⑥咲くが花よ咲かぬが花か


「他にもフラワーショップはあるからね。なんなら紹介しようか?」


 唐突に響く甘く低い艶のある声に振り返れば、そこには真殿斗織が立っていた。

 今日の真殿斗織は、薄いブルーのシャツにベスト、濃いグリーンのパンツというカジュアルなスタイルだ。しかもなんか昨日とまた髪型が違う。


 なんでこの人毎回見るたびに見た目変えてくるんだ? 声に特徴があるからわかるけど、見た目だけだと一瞬誰かわからなくなる。謎すぎるぜ……。


「真殿さん!」


 さっきまで床に座り込んでいたおっさんが真殿さんの姿を見て電光石火の速さで立ち上がる。けれど真殿さんはなぜかまっすぐに俺の方にやってきた。思わずビビって半歩後ずさる。なんでかな……物腰は柔らかなのに迫力負けするんだ。


「綴君が女性だったら良かったのに」

「……はい?」


 何言ってるんですかこの人。なぜか身の危険を感じるんですけどぉ! 呆然とする俺をよそに、真殿さんは窓際に立ち壁にあるボタンでブラインドを上げ室内の電気を消した。LEDの明かりからまばゆい太陽の光へ。青空が眩しくて目を細める。


「LEDは好きじゃないんだ。それにこんなにいい天気なのにもったいない」


 そして額にかかる髪をさらりとかきあげ、やんわりと微笑んだ。


「綴君、ゲームをしよう」

「っ……はい?」

「もし君が今日中に、人らしい思考と論理でもって《月光》を見つけることができたなら、僕は誰のことも罪に問わないことにする。期限までに見つからなければ僕は被害届を出し、然るべき責任を彼らに取ってもらう」

「ちょっ、ええ?? 《月光》ってあの、例のラリック?」


 つか、なんで俺?


「真殿さん、あっ、あんな子供に、なにを!」


 顔面蒼白なオッさんが真殿さんに詰め寄る。けれど彼はそれを手の平で制し、俺に楽しげな視線を向けた。眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いている。

 これはまじだ。楽しんでるぞなんてヤツだ。意味ワカンねぇ!


「ちょっと待ってくださいよ、俺まったく関係ないんですけど! 探してやる義理もねぇし!」

「うんそうだね。だから勿論無視してくれたって構わない。それもまた君の意思だ。尊重する」

「なっ……!」


 あまりの発言にめまいがした。

 尊重するよ、じゃねー! なんなんだこのナメくさった態度! ギリギリと奥歯を噛みしめ拳をきつく握る。こうでもしなきゃ今度はこの人相手につかみかかりそうだった。


 そりゃさ、例のラリック……《月光》だっけか。数百万円するような大事な花瓶を紛失された点では被害者かもしんねぇよ。でもそれでゲームかよ。大の大人が行方不明で右往左往してるってのによ。なに楽しもうとしてんだよ、いったい何様なんだよ、神様のつもりかよ!


「やりません」

「きっ、キミッ……!」


 オッさんがしがみついてきたのを「スンマセン」と引き剥がす。


「ゲームとかそういうの好きじゃないんで」

「そう。残念だけど仕方ないね」


 これだ。ちっとも仕方なさそうな顔をしてないのがまた腹が立ってしょうがない。こんなやり取りですらゲームなんだろうよ。本当にムカムカする。胸糞悪い。


「――行こう」


 それまで黙っていた中尾が俺の背中を叩く。うなずき会議室を出るために踵を返したのだが。ふと気になって振り返っていた。


「真殿さん、なんで俺相手にゲームしようと思ったんですか?」

「このままさよならするには惜しいと思ったからだよ。まぁ振られたけど」

「冗談キツイっス」

「ごめんごめん、僕はとにかく欲しがりで我儘なんだ。魅力のあるものはみんな欲しい。手元に置いておきたくなる。それが硬い蕾ならば、僕が手ずから大輪の花を咲かせたい」


 彼は華道家なのだろうか。それともガーデナー? いや《花は全てを僕に求める》と言った彼にとって、その違いは大したことはないのかもしれない。ただ花のためだけに生きるだけなのかもしれない……。


「俺にコレクションする価値なんてないですよ」

「自分の価値をわかっていないと生きにくいだろうに」

「真殿さんみたいな困った人に絡まれるとか?」


 俺の嫌味に彼はまたクックッと肩を揺らす。


「またね」


 なんなんだよ……俺は会いたくねぇよ、冗談じゃない!



