③花は桜木、人は武士
御手座流……って。思いもよらぬ返答に一瞬詰まったが、その言葉には聞き覚えがあった。
「なんか聞いたことある……」
「江戸時代、池坊から遠州流やら古流やらと一緒に分流したいけばなの流派の一つだよ。御手座の名前の通り、もとは神社で、神に花を捧げる家系だったらしいけどね」
「ふぅん……いけばな……え?」
まさかまさかまさか……。ぞわぞわとしたものが足元から這い上がってくる。
芥川は「あー、こいつどうするかな……警察はまずい……いやでもな……」と、独り言を繰り返し、眉間にしわを寄せている。
「おい、芥川」
「ん?」
「お前、あれなの。その、御手座流の家の子なの」
「――」
「それはつまり、あの……」
頭の中で次々とパズルのピースがぱちんぱちんとはめ込まれていく。
「お前、真殿斗織の身内っ……そうだ、おっ、弟なんだな!?」
そうだ。言われてみればどこか似ていたんだ! 周りを圧倒する美貌も、どこか浮世離れした雰囲気も、スーツのポケットに無造作に手を突っ込む姿も、人工の明かりを好まないのも!
「……はぁ……」
俺の言葉に芥川は力一杯、面倒くさそうに息を吐き捨てる。だけど俺は追求の手を緩めなかった。
「真殿斗織は元々華道のちゃんとした流派の出だって聞いた。だけどそれを捨てて自分の道を切り開いた人だ。でも彼が御手座流の、たとえば家元を継ぐような立場の人間だったなら、彼が抜けたことでその席は空席になるよな? で、次が、弟の芥川、お前なんじゃないか? で、この家元の証とかいう、わけわからんものを探してたこの人も、お前と同門の御手座流の人なんだ! ということは、国語準備室を荒らしたのもこの人……?」
「――まぁ、だいたいあってるね。ふんわりだけど」
芥川はすべての興味を失ったように、冷めた表情になる。だいたいってなんだよ、ふんわりって意味わかんねぇ!
「あ、でもでもこのご時世、白昼堂々不審者が学園に入れるかな?」
うむむと首をひねると「面会名簿に自分の名前を書いたんだよ、こいつは」ため息まじりに芥川はつぶやく。
「え!?」
「身分証の提示込みで、きちんとした手続きを踏んだから学園の中に入れたんだ。あと、球技大会の時もね。今日、名簿を調べてみるまでわからなかった。名前を発見して、だからこいつは今日ここに来るかもしれないと思った」
だからなんで球技大会? 不思議に思いつつもとりあえず目の前の疑問から片付けたかった俺は、疑問を口にする。
「身元を明らかにする泥棒いるのかよ」
「本人はいたって真面目だよ。罪の意識なんてないはずさ。逆に正統性をもって泥棒の俺から……そんなものはないが、証を取り返して、ついでにあの諸悪の根源ゲス男に直接認めてもらおうと思ってたんだろうよ」
「またゲス男とか言って……家族なんだろ?」
「チッ……」
芥川は心底いまいましげに舌打ちすると、首にまとわりつく髪を指でうるさそうに払った。
そうか、真殿斗織と芥川は兄弟……。呆れながらも少しずつパズルのピースがはまっていく。確かにこの刃物男、芥川に近づくなとか言ってきたときも《忠告》っぽかったし、今日だって、なんか天誅を下すって感じで刃物振り回してたもんな。自分はあくまでも正義だと思い込んでる感じだった。としたら、なんか可哀想かも……。
「うっ……」
芥川と同門(というか俺にとっての天秀先生みたく兄弟子にあたるんだろうか)の男は、再度目を覚ましたらしく、うめき始める。
「おい、やめろって!」
無言でスッと右手を上げる芥川を慌てて止め、しゃがみこんだ。
「でも、まだ釈然としない部分があるぜ。この人完全に逆上して、俺と芥川混同してたけど、そもそもどうしてここに来たんだ? 芥川からその、取り返そうとしたとしても、どうしてここにいると思ったんだろう」
「……さぁな」
どこか含みのある気配を漂わせながら、ポケットに両手を乱暴に突っ込み男の背中から足をおろす。
「さぁなってお前……」
「俺の知ったことじゃない。それよりこいつは警察に引き渡すよ。気は進まないけど学園にまで侵入して生徒を傷つけたこと、許すことはできない」
そしてコンクリートの上に転がったままの包丁をポケットチーフでつまみ上げ、男が持っていたバッグにしまいこみ、小脇に抱えた。
「あ、そう……まぁ、そうだよな……って、生徒って?」
「考えろよ、バカ、低脳、山ザル、パンの耳」
冷たくあしらわれてぐうの音も出ない。てか、パンの耳? もはや一袋50円の域まで落ちてる!
