⑨咲くが花よ咲かぬが花か
《月光》を床に置いて回れ右したい気持ちを押し殺し、ヨロヨロしながら真殿さんとホテルのエレベーターに乗り込む俺。
ギュッと目をつぶって精神を統一する。耐えろ、耐えろ! せめて部屋にこれを運ぶまで! んで真殿さんにエリカのことを、一度でいいから会わせて欲しいと頼むまで!
「悪いね、重いのに」
「いいえ軽いもんですハハハ」
実際重さなんて感じなかった。ていうか感じる余裕ゼロだ。
エレベーターが到着を知らせるチャイムを鳴らす。あと少しの辛抱……。そう心に言い聞かせ、エレベーターから降りるとすぐ目の前の部屋が目的の部屋らしい。真殿さんは軽くドアをノックした。
「僕だよ」
ん? もしや前野さんか?
しばらくして中から鍵が開く音がする。
「先に入って」
真殿さんがドアノブを引いてくれたので「じゃあ……」と、足を一歩踏み入れた瞬間、何かが勢いよく突進してくる! あぶなっ!
慌てて《月光》を持ち上げると、胸のあたりにボスンと柔らかい感触。
な、なに?
驚いて見下ろすと、波打つ黒髪が目に入った。
「あれ?」
俺にぶつかったソレが、不思議そうに顔を上げる。
「トールじゃない」
青みがかった白目と輝く大きな茶色の瞳。俺の手のひらより余裕で小さいちっちぇ顔。首なんかまた細くて白くて、白すぎて、顔から下はやっぱり発光しているようにしか見えなくて、目がチカチカした。
エリカ……エリカだった。夢にまで見たエリカがそこに立っていた。ていうか俺にしがみついていた。
「なんて格好してるんだ、お前」
真殿さんが呆れ顔でドアを閉め、俺の後ろからエリカを見下ろす。格好……?
「うわあああっ!」
《月光》を持ったまま後ずさっていた。
「トールとお風呂に入ろうと思って待ってたの」
あっけらかんと言い放つエリカはバスローブ姿だった。広い部屋の奥の方、部屋の奥のベッ、ベッドの上に、ブルーのワンピースやらなんやらが脱ぎ捨ててある。
だから、肘、膝からしたは素肌だ。丸見えだ。いや、多分バスローブの、下も……!
「お風呂くらい一人で入りなさい。綴君、《月光》はここに置いてくれるかな」
卒倒しそうな俺をよそに、真殿さんはいたってクールに俺を招き寄せる。
「あ、はい……」
言われた通り、《月光》を大きな書物机の上に置いた。ダレカタスケテ……。
「やだぁ! 今日は一緒にお風呂に入るって決めてきたのっ!」
エリカは真殿さんの腕にぶら下がるようにしてしがみついたかと思ったら、俺が置いた《月光》を見て目を細めた。
「どこにあったの?」
「噴水だよ。彼が見つけてくれたんだ」
「ふぅん、やっぱり無傷だ。そんなことしたらトールに嫌われちゃうもんね」
「別に嫌いにはならないよ」
「確かに嫌いになる価値もない……つまらない女ね。そうね……私なら激情に駆られて叩き割るかしら。でもどうせ壊してしまうなら、トールと一緒に見たいわ。きっときらきら、きれい」
そしてエリカは《月光》に両手を伸ばし、愛おしげに頬を寄せる。
「おかえり、《月光》。よかったね、トールのところに帰ってこれて」
まるで映画でも切り取って見てるような気がした。エリカが俺を見なくても、完全無視でも、ただそこにいるだけで、声を聴けるだけで幸せで、体が震えた。
だけど遅れて、強い感情が津波のように押し寄せてくる。
目の前にいたって関係ない。彼女は俺を見ていない。逃げるように後ずさっていた。
「俺、失礼します」
「綴君、お礼をしてないよ。そのつもりでここまで来てもらったんだから」
「何もいりません」
引きとめようとする真殿さんに頭を下げて、即座に弾丸のごとく部屋を飛び出していた。
アイドルに恋した結末がこれかよ!
そりゃ最初から何の見込みもなかったけどさ!
でも、失恋にはかわりはないわけで……飛び乗ったエレベーターの中で壁に寄りかかる。
「せめて握手くらいして貰えば良かったかな……はは……」
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