 まっすぐ帰る気にもなれず、中尾と俺は駅前の雑居ビルの二階に入っているミスタードーナツに入って、なんとなくコーヒーを飲んでダラダラしていた。


『もし君が今日中に、人らしい思考と論理でもって《月光》を見つけることができたなら、僕は誰のことも罪に問わないことにする。見つからなければ僕は被害届を出し、然るべき責任を、彼らに取ってもらう』


 あれマジだったのかな。人らしい思考と論理ってどういうことだ?

 そもそもゲームにはゲームバランスが必要だろ? 何かしらの勝機がなければゲームにならない。それが俺にあるってのか……あの中で部外者だった俺が?


 だとしたら真殿さんはどうして俺に見つけられると思ったんだろう。俺はただの元ひきこもりだ。前野さんのことなんか何にも知らない。身長150センチもなさそうな女性で、たぶん体重だって40キロないだろうな。とすると自分の体重の半分はある《月光》を一瞬抱えることはできても、そのまま抱えて遠くまで逃げることなんか不可能だろう。


 どうやって盗んだ? いや、そもそもなんのために盗んだ?


「ツヅリ、真殿さんが言ったゲームのこと考えてるのか?」

「あー、うん。まぁな。なんで俺なんだとか、あと店長さん……前野さんのこととか」

「俺も正直信じられないよ。前野さん、とても真面目な人だから」

「真面目な人が失踪すること自体変だよな」

「じゃあ誘拐とか?」

「《月光》も一緒にか? いよいよ意味不明だろ」

 ゲームには乗らないと言ったくせに、気がつけば俺と中尾はあーでもないこーでもないと考えずにはいられない。それだけショッキングだと言えばそうなのかもしれない。

「そもそも《月光》を盗んだところで気軽に質屋で換金できねえよな」

「ラリックの特注だしね」

「うーん……真殿斗織の大事な商売道具を前野さんが盗む理由……なぁ」


 盗まれたものの規模はまるで違うが、例のスコーン盗難事件があったとき芥川はなんと言っていただろうか。確か人は合理的な生き物ではないと……それだけの理由があったからやっただけだと、そんなことを言ってなかったか? 芥川ならどう答えるだろう。


 ぼんやりと窓の外に目をやる。駅と駅前のビルたちを繋ぐペデストリアンデッキは、夕方近くになっても人でごった返している。そこを発光する人が歩いていて思わず釘付けになっていた。

 つばのある帽子の下からたなびく長く、波打つ黒髪。大きなサングラス。すらりと細く長い手足。目の覚めるようなブルーのミニワンピース。手には赤い小さなバッグを持っている。


 あれは……彼女だ!!!!


「えっ、ツヅリ!?」


 気がつけば荷物も何もかもそのままで、階段を転がりそうになりながら駆け下り、ペデストリアンデッキの彼女が歩いていたあたりへと走り出していた。


 どこだ!? けれどいくら周囲を見回したところで人がごった返していて、彼女を見つけることができない。


「くそっ……」


 だがいくら悔しがっても仕方ない。今ここを歩いていたんだ、幻でもなんでもなく、確かに! 探すんだ! 駅か!? 駅に向かってダッシュする。


 彼女に会ってどうするとか全く考えてなかった。でも会いたかった。もう一度。会って確かめたい。どうしてこんなに四六時中考えてしまうのか、どうしてもっと顔が見たいと思ってしまうのか、言葉を交わしてみたいと思うのか。単純に一目惚れってだけで人はこんな風におかしくなっちまうのか?


 たどり着いた駅構内はまた大混雑で、人にぶつからずに歩くこともできず、俺の足は止まってしまった。


「はぁ……なにやってんだ、俺……」


 情けなくなりながら来た道を戻る。あれ、れ……手ぶら? てか俺、中尾放り出したままじゃんやべええええええ!!!

 ギャーとなりながらミスタードーナツへとまたダッシュで戻る。中尾は俺が上がってくるのが見えたらしく、苦笑しながらテーブルで待っていた。


「ごめんっ!」

「いやーこれは詳しく聞かせてもらわないといけませんな」

 と、長老っぽく顎のあたりを撫でる中尾。俺が気まずくならないよう気を使ってくれているのが伝わってきて、余計にいたたまれないぜ!


「いやえっと、その……」


 顔が熱い。パタパタと手のひらで顔を仰いでいると――。


『顔を見せて』


 澄んだ、透明感のある声が窓の向こうから聞こえた。顔を上げると《彼女》がいた。白い可憐な花びらに埋もれた彼女が、ゆっくりと瞬きをしていた。たった今見失った彼女が、どうして?


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