鋼の意志を秘めていた。


 いつも面倒くさそうでゴロゴロしてて、ダラダラしてて、絶望的に才能がないのにギャンブル狂で、口は悪いし、足癖もひどい。二重人格。顔しか取り柄のないやつだと思ってたけど、そうじゃなかった。


「ギン」


 名前を呼ばれて顔を上げると、芥川は最後にちょうど心臓の上に空いた大きな穴に白いバラを刺したところだった。切りつけられて派手に敗れたパーカーの中に、まるで傷から花が生まれているかのように錯覚させられる。そして腕の中のエリカは、その黒髪の耳元に大輪の赤いバラ……。


「素晴らしい!」


 興奮したような声に顔をあげれば、真殿斗織が拍手をしていた。俺とエリカ、そして芥川を取り囲む輪の一番前にまで来てる。


「素晴らしいよ!」


 いつもポーカーフェイスで、本心を見せない真殿斗織が興奮している。その熱意に当てられたのか、つられて周囲の人間もパチパチと手を叩き始め、しまいには耳が痛くなるほどの大拍手になっていた。


「なんだ、あれ本物の血じゃないのね」「当たり前でしょ。女の子、あれエリカだろ。この内覧会のためのデモンストレーションさ」

「ロミオとジュリエットがモチーフかしら?」「現代アレンジだな」「うん、素敵だわ。傷ついた若い男女が流すのは、戦争の血じゃなくて恋の花なのよ〜!」「音楽が欲しいねぇ!」


 ホールが割れんばかりの拍手に包まれる。おお、なんてことでしょう。芥川はこの空間を尤もらしく《花》へと作り変えてしまったのです……。


 いやでも、助かったのか? 目立ちまくったけど、大騒ぎにならずに済んだのは芥川の機転のおかげだ。エリカは戸惑いながらも、俺と芥川の顔を交互に見比べ唇をきつく噛みしめた。


「双樹……」


 その声には、嫉妬、羨望、怒り……だろうか。いろんな感情がにじんでいる。けれど芥川はエリカの視線を無視し目を伏せ自分の手を見つめる。きっと本当はこんなことしたくなかったんだ……。だけど助けてくれた。


「あ、あのさ……!」

「いい」


 ありがとうとお礼を言いかけたのを手のひらで制する芥川。それまでの研ぎ澄まされた表情がなりをひそめていく。


「傷ついたり、傷つけられたり、それが生きてるってことだ」


 輝く瞳に射抜かれて、頭のてっぺんに雷が落ちたような衝撃を受ける。


 傷ついたり、傷つけられたり、それが生きてるってこと。至極まっとうな言葉がまっすぐに胸に刺さる。ぐっと息が詰まって何も言えなくなる。そうだよな。人は人と関わらずに生きていくことなんてできない。傷つけたり傷つけられたり、それでも毎日を生きていくしかない。

 だったら俺は……強くなりたい。もっと強く。傷つけずに済むように。傷つけられても傷つかない強さを持ちたい。


 そんな思いで見つめ返すと「ふふっ……」まるで心でも読んだかのように、俺を見てかすかに笑う芥川。そして立ち上がりこの場から離れようとする。


「双樹、待ちなさい!」


 慌てたように近づいてきて芥川の腕を掴んだのは真殿斗織だった。芥川は深いため息をつき足元に視線を落としたあと、意を決したように唇を真殿斗織の耳元に近づけた。


「実の子供たちですら花のために道具にする。やっぱりあんたは頭がおかしいよ。今後も関わりたくないし嫌いだね、父さん」


 とっ……父さん!? 今、父さんって言ったよな!? ってことは、真殿斗織が芥川の父親!? はぁ!? でもいくら若く見えるったって真殿斗織は芥川みたいなでかい息子いていい歳じゃないだろー! 計算あわねぇっーの!


 嘘だと疑いつつも、でもまさかと考えて心臓がばくばくと跳ねる。


「真殿さん、この方はお弟子さんなんですか?」


 芥川の魔法に魅せられた観客が次々と真殿斗織と芥川を取り囲んでいく。


「弟子といいますか……」


 他人の目にポーカーフェイスを取り戻したのか、真殿斗織は苦笑しながら芥川をクールな眼差しで見つめた。いや、冷めてるのとは違うのかもしれない。青い炎をまとった瞳で、芥川を見つめている。包み込むような燃やし尽くすような、俺が知っている真殿斗織らしくない、激しい感情を秘めた一瞥だった。

 だが芥川の表情は不愉快に輪をかけている。いつもの猫すらかぶるつもりもないようだ。チッと舌打ちをしうるさそうに真殿斗織の腕を振り払ったが、芥川に火をつけられた観客の熱は冷めることがなく一層盛り上がっていくばかりだ。助けてもらってなんだけど、大丈夫か、あいつ……。


 ハラハラしながら見ていると「――エリカ様、綴様」振り返った先にひっそりと、真殿さんの秘書の中田さんが立っていた。


「お着替えを用意しておりますのでどうぞこちらに」


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