⑧咲くが花よ咲かぬが花か


 もしかして……。脳裏によぎった仮定を頼りに駅方向へと向かっていた。いや正確にはステーションホテルだ。フロントにまっすぐ向かって、息を整え名を名乗る。


「ツヅリと言いますっ……。真殿さんをお願いしますっ……」

「承っております。あちらでお待ちください」


 フロントマンはロビーに隣接しているカフェのソファーに手のひらを向ける。

 こうなることがわかっていたと言わんばかりのフロントの態度に(いやこの人は別に仕事をしてるだけで真殿斗織の手下でもなんでもないってわかってるんだが)ムカついてしゃあない。本当にゲームなんだ。マジで殴りたいよ、マジで!


「や、待たせたね」


 貧乏ゆすりまくりの俺の頭上からあの誰もを引きつける声が響く。

 顔を上げれば、今度はモノクロチェックのシャツにベージュのカーゴパンツをごついブーツにねじ込んだ真殿斗織がニコニコしながら俺を見下ろしていた。セルフレームの眼鏡にハーフアップの黒髪姿は似合ってはいるが相変わらずこの人の人となりが見た目でつかめない。もしかしてそれが狙いなんだろうか。花に触れるときには地味なグレーのスーツを着て誰よりも色を抑える、花に仕える華人なのに。


 彼は小さな丸いテーブルを挟み俺の前の一人がけソファに腰を下ろし、姿を現したウエイトレスにコーヒーを注文した。


「彼の分のお代わりも」

「かしこまりました」


 いらないと言いかけたけど残念ながらいくら水分を取っても喉はカラカラのままだった。目の前に置かれた新しいアイスティは遠慮なくゴクゴクと飲み干した。時間もない。単刀直入に尋ねる。


「真殿さん、彼女がどこにいるか知ってるんですか?」

「ん……そうだね」

「どこですか。まさか……」


 嫌な予感に顔が歪む。


「このホテルの、僕がとった部屋にいる」


 同じホテルかよー!

 マジで茶番じゃねぇか、ふざけてんのかよ!


「でも《月光》をどこにやったかは白状しないんだ。困ったよ」


 ふふっと唇の端をほころばせる真殿さん。


「でも君はわかったから来たんだろう?」

「……多分」


 うなずく俺を見て真殿さんは頬杖をつきながら恐ろしく長い足を組み替える。俺の次の言葉を待っている。あームカつく。イライラして心臓が口から飛び出しそうだぜ……。だけど俺はここで引くわけにはいかないんだ。何が何でも! 腹の奥に力を込めて勇気を奮い起こす。


「まだ確かめたわけじゃない。だけど前野さんが一人で《月光》を盗むのなら、そうするしかないんじゃないかって思ってます」

「なるほど。結果に至ったのは人らしい論理なんだね。実に好ましい、だから僕は花と人の心が好きなんだ。たまらないな」


 真殿さんは本気で感動した様子で俺をキラキラした目で見つめてくる。


「案内してくれるね?」

「はい」


 今こんなことを思うのはダメだけど、なんか子供みたいだ。苦手だけど同時に目を逸らせないような強烈な魅力もあってほっとけない感じがする……。そう思うのも真殿斗織の思うツボなのかもしれないけど。


 俺たちはカフェを出てフロントの前を通り、駅の改札に続くエントランスを一望できる出入口に立つ。ペデストリアンデッキから改札に続くエントランスは夜になっても相変わらず人の往来は多い。だけど誰も俺たちに目を向けたりなんかしない。他人の行く先なんか気にならない。駅は立ちどまる場所じゃない。ここではないどこかへ行く場所なんだな……。


「ステージはあそこにありました」


 ホテルの入り口から十五メートルはあるだろう。今は何もないエントランスを指差す。その向こうに階下からつながるエレベーターが見える。


「俺はエレベーターを使って一階にあるフラワーショップからあそこまで《月光》を運びました」


 そして今立っている場所を指差す。


「二回目に運ばれたのはここですよね。そして《月光》は姿を消した」

「うん、そうだ」

「ここから前野さんはあそこに《月光》を隠したんだ」


 俺は足元を指していた指を持ち上げ、まっすぐにあれを指差した。5メートルほど先にある、きらきらと輝き水しぶきをあげる噴水に。


「噴水……?」


 真殿さんの驚いた顔は初めて見たかもしれない。おいこれは貴重だぜHAHAHA! もうこうなったらなるようになれだ! 妙なテンションのまま、説明を続けた。


「人間って、床に置いてあるものは持ち上げられなくても、ある程度の高さにあるものは抱えることができます。例の花瓶は真殿さんがパフォーマンスで使った時の台に乗せられていたから、前野さんでもとりあえず持ち上げることはできたんでしょう。とても短い間限定ですが」


