②花は桜木、人は武士
「えっ!?」
めっちゃくちゃ驚いた俺、振り返りざまに、思わず足がもつれてその場に豪快に転んでいた。
「うわっ!?」
「誰だ、誰なんだよっ! なんで殺しても殺しても姿をあらわすんだよっ!」
そいつは入り口を背に立っていて俺を見てものすごく興奮して喚き散らしている。え、なに、なに、なんなんだ! 人をゴキブリみたくいうんじゃねぇよ! つか、誰だってなんだ、誰かいるのか? 思わず周囲を見回すが、やはり屋上には俺しかいない。 なんなんだよ、もーっ!
「だっ、誰だよ、あんたっ!」
つかそもそもいきなり来て誰だじゃねぇよ、お前が名乗れよ!
なのにそいつは俺の言葉が耳に入らないのか「今度こそ殺す! 成敗してやる! この、悪魔めっ!」バッグから何かを取り出して、豪快に振り回し始めた。
照明に時折照らされて白く光るそれはどこからどう見ても――あれ……手に持ってるのって……刃物!?
はぁぁぁぁぁぁぁあ!? やばい、なんかやばい!
尻餅をついたまま、後ずさる俺。だけど焦れば焦るほど思い通りに体は動いてくれなくて、あっという間にお墓を取り囲む土に乗り上げてしまった。俺は震えながらみっともなくも十字架にしがみついていた。神様助けてと叫びたいが、自分に向けられる強烈な殺意の前に声が出ない。頭も真っ白だった。
「寄越せよ、死ぬ前に、寄越せっ……!」
距離を詰めてくる男の足取りはフラフラだった。男はハァハァと息を乱しながら俺に左手を差し出してくる。何を言ってるかさっぱりだが、時間を稼げば逃げる隙が見つかるかもしれない。勇気を振り絞って問いかけた。
「寄越せって、なにを……?」
「持ってるんだろう、お前がっ……」
もっ、もってる?
「お、おかね、とか?」
「ちがうっ、証だっ!」
俺の言葉に男は逆上する。
あかし?
「俺はなんの証ももってねぇよ!」
「嘘をつくなぁ!」
持っている刃物、包丁を男は俺に突きつける。
ぎゃー、殺される!
「ちがっ……ほんとに、俺、持ってないからっ……持ってないのに、俺は――」
心臓が暴れる。口の中がカラカラになる。目の前がチカチカして物がよく見えない。
なんで、こんなことになったんだ? 俺が悪いから……? 俺が――。
押さえ込んでいた記憶の蓋が、恐怖によってこじ開けられていく――。
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈
春の夜はほんのわずかなひと時に値千金の値打ちがある。
花にはか清らかな香りが漂い、月には朧に影が漂う……聞こえてくるのは歌じゃない。
呪いだ。俺の罪はどこまでも深く深い。
きっかけは中学二年生の時、ばあちゃんに内緒で応募した新聞社の書展だった。
応募総数一万点以上、最も競争率の高い漢詩部門において最優秀賞受賞、さらに全ての受賞作品から選ばれる大賞まで受賞したのが俺の《春夜》だった。純粋にただの腕試のつもりだった。ばあちゃんは俺に書を教えてくれたけれど、展覧会に出すことはまだ早いと許してくれなかったから。
悔しくて、認められていない気がして、子どもっぽい反抗心でこっそりと応募したんだ。だけど馬鹿な俺は、せめて自分の名前で応募すればよかったのに、身近な大人である叔父の名前で応募してしまった。結局、中学生の浅はかさか応募時の連絡先を自宅にしていたものだから、受賞の連絡で家族にバレてこっぴどく叱られた。
だけど江戸時代から続く奥祐筆、
そして叔父さんは自暴自棄の末、自殺未遂を起こした。一命は取り留めたものの今も病室で一人俺を憎み続けている。
知らなかったんだ。地元で銀行員として働いていた叔父さんも応募していたなんて、書家として名をあげたいと思っていたなんて!
そしてそれらの作品は全て落選していたなんて、本当に知らなかったんだ……ってさ、知らなければ許されるのか? いや、許されない。
ずっと、これから先ずっと、俺は――生きてるだけで、叔父さんを傷つけて……いや、叔父さんだけじゃなくて、きっと誰かを無神経に傷つけるかも、しれなくて……。
「もうっ、俺、馬鹿だから、俺はっ……ここで、死んだほうがいい、のかな……」
目の奥から熱い何かがこみ上げてくる。鼻の奥がツンと痛くなる。
そうだ。もういいや。憎まれ苦しみ続けるくらいなら逃げて楽になりたい。叔父さんだって俺がいなくなれば許してくれる。前みたいに優しい叔父さんに戻ってくれる……。
だったら俺なんていなくてもいい……。
「悪魔! 死ねっ!」
自分めがけて振り下ろされる銀の刃。大丈夫、体が痛いのなんて一瞬だ。すぐに終わる……。全てを諦めて目を閉じる。びゅうと風が強く吹いた。それからガツン、ドスン、と鈍い音が響く。あれ……?
