⑥表向きでは切れたと言えど
背筋の辺りがザワッと音を立てる。とっさに周囲を見回したが人気はない。あれこれ考えたってなにも解決しない! 気がつけば俺は大股で階段を駆け上がっていた。二階、誰もいない! 三階か!? 二階と三階の踊り場が視界に入り、ジャージ姿の女子がしゃがみこんでいるのが見える。
「今の悲鳴は!」
「あっ、あたしだけどあたしじゃなくてっ!!」
振り返った女子が震えながら下を指差す。そこに体をくの字にして倒れている生徒がいた。
「なにがあった?」
「わからない、びっくりして、っ! でも、この人、上から落ちてきたみたいでっ……!」
足を滑らしたのか!? 階段を見上げるとそれなりに高さはある。倒れている生徒のそばに駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
抱き起こそうと手をのばしかけて、もし頭を打っていたら動かさないほうがいいと聞いたことを思い出し、踊り場に這いつくばる。意識を失っているとしたら大変だ。
「あんた、先生んところ行って、救急車呼んでもらうようにしてくれ!」
「えっ、うんっ、わっ、わかったっ……!」
女子は震えながらなんとか立ち上がると、階段をヨロヨロと降りていく。大丈夫かよと思ったがここに残しておいても俺の方がまだ多少はマシな気がする。気を取り直し倒れた生徒に呼びかけた。
「意識は? 頭打ったのか? しっかりしろ!」
「――う……」
俺の呼びかけにかすかに反応する。ふらふらと頭を揺らしながらそれでもなんとか起きようとしているのがわかって慌てて押しとどめる。
「無理に動いたらダメだって!」
意識を完全に失っているわけではないらしい。
「仰向けにするぞ、触るからな!」
細身な男子かと思ったが女子だったようだ。急いで着ていたジャージの上着を脱ぎ、廊下に敷くと彼女の体の下に手を入れその上に仰向けに寝かせる。頭を打った時はあんまり動かさないほうがいいのは鉄則らしいが頭をグラグラしている今の方が断然危ない。
そこでやっと人心地ついて、俺は彼女を見下ろす。少し長めのショートカット。全体的にしゅっとした手足の長いスラリとした美人……。そして巻かれた日野特製の目立つオレンジのハチマキ。
「……って、この人……俺と同じチーム……? ニ年……の……」
いや、この人見たことある。ってか、内田先輩に声をかけてきた滝本先輩じやないか。別に直接会話したわけじゃないがこうなると後から違った焦りがこみ上げてくる。なんなんだよ、なんで内田先輩追いかけてこんなことになるんだよー!
「滝本先輩! 救急車呼んだんで、安心してください!」
「……め、ん……」
「ちょっ……もう喋らないほうがいいっスよ……!」
どうしていいかわからず慌てる俺の声は耳に入っていないのか、滝本先輩はまるで悪夢にうなされているかのようにうなされながら言葉を続ける。
「……てる、か、ら、ごめ、……ん」
そして伏せられた切れ長のまぶたの目の端から涙が溢れ、形のいい耳の方へと流れていく。
「滝本先輩……?」
けれどその後はいくら問いかけても滝本先輩が口を開くことはなかった。
ぎゃーーー!!!
慌てて顔の前に手のひらをかざすと呼吸は確認できる。ホッとした。それでも意識を失ったのは喜ばしいことじゃない。あーっ、救急車はまだかよ!? イライラしつつも滝本先輩の言葉が妙に引っかかっる。
ごめん……先輩、ごめんって言ったよな。この状況でなんで? 誰に向けての謝罪なんだろう。泣いて謝るのはどうして……。意味もなく踊り場から階段の上を見上げる。そこに誰かいるわけでもないのに誰かがいるような気がしたんだ。
それから間もなくして先生たちが到着し、五分もしないうちに救急隊員がストレッチャーに滝本先輩を乗せて運んでいく。さっきまで意識があったことを伝え見送ってホッとしたのもつかの間、俺のジャージの上着まで一緒に持って行かれたことに気づいて愕然とした。
「やっべぇ、上着なくなった!」
はぁぁぁあ……俺って鈍くさいなマジで……。もう内田先輩を追いかけるどころの話じゃない。仕方なく学食へと向かうと、学園に救急車が来たことは離れた学食にも伝わっていたらしく、林や中尾に何があったか知らないかと問い詰められてしまった。
まぁ、隠しておくほうが変だよな。カレーを口に運びながら2年の先輩がローレルホールの階段で足を滑らせたらしいぜというようなことを伝聞形式で説明した。
「ほんまか? 大丈夫なんかそれ!」
「なんともないといいけどな」
それからしばらくして一斉メールで午後のバレー女子の部のメンバー交代の連絡が届いた。
「ふぅん……滝本先輩、バレー部だったのか」
そういや以前派手に擦り傷作ってたっけ。頭打ったの、なんともないといいけど。
カレーを食い終わった後は体育館でバレーの試合だ。またこれもただひたすらブロックとアタックをやらされて一試合終わったら膝がガクガクになっていた。
「あっしたーっ……!!」
ありがとうございます的な挨拶をし合同チームの応援席に戻ると「ウェーイッ! 船上パーリー!」と、おかしな掛け声で一斉にハイタッチの嵐だ。ヘェヘェとうなずきながらハイタッチを終え、コートを離れる。
「さすがのブロック率だったぜ!」
「ツヅリを十月学園の鉄壁王と呼ぼう! 待て、しかして希望せよ!」
「バンビじゃない? プルプルしてるし」
中尾があははと笑うが俺は生まれたての子鹿でもねぇ。
「ったく、適当なことばっかりノリで言うんだからよー。飲みモン買ってくる!」
体育館を出て、別棟の学食の入り口にズラリと並ぶ自販機へと向かった。すっかり喉はカラカラだ。
「えっと……」
自販機に食堂でも共通で使える学生証をかざすと、ピッと残高が表示される。
まだ200円残ってたイェーイ! ペットボトルのスポーツドリンクを買うつもりで指を伸ばすと――。
ピッ……ガチャン……。横から誰かが手を伸ばしミネラルウオーターが出てきた。おお、水! なんのカロリーもない水!
「芥川てめぇ!」
こんなことをするのは芥川しかいない。とっさに隣に立っていたヤツのジャージの胸ぐらをつかんで引き寄せる。だけどそいつは芥川よりも全然、もっと軽くて白く光る謎の生き物だった。それに気づいた瞬間、頭から雷が落ちたみたいに俺は硬直してしまった。
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