「人は合理的な生き物ではない。世界は全て情動で動いているんだ。あとからもっともらしい理由をつけたり理屈をこねているだけさ」
芥川はいつものわけわからん持論をぺらっと口にし、そして踵を返しスタスタと階段の方へと向かっていく。
「えっ、ちょっ、この人どうすんの!?」
「転がしとけよ。あのゲス男に然るべきところに連絡させるから」
「警察!?」
「そうだ」
「あ、そう……」
なら安心だな。俺もつられて立ち上がり、芥川の背中を追いかけようとしたのだが、こんなところに人を転がしておくことにどうしても抵抗を覚えてちょっとばかし悩んだ後、少し離れたところ、十字架の下に膝を抱えて座り込んだ。
もう暴れられないだろうし、せめて警察くるまでここにいよう……。そんな俺を芥川は呆れたように振り返ったが、何も言わず階段を下りていった。馬鹿だって思ったんだろうなぁ……。
「……」
ちらりと男を横目で目おろせば意識はすっかり戻ったようで至極冷静に見える。包丁はないし後ろ手に縛られてるし大丈夫だよな。
「あの……芥川は後を継ぎたいと思ってないみたいですし、もうこういうことやめたほうがいいと思います。普通に己の華道を全うしたほうが、あなたも苦しまなくていいんじゃないですか?」
神経を逆なでしないよう気を使いつつ口にしてみれば、「……フッ……おめでたいな」男は鼻で笑い、くしゃっと顔を歪ませた。
「お前はわかってない。選ばれない者の苦しみがっ……」
その顔を見たとき初めて人の言葉を聞いたような気がした。
「ずっと、ずっと、物心ついた時から目標にしてきた、神のようなあの人に愛されたかったっ……僕だけじゃない、みんなだ、愛されたくてもがき苦しんで、どんなことも修行だと乗り越えてきたんだっ……それなのにあいつは、すべてを飛び越えてっ……ただそこにいるだけでっ、圧倒的な、才能を見せつけてっ……なのに、選ばれて初めてなにもいらないとほざきやがった!」
切れ長の瞳からぶわっと涙が溢れ吹き出す。
「神からの贈り物を、無駄にしやがって……許せるかよぉ! 兄弟みんなが欲しくてたまらないものをあっさりと捨てて見せて、逃げやがって、父さまを苦しめやがってっ……!」
父さまって誰だ? 家元的な人か? 要するに芥川は後継になりたくなくて逃げ回ってた?(だとすると、今までギャグだと思ってた職を転々とするとか、放浪癖があるっぽいことはマジなんだろうか)
で、なんかよーわからんが、まぁこの人にもこの人なりの苦しみがある……。もちろん人を傷つけるなんて絶対やっちゃダメだけど! だけど自分の思いにがんじがらめに縛られて、振り回されてこんなことをしたんだと言うのなら、やっぱり少し同情してしまう。それは俺が弱い人間だからかもしれないけど……。
「あの……認められたい、愛されたいって気持ちはわかります。俺も弱いから、わかります……。だけど愛されている人間を傷つけたって、その愛情が自分に回ってくるわけじゃないんですよ。そもそも芥川に包丁振り回したって、その、お父さんは喜ばないんじゃないんですか?」
「っ……!」
男は涙でぐしゃぐしゃな顔を一層歪める。
「違うやり方で、愛されるわけにはいかないんですか?」
俺の言葉に、彼は身を縮めて泣き始めてしまった。
「ううーっ……」
ああ、そうか。その違うやり方じゃ散々報われなかったから、こんなことしたんだ。
なんなんだよ。なんでこんなことになったんだよ……。めちゃくちゃ悲しくなって、気分だけでなく体まで重くなる。
「そうよ、あなたは何もわかっていない。彼の望みに寄り添っていないもの。だから愛されないのよ」
突如凛と響く声にまた驚いて振り返る。と、そこに白いドレスを着た長い髪をたなびかせたエリカが立っていた。
「エリカ……!?」
最初は夢かと思った。肩を出した後ろだけ長い引きずるようなロングドレス。なんかキラキラしたビーズみたいなのがついてて、白いエリカがいよいよ白く見えて、きれいだけど、きれいすぎてちょっと怖いくらいだった。でもなんでエリカが……ここに。
「……って、エリカ、きちゃダメだ!」
慌てて立ち上がりエリカと男の間に立つ。
「……じゃ、ないっ」
「え?」
「私はサラよ、サラなの!」
まるで駄々っ子のようにエリカは叫ぶ。
「え……?」
サラ、そうだ。エリカは以前俺にそう呼んでほしいと言ったっけか。
「私はサラ。トールの願いを叶えて、そして真っ当に愛されるの」
エリカは持っていたクラッチバッグから、鈍色の何かを取り出した。
「菊一文字製の花切りバサミよ。これで命を切り落とされるなら本望でしょう」
「……っ!」
命を切り落とすってなに!?