「おい、クソバカ。勝手に死ぬな。約束しただろうが」
恐ろしく忌々しそうな声が頭上から響く。
「ついでに言えばお前は知能が低いから馬鹿なんじゃない。失敗から学ばないから馬鹿なんだよ」
知能が低いって!
確かにそうだけど他にいいようはないのか? めちゃくちゃ失礼にもほどがあるだろ!
憤りつつ目を開けると、そこに芥川が立っていた。
ネイビーカラーのピンストライプの三つ揃えのスーツ、作り物の陶器の人形のような美貌。風に黒髪がなびき、それをうるさそうに片手で押さえている。もう一方の手と足で、一人の男を床に踏みつけ、腕をねじ上げていた。
「な、んで……?」
なんで芥川がここにいるんだ。開いた口がふさがらないとはまさにこのことだろう。アホみたいに口をポカンと開けて芥川を見上げると、ヤツはいたって真顔で、首元のネクタイに手をやる。
「おい、山ザル。手伝え」
「え?」
「こいつの肩を上から押さえてろ」
首元で緩められたネクタイをしゅるりと抜き取るのを見てようやく理解した。
「あっ、ああ、はい!」
慌てて目尻に浮かんだ涙を手の甲で拭き、コンクリートにはいつくばっている男に近づいて肩を押さえつけた。正直めちゃくちゃ怖かったけどなんかもう色々麻痺して、芥川がテキパキと器用に後手に押さえつけた男の手首を縛り上げるのを見ているしか無かった。ていうかほんと何が起こったんだ? わけわからんぞ……。
「う、う……」
一瞬意識を失っていたらしい男は屋上の十字架を照らす照明の強い光で目を覚ましたのか、苦しそうに身を捩らせる。その瞬間、芥川はしゃがみこんで手刀を首の後ろに叩き込んで意識を失わせる。それはもう、バシッといい手際で。
「おいいい!」
なんだよ今の!
「目を覚まされると面倒だ」
「いや、そうかもしんないけどさぁ……」
完全に悪役だったぞ今の。とはいえ、己の身の安全がようやく理解できてふうっと息を吐く。それから意を決して俺を襲ってきた男の顔を覗き込んだ。
年は30前くらいか……わりと仕立ての良さそうな服を着ていて、包丁振り回すという行為と激しい違和感、ギャップに苦しむ。さっきはあまりの狂乱ぶりでわからなかったがどこか上品で端正な顔立ち……って、あれ?
「なんで……ってお前、芥川のことあれこれ言ってたやつ!」
驚きすぎて叫んでいた。そう、そうだ。球技大会の前に、芥川に関わるなとかなんとか言っていなくなったやつだぁぁぁ!
「なにそれ」
芥川が俺の言葉を聞いて怪訝そうに眉を寄せる。
「なんか俺が十月学園の生徒だから声かけてきたみたいで、お前に近づくなとか、周りを不幸にする、とかわけわからんこと言ってきたんだよ……」
「いつの話」
「あ……えっと、球技大会の前の週末」
「お前……」
やべぇ。明らかに怒ってる。
「言おうと思ったんだよ、ほら、球技大会の前の週末に電話したろ!? てか、お前でなかったじゃんか、折り返し電話もしてこなかっただろ、だから言い忘れたんだよっ!」
必死で自己保身の言い訳を並べつつも結局自分がそのせいでこんな危険な目にあったんだとなると、また涙が出そうだ。
「学園に近づいたのは球技大会の前……やっぱりね。最近の違和感、ようやくハッキリした」
「え、どゆこと?」
「どこかの山ザルのせいで無駄に時間がかかってしまったね。となると滝本の件も説明が必要かもしれないね。おもにお前のせいで」
「え、滝本先輩? 俺のせい?」
なんでここで今滝本先輩の名前が出てくるわけ?
「それにしたってお前の記憶を司る海馬も大脳新皮質もなんのために存在するんだろうね。飾りなのかい? 寄木造りの積み木なのかい?」
芥川は腹の前で肘を掴み、指先で顎のあたりを撫でる。赤い唇の端がきゅーっと邪悪に持ち上がった。
「う……」
芥川が何を言ってるのかさっぱりだけど……いや、ひたすら俺がバカにされてることだけはわかるけどさぁ……。
「てかこの人、芥川の知り合いなのかよ……」
仕方なく話題を無理やり変えてみた。
「――直接会うのは初めてだけど、存在は知ってる」
意外や意外、芥川は素直に肯定した。
「で、何の目的で? 金でも貸してるのか?」
「俺が持っていると勘違いしてるんだ」
「なにを?」
「
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