春の夢と芥川の秘密

①花は桜木、人は武士


 結局ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。招待状を確認すると、内覧会とレセプションパーティーは午後5時からとなっている。ちなみに昨日も初日ではなく、何日か予定しているプレ公開だったらしい。プレ公開ですらあの人出って、一般公開始まったらどうなるんだよ、マジで……。他人事ながら心配してしまった。


 でも5時からかぁ。まだだいぶ時間あるよなぁ……。昨日いろいろあったせいか、頭はぼんやりしてるし、心身ともにぐったりと疲れてる。ベットの中でゴロゴロしつつ、改めて寝直そうと目を閉じてはみたが、心がざわざわしてうるさくてたまらない。このまま横になっていたところで眠れないであろうことは、この一晩が証明してくれていた。

 しゃーない、起きるか。とりあえず身体動かしてあれこれ考えるのやめよう。

 寝室を出て、トースト二枚を牛乳で流し込み、洗濯と掃除を始めることに決めた。ちなみにBGMはエリカの最新アルバムだ。バリバリのアイドルソングからバラード、歌詞がオール英語のロックまで、いろんな表情のエリカが楽しめるお得な一枚となっている。握手商法も特典商法もしていないのに、なんと10万枚を超える大ヒットなんだとか。本当にいい。歌声を聴いただけで、エリカがまぶたの裏に浮かぶんだぜ。あー、もうっ、くそかわいいなおい!


 初めてこの街でエリカに会った時、きれいとか可愛いとか、見た目だけで気になったのは否定しない。今までリアルで光ってる人がいるなんて知らなかったから、あの出会いで一瞬で魅せられたとしか言いようがない。たぶんテレビで見ても俺は同じように彼女に一目惚れしちゃったと思う。だけど生の彼女に触れて、どこか複雑怪奇な思考回路を持ち、真殿斗織への思いを全く隠そうとしない、それどころか自分を犠牲にしてでも真殿斗織に寄り添おうとするエリカに、もっと強く惹かれてしまったんだ。


 だから、絶対に、俺の気持ちなんか知られたくない。エリカを患わせたくない。彼女が笑顔になってくれたらそれでいいんだ。


『恋でも、愛でも、いつかはその色を変える。そして一番最悪なのは、何よりも己自身を変えられてしまうこと』


 ふと、芥川の言葉が脳裏に蘇る。


 今までこんな風に、自分の感情を持て余すことなんて一度もなかった。そりゃ女の子と話してたらすぐ可愛いなーって思うし、ときめくしで、妄想だけは人一倍激しい俺だけど……。こんな風に苦しむことはなかったよ。俺は変わってしまうんだろうか。自己を保てない、芥川の言うところの、最悪な俺になってしまうんだろうか……って、また変なこと考えてるな。掃除掃除!


 朝からかなり本気で部屋中の掃除をしたせいか、午後にはまるでモデルルームかよ? と言いたくなるような仕上がりになった。床なんかワックスまでかけたんで輝いて見える。マジで舐めれる勢いだ。(そんなことしねえけど)


「ふぅ、いい汗かいたぜ」


 身支度を整えるためにシャワーを浴びる。ガシガシとタオルで髪を拭きながらコーヒーを飲みクローゼットを開けた。別に服装の指定はないが、純粋に見に来た人ですらちょっとしたお出かけか? みたいな格好してる人多かったもんな。つったってそんなよそいきなんて持ってねぇし。で結局、薄手のパーカーの上に上着という、いつもの俺で鏡の前に立っていた。

 要するに十月学園の制服だ。学生の正装は制服だからこれでいいよな、うん。壁時計を見上げると四時を回っている。よし、行くか!

 

 アートフラワー展会場はすでにプレスという腕章をつけた報道関係者でいっぱいだった。エントランスには気軽につまめるフードやドリンクのカウンターが常設され、もちろんあちこちが真殿斗織の作品で飾られている。ドリンクを運ぶ女の子たちは、体にピッタリとはりついたように見えるミニのワンピースを身にまとい会場内を滑るように移動していた。

 ちなみに柄は全てフラワープリントだ。色や柄は全て違っていて一点モノっぽい。まるで花を着てるみたいで本当に華やかで綺麗だと思う。こういうの売ってんのかな……。売ってるんだろうな。商売上手だな、真殿斗織。


