③表向きでは切れたと言えど


「俺戻ります」

「今度はぶつけないようにね」

「きっ、気をつけますっ」


 にっこり笑われてまたドキッとした。いやいやこれは恋とかじゃねーから! 女子にニコッとされてドキッとしねえ男子なんかいねえから! つか、なんで俺の周りにはこのタイプがいないんだろうなー。俺の日頃の行いが悪いんだろうか。それとも前世の報いか? きっとモテモテ性悪男で女子をいっぱい泣かせたんだな、前世の俺。くそっ、前世の俺、羨ましい! 


 そして一人二年の教室に戻るべく階段を登る。何気なくポケットに手を突っ込むと制服のポケットに借りたハンカチの感触があった。何も言わずに持ってきてしまったらしい。どうする? 一旦立ち止まって振り返ったがやめにした。まぁいいか。そもそも洗って返すつもりだったし。球技大会一緒のチームになったんだ、返すチャンスはいくらでもあるだろう。


 2年1組の教室に戻ると昼の続きで種目わけが行われていた。基本的には経験者優遇で残りをあみだくじという平和的な方法で決めているらしい。


「あっ、ツヅリお帰り! ってかばんそうこうウケる〜!」「昔の漫画で見たことあるよ、あれ剥がすと第三の目が開いてね」「さんじやんうんから!」「違う、三つ目族だ!」「なにそれ!カッコいい!詳しく!」


 アニメ漫画サブカル好き男子が、わははとそれに乗っかっての大騒ぎだ。好き勝手言いやがって……。


 教室には机が30強しかないので、女子は一つの椅子や机に身を寄せ合うように座っている。


「ツヅリ!」


 声のした方を振り返ると中尾が窓際にもたれるように立っていた。避難がてら隣に行って話を聞くと中尾は野球とテニスにエントリーした(させられた)らしい。


「経験あるのか?」

「軟式テニスを少しだけな。野球はルールをかろうじて知ってるだけ。こっちは人数合わせだ」


 教室前のホワイトボードに目を凝らす。テニスの欄に中尾と加藤先輩の名前があった。加藤先輩はテニス部所属だし当然か。で、加藤先輩は教室の真ん中らへんで友達と楽しげに話している。


「加藤先輩!」


 思い切って声をかけると「あっ、ツヅリ頭大丈夫?」笑顔で手を振って近づいてくる。


「大丈夫ですけどなんか今の気になる言い方ですね」

「ごめんごめん、そんなんじゃないんだけど〜確かにひどかったね」


 ケラケラと笑う加藤先輩は、いつもの、俺が知っている加藤先輩だ。日焼けした首筋に銀色のチェーンがきらめいている。顔まわりにまとわりつく巻髪を右手で払うと日焼けのあとが残る薬指がどうしても目に入る。日焼けのあとってなかなか消えないんだな。


「加藤先輩、テニスで参加なんスね」

「うん、絶対負けないからね。応援よろしく、目指せ船上パーティーだよっ!」


 加藤先輩はいひひっと笑い、それから友達の元に戻っていった。いろいろ考えてたけど俺が心配することなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろしそれから中尾や林の輪に戻る。まぁ体を動かすことは嫌いじゃねぇし、これはこれで楽しめたらいいな。




 それから数日経った放課後、スイーツクラブに顔を出し、大量のクッキーを焼いた。クラブの面々はかわいい袋に入れて持って帰っていたが、俺は特に可愛くする必要がないので透明なビニール袋だ。


「――いるか?」


 国語準備室のドアをノックすると「誰もいない」と返事があった。相変わらずだな!


「クッキーあるぞ、食うだろ」


 ドアを開けて中に入ると、薄暗い準備室のソファに芥川が横たわっていた。仰向けになり、脚を組み面倒くさそうにパチスロ必勝法みたいな雑誌をペラリペラリとめくっている。そんなもん読んだって勝てねぇくせに……。ギャンブル運ゼロだろまったくよー。


「まだこの部屋電気切れてんのかよ。目が悪くなるぞ」


 持っていたビニール袋を芥川の腹の上に置いて、電気ケトルにペットボトル(中身は食堂の水)の水を注ぎスイッチを入れる。


「俺も食うから少し残しとけよ」


 リプトンをカップに放り込み、沸いたお湯を注ぎ、一つを芥川の側のローテーブルに置いた。

 サクサクボリボリ……。芥川は上半身を起こしさっそくクッキーを貪っている。

 そして上等そうなスーツにバラバラとクッキーのクズを散らかしている。いきなり散らかしやがって。ハムスターだってもっときれいに食うぞ。


「おい、クリーニング代なんかねえだろ汚すなよ」


 バッグからハンカチを取り出そうとして、アイロンをかけたハンカチが目にとまる。


「あ、そうだ内田先輩に返すんだった……」


 今日はもう遅いよなぁ……となると、もう週明けの球技大会当日に返すしかないか。

 改めてハンカチを仕舞い自分のハンカチを芥川の膝の上に広げた。


「お前は……ママかい?」


 芥川が冷めた声で膝の上のハンカチを見下ろし、それから俺の顔を見上げた。

 ママって……!


「ちげえよ、あとで掃除するのは誰かってことだよ、俺だろっ?」


 思わず凝視してしまったが、当の芥川は気にした様子もなくまたボリボリクッキーを口に運んでいる。ほんと芥川ってわけわからん。


「あのさぁ、加藤先輩だけど元気そうだった。ちょっと気になってたんだけどな」

「お前が気にしたって仕方ないだろう」

「まぁそうだけどな。でも加藤先輩がその、今のこっ、恋を、これからもずっとだいじにできたらって……」


 やべぇ耳が熱い。ところが芥川は、そんな俺のちょっと恥ずかしいセリフをあっさりと打ち砕いてしまった。


「変わらないものなどないよ」

「はい?」

「恋でも、愛でも、いつかはその色を変える。そして一番最悪なのは、何よりも己自身を変えられてしまうこと」

「……芥川?」


 どうしたのかと思った。俺の話を茶化すでもなく、会話に乗っかってくるなんてあり得ない。こんな珍しいことは二度とないような気がして余計な口を挟むことはできなかった。


「この世で一番信頼しなければいけないものは自分だ。自分だけは自分を裏切ってはいけない」


 白い指がページをめくってひらめく。


「けれど恋をすればその人に身も心も寄り添いたくなる。相手を喜ばせたいばかりに好きでないものを好きと言い、嫌いなものを好きだと言ってしまう。好きな人の思いを踏みにじりたくないから自分を偽ることもある」


 もう一方の手で、クッキーを口に運び、かじる。ポロポロと俺のハンカチの上にかけらが落ちていく。


「それはとても不幸で悲しいことだよ」


 芥川は発光するような瞳で俺を物静かに見つめた。


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