⑯表向きでは切れたと言えど
翌日の昼休み。昨日の余韻が残る浮ついた雰囲気の教室を抜けて中庭に出る。ぽかぽか陽気の中、生徒たちは芝生に寝転んだりおしゃべりしたりとなかなか平和的な風景だ。
「よしっ、かけるか……」
己に気合いを入れ昨日姉ちゃんに教えてもらった電話番号をコールする。数回の呼び出し音の後『佐々木でございます』という、懐かしい品のいい女性の声が聞こえて、とっさに背筋を伸ばしていた。
「綴です。ご無沙汰しています。天秀先生は御在宅でしょうか」
『えっ、綴っ……ギン君なの!? まぁまぁ! 嬉しいわ、電話もらえるなんて! ちょっと待っててね、呼んでくるから!』
そしてバタバタと廊下を走る音。
『たかしー! ギン君よ!』
品が良くてピシャッと和服を着こなしているタカシ兄ちゃんのお母さんらしからぬ気配に思わず唇が緩む。いまさらだけど、俺ほんといろんな人心配させてたんだなぁ……。煩わしいって思ってばっかで全然気づかなかった。反省だぜ……。
『はい、お電話代わりました』
電話口から懐かしい声が響く。
「天秀先生? えっと、いきなり電話してごめん」
『何言ってるの、こっちこそ連絡を強要したみたいで悪かったね』
柔らかな声に急激に仲良くしていた昔を思い出す。昔って言ったってたかだか二年かそこらなんだけどな。あー、変わんないな、声って。やべぇ、涙出そう!
必死に涙をこらえ、空を見上げながら尋ねる。
「相変わらず携帯持たないの?」
『まぁ、なくてもそれほど困らないしね』
タカシ兄ちゃん……こと、天秀先生は困らなくても周囲の人は困るだろうなぁ。彼はちょっとばかり浮世離れしたところがあって物腰柔らか兄さんに見えて意外に人に合わせないし頑固なんだよな。まぁ、それでこそ天秀先生って感じだけど。
『で、いきなりだけど今日会える?』
「いきなりだけど大丈夫だよ。そのつもりで掛けたし」
『じゃあ迎えに行くよ。学校終わるの何時かな』
「クラブあるから5時かな」
『クラブ……? わかったよ。じゃあ5時に』
電話を切ってふうっと息を吐いた。心臓が胸の奥でドキドキと鼓動を打っているのがわかる。なんかビビってるな、俺。
放課後、校門を出てすぐ右手に銀色に輝くプリウスが停まっているのが見えた。
「天秀先生!」
律儀に運転席を降りて立っている姿を見つけて駆け寄ると「背が伸びたね」と微笑まれてしまった。会うのは本当に久しぶりなのに実に彼らしい、あっさりしたもんだ。
フチなし眼鏡に短く刈り込んだ黒髪。白シャツに細身のジャケット。濃い色のデニム、スニーカー。修行僧っぽい清廉さとどこか優しげな顔立ち含めほんと昔と何も変わらないタカシ兄ちゃんだけど……。俺は変わったよなぁ……。案の定、彼は俺の変貌ぶりにかすかに目を細める。
「黄色だ」
照れ隠しにぐしゃぐしゃと髪をかきまわす。
「で、どっか行くの?」
「そうだね。とりあえず話せるとこに行こうか」
天秀先生が車を止めたのは郊外のファミレスだった。中はそれほど混んでおらず席はまばら。窓際の四人席に腰を下ろしドリンクバーのコーヒーをとりあえず一口すすったところで「クラブに参加してるって言ってたね。なんのクラブなの」と、テーブルの向こうの天秀先生が問いかけてきた。
「……スイーツクラブ」
「ん?」
「スイーツ。お菓子作るんだ。みんなで適当に集まって、クッキー焼いたり、ケーキ焼いたり」
「ああ、どうりでギンから甘い匂いがすると思ったよ。以前はいつだって墨の匂いがしたからね」
「そうだな。それが当たり前の生活だったから」
この一瞬だけかもしれないが、鼻先に懐かしい墨の匂いが蘇り白い半紙を懐かしく思えた。
綴家は徳川五代将軍、徳川綱吉が江戸入りした際に館林から祐筆としてついていった武家の家系だ。祐筆というのは、殿様や藩の公的な書類を作成する役職のこと。身分はそれほど高くないが綴家は先祖代々江戸将軍家の奥祐筆として仕え、時には将軍の命を受け書類内容の精査、さらに隠密のようなこともしたという。俺からしたら時代劇かよって感じなんだが、明治の御一新で江戸を離れることになり四国に流れたんだとか。
で、その血を引くばあちゃんは割と名の知れた書道家で、全国にお弟子さんがいる。天秀先生もその一人。そして俺がばあちゃん最後の弟子になるのだが……。
「これを見てくれるかな」
天秀先生はジャケットの内ポケットから封筒を取り出しテーブルの上に置いた。
「なに?」
封筒の中身を取り出すと表に《次世代の作家が集う芸術の夕べ》と書いてある簡素なチケットが出てきた。場所は隣町の美術館分室だ。
「芸術の夕べって……ザックリしたくくりだね。まさか天秀先生も出品してるの?」
「いや僕は手伝いをしてるだけ。人と集まって何かを作るのって苦手で……わかってるだろ?」
「まぁね」
「私はそのイベントの小学生の部を手伝うってことで許してもらってる。で、ギンにもそれを手伝ってもらいたいんだ」
「手伝い……」
「気がすすまないかな、やっぱり」
「いや違うんだ。ただ俺あれから一度も筆を持ってないからさ」
「ギン」
「ほら、筆持った途端、ウボァーーーとか暴れたら天秀先生の立つ瀬ないよ?」
あははと笑いながら手元のコーヒーカップを両手で包むように握る。
春宵一刻直千金
花に清香有り月に陰有り
歌管楼臺聲細細
鞦韆院落夜沈沈
否が応でも思い出してしまう、俺の業と罪。
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