⑬表向きでは切れたと言えど


「実はお借りしていたハンカチ、今日学校に持ってきてたんですけどどっかに落としてしまったみたいで。これ代わりにはならないかもしれませんがお詫びです、本当にごめんなさい」


 頭を下げつつ両手で差し出すと、内田先輩はクスクス笑って首を横に振った。


「やだ、こんなふうに気遣ってくれなくても良かったのに。悪いよ」

「いやでもお借りしたものを紛失するのは100パーセント俺の過失なのでっ」


 さらにハンカチを差し出すが内田先輩は気を使っているのかなかなか受け取ってもらえない。はっ、もしかして俺みたいな金髪に借り作るのがいやだとか!? ありうるー!

 地味に凹んでいたら「ウッチー受け取ってあげなよ〜。いい子じゃん!」隣に座っていた先輩女子がナイスアシストしてくれた。


「うーん、そうだね。せっかく用意してくれたツヅリ君が困るよね。わざわざありがとう」


 そこでようやく内田先輩はハンカチを受け取ってくれた。ああ、よかった。ほっと一安心だ。胸をなでおろす俺を見て、内田先輩は優しげに目を細める。


「気にしないでね。出てきたら出てきたでいいし」

「ウッス」


 とりあえずうなずいたがそうは言われてもやっぱり申し訳ない。


「ほんとすみませんでした」

「こらぁ、ツヅリィ!」

「おわっ!?」


 立ち上がろうとした瞬間ドスンと背中に衝撃。なんだなんだと驚いているうちに日に焼けたしなやかな腕が俺の首に回る。なんだ暗殺者かぁ!!! 忍びの者かー!


「なに、先輩ナンパしてんだぁ?」


 耳元で響く女子の声。そして背中にぴったりと寄り添う暖かくてやわらか〜い何か……。


「えっ、なんっ、ナンパ!? って、加藤先輩!?」


 振り返るとなんと加藤先輩が俺の背中に覆いかぶさるようにして、だっ、抱きついていた! めっちゃやーらかい! めっちゃいい匂い! 俺の胴体にからみつく足、ショートパンツ生足! うおおおおえええあああああ!


「ちょっ、降りてくださいよっ!!」


 動揺のあまりそのまま立ち上がると背中に抱きついていた加藤先輩は落ちないようにかさらにしがみついてきて、首が締まるのを恐れた俺はとっさに背中を曲げて、完全におんぶ状態になってしまった。当然密着度がよりアップする。


「きゃーーー、ツヅリ高〜い!」

「遊ばないでくださいっ!」


 焦りまくりの俺と違って背中の加藤先輩はキャッキャはしゃいでいる。


「ちょっ……」


 もーっ、なんでそんな楽しそうなん? 普段は女子との接触に全く免疫のない俺からしたら卒倒ものだよ泣きたいよ! そりゃ姉ちゃんズにプロレス技かけられることは多々あるけどこれは違うし! やーらけーしグッドスメルだし!


「加藤先輩、まさか飲んでるんじゃないでしょうね!」


 それを耳聡く聞きつけた寺島が抗議する。


「やめてよ、アルコールなんか出してないわよ〜!」

「そうだよ、ジュースでも楽しいもんねー!」


 どうやら加藤先輩は普通にはしゃいでいるようだ。仕方ない。体を軽く回して上半身をひねると「きゃあ!」背中から振り落とされた加藤先輩の体が一瞬宙に浮く。

 すかさず両手で抱きとめてそのまま畳の上に下ろす。ちなみによく姪っ子甥っ子にやってやる遊びだった。


「ええっ?!」


 降ろされた加藤先輩は驚いたように俺を見上げる。


「何今の!」

「もー、俺で遊ぶの禁止っス」

「おおー、なんやめっちゃおもろいやんか! 俺もやってくれ!!」


 真面目にたしなめたつもりがなぜか林が俺の背中に飛び乗ってきた。


「なんで!? うわっ!」


 それからなぜか俺も俺もと男ばかりに抱きつかれる俺。またこのオチかよ!