 エントランスから奥、展覧会会場入り口には天井まで届く五メートルくらいのパネルが飾られていた。そこにはっきりと真殿斗織フラワーアート展とある。で、あとは外国語でなんか書いてある。なんだろ……プロジェクト……? うん、わからん。ただ、パネル自体、何の知識もなくとも興味をそそられる構図になっている。場所は外国の貴族の庭園だろうか。どこまでも続く緑と色とりどりの花が迷路のような模様を作っている。

 そしてよく見るとパネルの端には花に埋もれた真殿斗織が写っている。いつものグレー一色のスーツ姿だ。遠目に撮った写真でもわかる半端ないイケメンやな……。


 変なところに感心しつつ受付に招待状を差し出すと、芳名帳に記入を求められた。筆ペンはもちろんのこと、品のいい筆が何本も置かれている。筆……か。


「サインペンもありますよ」


 手が止まった俺を見て気を利かせてくれたんだろう、にこやかにペンを差し出すきれいな受付のお姉さん。


「ありがとうございます」


 お礼を言い、サインペンを受け取って住所と(どうせバレてるし)《綴ギン》と署名した。


「わぁ、とっても字がお上手なんですね!」


 俺の手元を見てお姉さんが目を丸くする。制服を着崩した金髪ヤンキー風と文字のギャップに死ぬほど驚いてる感じがヒシヒシと伝わってくる。でも仕方ないよな。明らかに高校生なのは俺くらいだもん。


「サインペンをお渡ししてしまいました。失礼しました」


 文字で書家だとわかったのかもしれない。申し訳なさそうに謝られてこっちまで恐縮してしまった。


「あっ、いえ、全然、大丈夫です……」


 資料を受け取りそそくさとその場を立ち去り中に入った。正直今は芳名帳ですら書ける気がしない。


 展覧会はやたら広く、一階、二階、さらに屋上まで展示品があるらしい。屋上ってなんだ。最後に見に行ってみよう。(俺は何でも順番通りに回るのが好きなタチだ)

 各セクションにキュレイターがいて作品についてつきっきりで説明をしている。プレスは当然のこと作家関係者らしい人間でフロアは賑わっていた。こうやってドリンク片手にゆったりと見られるのは内覧会ならではだよなぁ。

 貰ったオレンジジュース片手に作品を見て回る。写真はもちろんのこと、映像関係、服飾関係のコラボが多いようだ。そしてなにと混ざっても花は花でそこに真殿斗織の存在感を感じる。

 花って普段何気なく見てるけど存在感半端ないな。つか自然に色があるってすごいことなんだよなぁ……。白と黒の世界にいた俺からしたら、何もかもが眩しいぜ。

 

 ゆっくり一点、一点、作品を見ていくと思いの外時間がかかり、屋上に出たころにはすでに日はとっぷりと暮れていた。


「さぶっ……」


 そろそろ夏の気配を感じる時期だというのに屋上は風が強いせいか体感温度が低い。さらにたまたまそういうタイミングだったのか、屋上には人っ子一人いない。


「おお……すげぇ……」


 思わず感嘆の声が漏れる。屋上の真ん中にブリキでできた十字架のモニュメントがそそり立っていた。これってもしやお墓……? 


 高さは2メートルくらいだろうか。すすけた風に加工してある十字架は屋上に作られた縦横3メートルくらいの土塚のこんもりと盛り上がった真ん中あたりにまっすぐ刺さっている。そして十字の交わる部分に大きな花輪がかけてあった。白と緑二色。百合はわかるけどあとの花はなんだろう。白いカーネーションと小ぶりな白い花がとりまぜてある。遠くから淡く照明で照らされるそこは幻想的ではあるけれどどこが悲しげだった。どこもかしこも華やかな、俺の知ってる真殿斗織とは少し違う気がする。だけどこれも彼の作品である以上、彼自身なのかもしれないな……。


 十字架の前に立ち尽くしていた俺は息をするのも忘れていたように、大きく息を吸って吐く。飾り気のない十字架はなぜか俺の心に重くのしかかる。まるでお前の中に眠る罪を認めろと迫ってくるような気がした。


 ああ……ヤバい。ヤバいぞ、よくないぞ。このままだとなんか変な気分になっちまう。下に戻るか……。つかエリカもう来たかな。話が無理でもせめて顔見れたら嬉しいんだけどな。


 まぶたをゴシゴシとこすって、一歩後ずさった瞬間。


「誰だァッ!!」


 背後のバタンとドアが開いて、静かな夜を切り裂くような、男の叫び声が聞こえた。


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