「そこを退いて」
エリカの瞳は爛々と輝きまるで炎を見つめているかのようだ。まさかこいつを? 足元に転がってる男を見下ろす。
「なんで……エッ……サラ?」
エリカと呼びかけそうになって必死で飲み込んだ。今は彼女を刺激しないほうがいい、おかしいと思うけど、彼女が望むように《サラ》と呼んだ。
「トールの願いを叶えるの。双樹が欲しいなら私がその手助けをする。邪魔する奴は全部、私がカタをつける」
「トールの……真殿斗織の願い……?」
それは芥川の存在? だから邪魔をするこいつに危害を加える。
ソウジュ? サラとソウジュ? 断片的にしか耳に入らない、意味のわからないピースが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「どかないと、あなたも怪我するわよ」
エリカがハサミを握る指に力を込める。
「っ……!」
足が震えた。腰やら首筋やらがゾクゾクして、ああ俺今マジでビビってるなってわかった。菊一文字ってあれだろ刀、作ってたとこだろ? 沖田総司が使ってたっていう伝説あるあれだろ? 切れ味保証バッチリじゃん! なんで短時間に包丁やらハサミやらを向けられるんだよ、まったくよー!
「だっ、だめだ、こんなことしたら、人生めちゃくちゃだぞ!」
さすがにここで逃げる気にはなれなかった。これ以上エリカを近づかせないよう、両手をピンと伸ばして押し留める。
「人生?」
「せっかく成功してるんじゃないか! アイドルでも女優でも、誰もがうらやむ美人で!」
「そんなの意味なかったわ。トールのそばにいるために選んだけど、結局トールは私が何をしたって興味ないのよ。優しいけどそれはペットを可愛がるようなもので、愛でているだけで、サラともソウジュとも違うの!」
エリカがなりたかったサラ。そしてソウジュ。
「ここに、この人を呼んだのは、エッ……サラ、なのか?」
ちらりと背後を肩越しに振り返ると、彼は薄目を開けたまま、ヒューヒューと喉から細い声を出していた。なにもかも絶望して、この人自身どうなってもいいと思っているのかもしれない。逃げようとかまったく思ってなさそうだった。殺されかけて、で、また縛り上げたことを後悔するなんてわけわからんよな全くよ!
「そうよ。やっと足取りをつかめた……だから双樹の名前を使ってここに呼び出したの。この時間、トールの挨拶があるからここに来る人はほぼいなくなる。念押しで立ち入り禁止の札を立てれば完璧よ。でも、まさかギンがここにいるとは思わなかったけど……でもあなたでよかった」
エリカはにっこりと笑ってハサミを持ち上げる。ジャキンと噛み合うハサミは本当になんでも切り落とせそうだった。全身にぞっと悪寒が走る。
てかエリカが《ソウジュ》の名前を使って呼び出したのなら、その《ソウジュ》は芥川のことなんだろうか。沙羅双樹。双樹……そうか、芥川双樹……。てか、あいつそんな名前だったんだな。名前まで優雅だなおい。俺はゆっくりと息を吐く。
そして丹田に力を込めエリカを見据えた。
もうやめだ。
「エリカ」
「……っ!!! エリカじゃないって、言ってるでしょ!」
「いいや、あんたはエリカだ!」
エリカは狂気に満ちているんじゃない。確かに今、俺の名前を呼んだじゃないか!
「なっ……やめて、やめて、やめて! 私はサラなの! サラなのよ!!」
エリカは悲鳴のような声を上げ、そのまま俺に向かってまっすぐと走ってくる。
ぎらりと鈍く光る菊一文字。あんなもので刺されたら間違いなく死ぬ、絶対死ぬ!
「どいて、ギン!!!」
「どかない!!」
エリカはアクションもいけるんじゃねえかってくらいのスピードで俺に飛び込んできた。そしてその手に握られた菊一文字が俺の腹部に吸い込まれる幻覚を見る。足が震えた。
だけど、逃げねえ!
「俺が避けたらエリカは人殺しになるだろ、冗談じゃねえ!」
切っ先がパーカーに触れたか触れないか、その次の瞬間、俺はエリカの細い手首を掴み捻り上げていた。
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