⑦表向きでは切れたと言えど
「ちょっと、あんたゴリラなの? 痛いんですけど」
透明感のある澄んだ声に発光する瞳。ダボダボの十月学園のジャージ姿にでかい黒ぶちの眼鏡をかけてはいるがまったく隠せてない謎の華やかオーラ。
「離しなさいよ」
まっすぐに射抜かれて心臓が止まるかと思った。
「うわあああっ!」
慌てて手を離すと彼女のかかとがぺたんと落ちる。
「もうっ……」
彼女は身を屈めてミネラルウオーターを取り出し俺に差し出す。訳がわからんままフタをネジあけると「外国のミネラルウォーターって、開けさせる気あるのかっていうくらい固いわよね」と言い、俺の手からペットボトルを奪うと、すうっと優雅な仕草で唇をつけた。
立て襟ぎみのジャージに大半が隠れているが白くて細い首が水を嚥下するたび小さく上下するのが見える。なんか……エロス……って、何考えてんだ俺! 慌てて視線をそらす。
「……ってか、あたま……髪」
彼女の髪は肩のあたりでバッサリと短く座敷童みたくなっている。
「馬鹿ね、ウイッグに決まってるでしょ。行くわよ。誰もこないところに案内しなさい」
彼女――国民的アイドル女優に違いないエリカは眼鏡の奥の長い睫毛に囲まれた大きな瞳を細め俺を見上げた。
俺とエリカは人目を避けて校舎裏に来ていた。基本的にどこの教室も今日は締め切ってるから仕方ない。
「で、なんでここにいるんデスカ……」
それでもなお木々に隠れるように身をひそめる。とにかく人目は避けないとダメらしい。まぁそうだよな。エリカが歩いていたら学校パニックになるぜ。というか俺自身がまだ信じられないぜ。
端正な横顔にひそひそと話しかけると、エリカは俺の顔をちらりとも見ずきつく眉根を寄せた。
「一身上の都合よ。あんたには関係ないでしょ」
「はぁ……そうですね」
要するに詳しく話すつもりはないってことらしい。まぁそれもそうだ。アイドルと俺の生活に接点なんかないしさ。でも怒ってても可愛いなぁ……つっけんどんな感じも可愛いなぁ……。
思わず頰が緩みそうになるが、俺がそんな顔をしたら気持ち悪いことこの上ないのはわかっているので必死で引き締めることに集中する。ちなみに芥川あたりにいいように扱われる日々を思い出すとおかげさまでいい感じで真顔になれた。
サンキュー芥川! たまにはお前も役に立つんだな!
「でも、手っ取り早くあんたを捕まえられてよかったわ。私デカイ男は好きじゃないんだけど見つけるのには便利ね。その変な頭も」
「――」
「なに、怒ったの?」
思わず無言になる俺を見て、エリカがふと顔を上げる。視線を感じて震えそうになる。
「や、全然」
つか、怒るわけねぇじゃん? 好きじゃないって好かれてなくても嫌われてるわけじゃないってことだろ? 金髪も変かもしんないけどこの頭もエリカの役に立ったってことだろ!? 無視されるより一千万倍いいじゃーん!!!!
「あっ、そう……」
エリカの、納得してない感じの食い入るような視線を感じ、おそるおそる隣に座るエリカをちらりと目の端でとらえると、がっつり目があって目眩がした。
「見ないでください」
慌てて正面……というか足元の草を見つめる。
雑草よ、お前はたくましく生きているな! 俺も頑張ってるよ!(現実逃避)
「――なんで敬語なの? 年、変わらないと思うけど」
「なんでって……友達でもないし」
てか俺は引きこもり歴もあるからもしかしたら年上かもしれないんだが、黙っておいた。
「ふぅん。私、馴れ馴れしい人間大嫌いだからそれはいいわね。あんたしっかりしたお家の子なのね。トールも言ってたけど」
「真殿さんが?」
「そうよ。だからあんたが十月学園の生徒って聞いて、迷惑をかけてはダメだよって言われたんだけど……」
そこでちょっと勢いを削がれたように声のトーンが落ちるエリカ。
おいおいなんでここで真殿さんが出てくるんだよ、迷惑ってなんだよ、俺のことどこまで話したんだよとひやっとしたが、エリカは抱えた膝をさらに引き寄せて膝小僧に顎をちょこんと乗せた。
「トールはたとえそれを望まなくても自分の言葉一つで人が動くことをよく分かってる。だからあまり決定的なことを言わない。だけど私はトールにいつだって寄り添っていたいの。彼の気持ち、願いを叶えてあげたいの」
なんのことやらさっぱりだが、死ぬほど忙しいはずのエリカが十月学園のジャージを着てここにいることは真殿斗織の願いを叶えることに大きく関わっているらしい。エリカ、本当に真殿さんのこと好きなんだなぁ……。
「で、具体的には俺は何をしたらいいんだ」
俺の言葉にエリカはハッとしたように顔を上げる。俺は無言で小さくうなずいた。
「――見張ってて欲しいの」
「誰を?」
まさかと思いながら尋ねるとエリカはうんざりというような表情で吐き捨てる。口にするのも嫌だって感じで。
「ここにいるでしょ、芥川っていうやなヤツが」
「芥川……」
またお前かよ! そう思う俺を許してほしい。だけどいくらなんでも要注意人物扱いされすぎだろ! いったい何したんだよお前! なんでエリカと関わってんだよ!? やなヤツってばれてるということはやっぱ借金なのか!
