㉑表向きでは切れたと言えど


「あんた華道のどこぞの流派に属してるのか?」

「いえ別に」

「じゃああんたに本物か何かがわかるわけないだろ」

「どうしてです? 書と花と何が違うっていうんですか。俺にとって、書も、花も、音楽も、心を打つのに何も変わりはない。筆を取るのも、アイドルが歌を歌うのも、おなじことです」


 そう、そうなんだ。エリカが人の心を打つのはそういうことだ。本物だからなんだ。自分で言っておいてすとんと腑に落ちる。だが、萩原は俺の言葉の何がツボにはまったのか、ゲラゲラと笑い始めた。


「なんだそりゃ! アイドルだってよ! こんなガキの馬鹿話を真面目に聞いて損したな!」


 もう、何がそんなに面白いんだよと問いただしたくなるくらいの爆笑だ。


「……そうですか」


 俺としちゃめっちゃ真面目に言ったんだけどな。まぁ確かに俺はここにいる人たちみたいに専門的に勉強したわけじゃねぇし、馬鹿なのかもしんねぇけど。ちょっぴり意気消沈したところで「チッ……黙って聞いていれば下衆どもが」俺の背後で、タカシ兄ちゃんがめっちゃ低く舌打ちするのが聞こえた。

 ん? 今なんて? 肩越しに振り返るとタカシ兄ちゃんが黒いオーラを漂わせていた。目も口元も笑ってるけど笑ってない。ほら、なんか暗いとこに飾ってて妙に怖く見える如来像みたいな?


「た、タカシ兄ちゃん、あの、」


「ずいぶん盛り上がってますね」


 甘く低くなめらかなしっとりした声が響く。心臓が跳ね上がる。俺だけじゃない、きっとその場にいたみんなが、惹きつけられてしまう。


「やぁ、久しぶり。こんなところで会えるとは思ってなかったなぁ。嬉しいよ、本当に、とてもね」


 少し光沢があるグレーの三つ揃いのスーツに、きっちりと撫で付けた髪。硬い格好をしても相変わらずキラキラしてるし超ド級のイケメンだ。ボケットに両手を突っ込みカツンカツンとよく磨かれた靴で足音を響かせながら、真殿斗織は俺に近づいてくる。ドラマならここで真殿斗織のテーマソング流してもいいと思う。マジでそんな迫力だ。


「え、あ、はい、おひさし……」

「まっ、……真殿斗織……さんっ!」


 絶叫したのは萩原さんの背後の集団だった。そしてあっという間に真殿斗織を取り囲んでしまった。深雪先生もまるで酩酊しているかのようにフラフラとその場に入っていく。で、俺なんか一気に蚊帳の外で、萩原さんはさっきまで本人をボロクソ言ってたくせに胸元から名刺を取り出して慌てて人垣をかき分けていた。


 なんつー変わり身の早さだよ……。いや、これも真殿斗織のカリスマがすげえって話なのかな。まぁいいけど……。

 ふうっとため息をついて、タカシ兄ちゃんに向き合った。


「腹減ったからなんか食って帰ろう」

「そうだね。でもお前、真殿さんと親しいの?」

「話したと思うけど、あの人のイベントでバイトしただけだぜ」


 まぁ、いろいろあったといえばあったんだろうけど。首をかしげると同時に、名刺を配り終えたらしい真殿さんが近づいてくる。しかもニコニコしている。


「僕のこと褒めてくれてたねぇ。嬉しかったよ。まるで告白のようじゃないか」


 ヒイ! 聞かれてた! まさかそんなとこまで聞いてたとは! つか、告白ってなんだよ!


「やっぱり、欲しいなぁ」


 真殿さんは俺を見て目を細める。無駄にいい男の雰囲気があるもんだから、黙って聞いていたタカシ兄ちゃんが俺を見上げた。


「そういう仲なの?」

「ちげぇよ! この人は毛色の変わったものはなんでも欲しがるんだよ!」

「そう、僕は欲張りで我儘で、なおかつ諦めが悪い」

「なるほど。能力がある悪い男って最悪ですねぇ」


 タカシ兄ちゃんはくすくすと笑って、目を細め自分より少し背の高い真殿斗織を見上げる。おっとどこか不穏な空気。ってか、タカシ兄ちゃんが面倒くさがらずにこういう風に牽制するの珍しいな。


「とーにーかーく。誤解を受ける言い方やめてください」


 一応俺なりに距離を取ろうとしたのだが「ね、君が書くところが見たいな」

「へ?」


 真殿斗織はにこやかな笑顔を浮かべる。なんだこの脈絡のなさ。全然聞いてねぇ!


「ほら、見せて」


 どこかはしゃいだ様子で真殿斗織は俺の腕をしっかりと掴むと、水写布の前に引きずるように連れてきた。


「ちょっと、真殿さんっ……?」

「ああそうだ。余興でまず僕が書こうか。花に清香有り、月に陰有り……」


 そして真殿さんは筆を取ると、ポリバケツの水を含ませる。


「花は盛りで月はおぼろな春の夜の一刻の情趣は、千金にもかえがたい価値がある……」


 さらさらと、俺の前でひざまずき、ラフな雰囲気で筆を走らせる。


 春宵一刻直千金

 花有清香月有陰

 歌管楼台声細細

 鞦韆院落夜沈沈


 俺も大好きな漢詩で教科書にも載ってる蘇軾の七言絶句。春夜詩だ。真殿さんの手が、彼が花を生けた時と同じように生き生きと輝き始める。


 目の前に広がる楼閣。耳に細く長く、嫋嫋と響く歌。淡くけぶる春の夜。

 俺の罪……。

 ああでもなんて……美しいんだろう。

 

 真殿さんが書いて見せたそれは、引きずられて、どうやって逃げ出したものかと考えていた俺もタカシ兄ちゃんも《次世代》の人たちも、息を飲むほどの優美さだった。

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