②表向きでは切れたと言えど
放課後、我が1年3組はぞろぞろと2年1組の教室に向かっていた。2年のクラスは二階になる。
「で、なんでお前も来てるんだよ……」
最後尾、一番後ろをついてくるのは不良暴言暴力国語教師芥川だ。今日は濃い茶色の細いストライプ三つ揃えスーツで無駄に男前ときてる。というか整いすぎてマネキンみたいだ。こいつ日の出荘じゃ体操服ジャージなのに……。
「生徒が集まるからね、一応監督。でも一切口出しはしないよ、みんなの自主性に任せるから」
「じゃなくて、メンドクセェから黙って見てるだけだろ」
「ええっ、ひどいなぁ綴君。僕、お仕事がんばるよ?」
大げさに眉根を寄せて大きな目をパチパチさせる。実にあざとい。なにがお仕事だよ、頑張ったことなんか一度もねぇだろうよ! あー、やだやだとんだ猫かぶりだ。
そして俺たちのやり取りを見た前を歩くクラスメイトたちが案の定「ツヅリこわーい」「番長があっくん先生いじめてるー」とふざけた擁護が入って、完全に俺悪者。
「かわいそうやなー、ほら、あっくん先生アメちゃんやるわ。いちご味やで」
林が振り返って芥川にポケットに入れていた飴を差し出す。
「ありがとう」
芥川はにっこり笑って受け取り歩きながら口に運ぶ。そしてごく当然のごとく俺の手の中に食べた後のゴミを押し込んだ。流れるような作業はまるで職人技だ。もうやだ。
「失礼しまーす!」
1組は踊り場の階段を上って一番手前だ。次々に1年生が2年1組の教室に入る。
加藤先輩いるかな……? 教室の中が気になりつつ、視線を巡らせていたら――。
ガツン!!! 思いっきり額を強打していた。
「ぐわあああっ……」
叫びながらその場にしゃがみこむ。教室のスライド式のドア上部は頑丈なスチール製だ。もちろん俺は結構な確率でぶつけるので常日頃は気をつけてるんだが、よそ見しつつの考え事で完全に気が緩んでいた。
「うわっ、大丈夫!?」「ちょっと見せて!」「ツヅリ、デコから血が出てるぞ!」
あっという間に取り囲まれての大騒ぎだ。
「衛生兵ー! 衛生兵はどこやー!」
林が声を上げる。いてぇ……額が割れそうに痛い。いや実際割れたのか? こうなったら誰でもいいから助けてプリーズ……! あまりの痛みにひとしきり悶絶する俺。
「びっくりした、やっぱり背の高い人はここ打つんだなぁ……」
結構優しい中尾でさえこの調子で、誰かなんかつま先で俺を蹴りながら「きっと口にするのもつまらないことに気を取られていたんだろうね」と囁いている。てか、誰かじゃねーわ芥川だわ。
「ね、保健室に行こう」
そこで突然向けられた優しげな声と腕に触れる感触に「あーうー」とうめきながら顔を上げると、ふわふわの髪を三つ編みにした女の子が俺を見下ろし、そっと労わるように腕に触れていた。
ふわっふわ……ウサギみたいな女子だ。かわいい。見知らぬ顔だ。ということは2年だ。
で、これはなんだ?
「これで押さえて。手で触らないほうがいいから」と、ハンカチを差し出す彼女。
「や、汚れるんでっ……!」
慌ててお断りしたが「洗えばいいの。いいから使って。きれいだから大丈夫よ」
めちゃくちゃキラキラした笑顔で言われてしまった。天使……ここに天使が舞い降りたぞー!