「おつかれ」

「おう……」


 中尾が差し出してくれたコーラを飲んで、一息つく。結局寺島にすぐに止められはしたがもみくちゃになったせいで髪やらバサバサになっていた。今度は絡まれないよう部屋の奥の方に緊急避難だ。


「……ったく」


 指で適当に直していると、中尾がさらりと「なんで十月学園に来たの?」と、尋ねてきた。


「え?」


 完全に不意をつかれたと言ってもいいだろう。思いっきり固まってしまった。


「ツヅリはさ、人に好かれるタイプだよな」

「い、いや、俺はただのイジラレキャラじゃね? ハハッ!」


 とりあえずおちゃらけてみたが、中尾は至極真面目なようだ。


「……なんかさ、見てて思うんだ。ツヅリは人に嫌われない、好かれる側の人間なんだなって。どこにいても輪の中心になるだろう。それってすごいことだよな」

「中尾……」

「だから不思議になった。なんてツヅリは四国から東京まで出てきて十月学園に入学したんだろうって」


 そこで、うつむいていた中尾が顔を上げた。


「聞いてばっかりでごめん。自分のことは話さないくせにな」


 中尾のすっきりした目が困ったように左右に揺れる。自分で言っておいて、なんで? と戸惑っているように見えた。


「いや、いいよ。なんつうか、俺もどう言っていいかわかんなくてさ……」

「うん」

「学校が嫌いになったわけじゃなくてただ家の外に出られなくなっただけなんだ。で、必然的に引きこもりになって、不登校になって、気がついたらみんなが普通にやってることがてきなくなってた」


 持っていた紙コップの残りのコーラをあおるように飲み干した。


「学校は好きだったから、少々遅れたとしても行けると思ったんだよな。だけどやっぱり地元の友達は俺に気を使ってるってか、遠巻きになっちゃってさ」

「――何があったの」


 座敷はとにかくうるさくて、端っこでボソボソしゃべってる俺たちのことなんか誰も気にしてない。だから今まで離せなかったのが嘘みたいに、スラスラと言葉があふれていた。


「身内が、っていうか父方のオジさんなんだけど……1年以上前、中学卒業間近だった俺は、とても子供で、どうしようもなく生意気で……叔父さんを傷つけたんだ。俺の軽率な行動のせいで叔父さんは自殺未遂を起こして……今もずっと病院にいる。家族も、親戚も、誰も俺は悪くないって慰めてくれたけど、でも俺はやっぱり生意気で……叔父さんのこと大好きだったくせに、傷つけて、取り返しのつかないことをした」

「……」


 隣で中尾が息を飲むのが伝わってくる。


「家の外にはどこを歩いても叔父さんの気配があって、怖くなって部屋の中に引きこもるようになった。去年ここを受けるために家を出てから、いや、ちっちゃい時から親代わりの姉ちゃんズに引きずられて出ただけだけど、それからやっと普通に外出できるようになったんだ。それでもまだ実家周辺はキツイ。ここならわりかし平気なんだ。全然街並みが違うから、叔父さんの気配を感じない」


 明るい十月学園。クラスメイトはなんだかんだと仲良くしてて、多分3年間こんな感じで過ごして卒業していけるんだろうと考えたこともある。だけど過去はなかったことにはならず、傷が完全に言えることもなく、すべてを忘れられるはずもなく。それでも生きていくならなんとかまた自分の足で立てるようになるしかない。だからなるべく笑えるようにと、学校に通ってるだけだ。もちろん楽しいと思えるのはみんなのおかげなんだけどな。


「話してくれてありがとう」


 なんだか重い荷物を下ろすかのような空気で、中尾がなぜか俺に感謝の言葉を述べる。


「いや、いいんだ本当に。むしろ中尾が聞いてくれてちょっと気が楽になった。俺はやっとあの家を出られたけど、まだ全然、叔父さんのことも何をしていいかわかんねぇし、やり直すもなにももう時間は先に進んでるからどうしようもねぇし、マジ手探り状態なんだよな。だから誰かに知っててもらうのも安心っていうか……あ、でも中尾からしたらぶっちゃけ重いよな。さらっと忘れてくれていいから。で、今まで通り友達でいてくれたら嬉しい」


 あははと笑いながら、なんとなく手持ち無沙汰なままテーブルの上のポテチをつまみ口の中に放り込むと「ツヅリは本当にすごいな」と、なぜかまた感心されてしまった。なんか前にもこういうことあったよな、確か。


「んなわけねーよ」


 中尾こそちょういいヤツだぜ、まったくこんちくしょー! 俺はどこにでもいる男子高校生だ。だけど自分は自分以外の誰にもなれねぇから引きこもりをやめた以上なんとか踏ん張るしかないもんな。

 ニッと中尾に笑ってみせると中尾も珍しくニッと笑って「俺、やっぱり十月学園に来て良かった」と、涼やかに明るくうなずいた。


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