「芥川をなんでって、聞いても教えてくれないんだよな……?」
「一身上の都合よ」
ですよねー。はぁと大きくため息をつく。こないだの変な男といいエリカといい、なんでだと思う気持ちは大きくなる一方だが結局「見張るだけなら」と答えておいた。
「本当!?」
「ああ」
何をしたらいいか聞いた時点でもう決めていたことだ。法に触れるようなことはごめんこうむりたいが見張るくらいなら今だってさして変わらんだろう。たとえ芥川が真殿斗織に莫大な借金があり返せず逃げ回っているとしても、それはまぁ俺には関係ないわけで……。ぶっちゃけ他にも恨みを買ってるっぽい芥川のことが心配というかなんというか……。これをきっかけに全国から取り立てとか来るんじゃねーの? とか、借金のカタにどうこうされるんじゃないのとか、そっちの方が怖い。気が小さい俺は黙って見過ごすことができないんだぁぁぁ!!!
「ねぇ。としたら、私とは共同戦線をはることになるわけだから、あんたって呼ぶのはよくないわね。名前は?」
「綴ですけど……」
「下の名前」
「えっ!?」
「ツヅリって言いづらい。なんか口の中でひっかかる」
「あ、えと」
どどどどどうしよう! まさか名前を聞かれるとは思ってなかった!
「なに? 教えたくないっていうの」
俺がもたもたしていると、みるみるうちにエリカの顔色が怪しくなる。ゴゴゴゴゴゴ……と謎のオーラを発し出した。やべぇ!!! なんか怖い! 自分のことは何一つ話さないのに俺に口を開かせようとするエリカ怖い!
「ぎっ、ギンです、ツヅリギン!」
「ギン? キツネみたい」
「それゴンじゃね……ってわぁ、すみません!」
馴れ馴れしいのは大嫌いと言われたばかりなのにぺろっといつものノリで突っ込んでしまっていた、俺の馬鹿! けれどエリカは意外にもあっさりとそれを許してくれた。
「別にいいわ。友達じゃないけど普通に話して」
「あ、はい、どうも……」
も、もしやこれはご褒美なのだろうか。本来近づくことも許されない姫君と口をきいてもよいというご褒美……。そしてエリカはごそごそとジャージのポケットからスマホを取り出す。ストラップがジャラジャラついて実に重そうだ。
「はいこれ。ギンの番号とメアド入れて」
な、なんだってー! あわあわしながらツヅリギンと入力すると、エリカはすぐにコールし空メールを送ってきた。この空メール保護しとこう……。着信はスクショ撮っとこう……。
「それプライベートなヤツだから、漏洩したら殺す」
「コロス!!!」
エリカの天使のような声でSA☆THU☆GA☆I☆予告!
「名前は……」
「登録するときにエリカはダメよ。そうね……サラにして」
「サラ?」
まさか本名かとドキドキしていたら、エリカは俺の考えていることが分かったのか首を横に振った。
「エリカは本名よ。つまらない名前でしょ」
「いやいや十分華やかで綺麗だと思うけど……」
「軟らかなはしばみの森にかこまれた、あのエリカの中に膝をつき……わたしは何を飲んだのか、生暖かい、草いろの午後の霧の中……」
歌うように口ずさむエリカの横顔をまじまじと見つめてしまった。
「今のは?」
「ランボーよ。私の母は詩人だったの」
ランボーてなんやねんジャングルでゲリラみたいなグリーンベレーのアレとは違うよなと思ったが、エリカの口ぶりからなんとなく詩人だろうと察することができたので黙っていた。今度図書館で調べてみよう。
「エリカの中に膝をつきって?」
「エリカはツツジの一種なの」
「へぇ!」
「地味な花よ。つまらない」
「いや、きれいだろ」
「トールもそう言ってくれる。トールがエリカって呼んでくれるのだけは好き……だけど私はサラがよかった。サラがいいの」
その時……一目惚れした時以上の衝撃で、エリカがきらきらと輝いて見えた。
無機質な校舎の壁の色、乾燥した地面にボソボソ貧相に生えてる雑草。緑のジャージは相変わらず緑のジャージだったけど、エリカはエリカで、そんなの関係なしに綺麗だった。その瞬間、確かに俺は他の男を好きだと言うエリカに、二度目の恋をしていたんだ。性懲りもなく……。
「わかった」
サラ。エリカにとって特別な名前なんだろうか。だったら、エリカがそう望むなら俺はそうしよう。エリカだって十分、いや俺には眩しいくらい素敵な名前だし似合ってると思うけど、エリカがそれを望むなら……。
言われる通りエリカをサラと登録した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。