他人の優しさに触れ思わず感動にむせびなきそうになる。周囲は「よっぽどいたかったんだなー」「すごい音したもんね!」と勘違いしているが、まぁいい。
「めまいはしない?」
「大丈夫です」
ハンカチを受けとり、どうにか立ち上がって額にあてた。ふんわりと柔軟剤のいい香りがして思ず頬が緩む。女子っぽい! それから俺と天使は並んで保健室のある事務棟に向かった。
「失礼します」
「まーす……」
渡り廊下から事務棟へ。一階に降りてすぐのところにある保健室。中に入ると白衣の養護教諭がちょうど立ち上がるところだった。ほほう、これが保健室か……。無駄に体が頑丈だからどこにあるかも知らなかったぜ。痛みを忘れてキョロキョロと中を見回す。
パーテンションで区切られた奥は多分ベッドだろう。中央に養護教諭が普段使う机があって、その前に生徒が座る丸椅子があり壁には薬品棚やキャビネットが並んでいた。
「先生、お出かけですか?」
天使が首をかしげると、養護教諭(おっかさんって感じのおばちゃんだ)は困ったようにうなずいた。
「そうなのよ、病院から連絡があって至急行かないといけないの。あなたたちは?」
「彼が扉のサッシのところにおでこぶつけちゃったんです。めまいもないっていうけど、血が出てるから一応消毒をしたほうがいいと思って」
そして天使は俺を心配そうに見上げた。
他意はないんだろうが、黒目がうるうるしている。何も頼られてないけど頼られてる雰囲気。小動物っぽい可愛さがある……って、俺失恋してもう他の女の子可愛いとか思う余裕あんのかよーはぁ……やだやだ……。自己嫌悪に陥りつつ、俺はハンカチをあてていたおでこを見せる。
「あら本当。立って大丈夫なの?」
「大丈夫ッス」
「先生、消毒してもいいですか?」
「そうね、内田さんなら心配ないわね。鍵は閉めて職員室に持って行ってくれる?」
「はい、わかりました」
なるほど天使は内田先輩というらしい。信頼も厚いようだ。内田先輩は、養護教諭を見送ったあと、俺を丸椅子に座らせ慣れた様子で消毒の準備を始めた。
「ツヅリ君って座ってもまだ大きい」
「す、すいません、邪魔ッスよね」
「そんなこと謝らないで、悪いことじゃないんだから」
よく姉ちゃんズにはデカイデカイ幅をとるなと言われてきたので、こういう普通の反応が身にしみる。
「あ、てか、なんで俺の名前?」
「有名だから」
「悪い意味ででしょ。わかってますよ」
金髪ヤンキーダサいとかただ高身長なだけの残念男子とか、そんなに決まっている。
「ふふっ、どうかなぁ」
内田先輩が笑うと、ゆるく編んだ三つ編みがふわふわと揺れる。
先輩はものすごい美人というわけではないが、愛嬌のある顔立ちをしていて、頬にはそばかすが散らばっていて、口角がきゅっと上がっている。やっぱりうさぎっぽい。可愛い。
「こういうの慣れてるんですか?」
あんまりにも手馴れた様子なので問いかけると「保健委員で、運動部のマネもしてるから」という返事。
なるほどそれで怪我の手当ては慣れているってことか。
「しみるけど我慢してね」
「は、いだででででっ……!!!」
なんの躊躇もなく額に消毒液をたっぷり含んだガーゼを当てられて、思わず身悶えてしまった。
「ガマン、ガマンだよ」
クスクス笑いながら治療を続ける内田先輩。もしかしてこの人ドエスかー!
「っ、っは、はいっ……」
「はい、おわった」
それから内田先輩はテキパキと絆創膏を貼り、道具を片付ける。
「後片付けは私がしておくから戻っていいよ」
「いやでも、そういうわけには。せめて鍵を返すくらいのことは俺がします」
「そう? 優しいんだね、ありがとう」
「いやいやそんな……」
優しいって。でへへ。なんか照れちまうぜ。
天使な内田先輩はにっこり微笑み、二人で保健室を出ようとしたのだが――。
「内田さん!」
廊下の奥からすらりとした背の高い子が近づいてきた。
「滝本さん」
内田先輩が名前を呼んだその人は、ショートカットの女子だった。体操服じゃなくて運動部のジャージを着ている。顔立ちから雰囲気から全体的にシュッとしてなかなかの美人だ。身長は芥川と同じくらいかな……。
で、滝本さん? どっかで見たような……。何部だっけか。
「どうしたの? 怪我?」
「ん、ちょっと」
内田先輩の問いに応えるように袖をまくしあげると派手な擦り傷が見える。真っ赤に腫れて実に痛そうだ。そして彼女はちらりと俺の額のあたりを目端で確認する。俺が邪魔っぽい。
まぁ俺の用事は終わったしな。彼女も保健室を利用する必要があるのは一目瞭然だ。持っていた鍵は内田先輩に返すことにした。
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