 そして俺と真殿さんは吹き上がる噴水へと近づいた。噴水はステージがあった辺りの斜め背後、壁に沿うように大きく張り出して作られている。てっぺんからの高さは3メートルはあるだろうか。お皿を二枚重ねたようになっていて、上から水がダバダバと落ちて水のカーテンを作っている。

 なんてことない、どこにでもあるごく普通の噴水だ。だからなんとも思わなかった。昨日、昼間見たときだって、水がキラキラ光って綺麗だなーってなもんだった。


「いけられていた花は、フラワーショップのエプロンさえしていれば怪しまれず堂々と抜くことは出来る。花は先に抜いたと思います。運びにくいし、少し軽くしたいだろうし。もしかしたら道行く人にあげたかもしれない。捨てたとは思いたくないっつーか……。それはわかりませんが、花を処分したら、あとは《月光》を抱えてここまで五、六メートルくらいです」


 それから俺はスマホを取り出して時間を確認した。


「9時です。これ、預かってもらえますか」


 スマホを真殿さんに渡し、履いていたスニーカーを脱ぎ、靴下をねじ込む。そしてデニムの裾をたくし上げて、噴水に足を踏み入れた。深さは膝に届かないくらいだが水はしっかりと冷たい。ザバザバと中央に向かうと、水の勢いが徐々に弱まっていく。この噴水は夜9時に止まり、朝9時に動きだすらしい。(ここに来る途中スマホで調べた)噴水中央のお皿の下は、身を屈めれば覗き込める。


「っしょっと……」


 水が止まったことを確認してから、皿を掴み、しゃがみこんで目を凝らした。


「あった……」


 噴水の水の流れに押されて行き着いたんだろう、水面に反射してキラキラと輝く《月光》を、手を伸ばし引き寄せる。中は水でいっぱいだったので、両手でがっちりと掴み傾けた。ドボドボドボドボ……。《月光》から噴水の水が零れ落ちる。そんなきれいな水でもないはずなのに、信じられないくらい澄んで見えた。今更だけどすげぇ綺麗だな……。感心しながら抱え直し、噴水の外で待っている真殿さんの元に向かった。


「――驚いたな」


《月光》を噴水の縁に乗せ、足をピッピと振りながら水気を取る。


「僕はね、例えば布か何かを入れた袋に《月光》を落として、割って運んだんだと思っていた」

「確かにそれなら何回かに分けて運べるし、目立ちませんもんね。でもそれは違うと思います」

「なぜ?」

「前野さんが真殿さんの側にいたからです。完全に別れるつもりなら、嫌がらせで割って逃げたかもしれないけど、それをやったら本当に終わるでしょ」

「なるほど」

「だから目立たない場所に隠した」

「そう」


 真殿さんの表情が柔らかく変わる。


「だけど前野さんがしらを切っても警察に届ければすぐに見つかったと思いますよ。ここは現場ですし、いくら世間が他人のやることに無関心とはいえ探せば目撃者くらいいたかもしれない」


 靴を履きもう一度、《月光》を抱え直した。


「届けるつもりは最初からなかったよ」

「だったら《月光》ははここにずっと眠る羽目になっていたかもしれない」

「別れ話で高くついたね」


 真殿さんはかろやかに踵を返し、歩き始めた。付いて来いってことか。仕方ない。俺は下男よろしく彼の後ろをついて歩く。


「どうして別れるんですか? ぶっちゃけ真殿さん、そういうのきれいに清算しそうって思ってたから、こんなことになるなんて意外ですね」


 彼のことを知っているわけでもないのに、軽いイヤミをぶつけたのは純粋な意地悪だ。だって前野さん、確かにやっちゃいけないことやったんだろうけど、仕事だって首になるに違いないのに、真殿さんが《月光》を失いそうになってもまだ痛み分けとは思えない。


「だって、僕の子供を妊娠したっていうから」

「ふーん……へっ!?」


 ここで《月光》を落とさなかった自分を褒めてあげたいよ俺はさ!


「えっ、えっと、真殿さんは結婚してるんですか?」

「いいや、一度もしたことはない」

「だったら、その、別に」

「だって嘘だから」

「はい?」

「妊娠したなんて嘘だよ。僕は事故で怪我をしてもう子供は作れない。もし万が一妊娠しているのが本当ならそれは僕じゃない誰かの子だからね、だから僕の――」

「あっ……いやもういいです、そっ、その、その先はプライベートなことでしょうからっ!」


 超デリケートでなおかつプライベートな話題に瞬間沸騰した怒りが急速冷凍だ。まだ何か言いたそうな真殿さんの発言を慌てて遮る。


「そうそう、でもセックスするには問題ないんだよ、大丈夫」


 肩越しに振り返ってのこの華やかな笑顔! 聞いてねぇよ何がだよ! なにがどう、いや、想像つくけど! もうなんなんだよ、この人〜!!!


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