⑤咲くが花よ咲かぬが花か
日曜日。いい天気だ。コーヒーでトーストを流し込んでいるとテーブルに置いていた携帯が震える。
まさかまた芥川か! 見て見ぬ振りをしたい! が、できない……。仕方なく着信を見ると中尾だった。
『もう起きてたか? 実は大変なことが起こったんだ、それで昨日のアルバイトも全員集められることになって、えっと……とにかく来てくれるか』
中尾にしては珍しく焦っている様子だ。何が何だかさっぱりわからなかったが、大変なことが起こったのだとしたらやはり電話で問いただすより直接聞いた方がいいだろう。
「わかった、店でいいのか?」
中尾があんな風に思考が散らかってるのはただ事じゃない。とりあえず駅への道を急ぐ。今日もゴールデンウイークにふさわしいいい天気だ。向かっている駅はこの辺りで一番大きな駅なので、どんどん人が増えていく。ゴールデンウイークだもんなー行楽にもってこいな天気だもんなー。あ、家族連れ……あっちはカップルだ。手なんか繋いでさ……ハハッ一人で歩いてる人間なんかいないぜぇ……眩しいぜぇ……死にたい。
「ツヅリ!」
フラワーショップの前で中尾が手を振っていた。駆け寄ると明らかにブルーな表情だ。
「どうしたんだよ、いったい」
「とりあえず中に入ってくれ」
ため息をつきつつ半分閉じられているシャッターをくぐり抜け店舗の中へと入った。中には誰もいない。
「今日も休みなのか?」
「臨時休業。店長が行方不明で」
「へー、行方ふめっええええええ!?」
「あと、それだけじゃない」
「まだなんかあんのか!」
「店長と一緒にガラスの花瓶も行方不明なんだ」
「は?」
「店長と例の花瓶が行方不明」
「や、ごめんわかった、二度同じこと言わせてごめん」
とりあえず大きく深呼吸だ。深呼吸している間に中尾が説明してくれた。昨日のランチの後、いつかは知らんが前野さんが姿を消したらしい。同時にあのガラスの花瓶もなくなっていることに気づいたという。
「警察には?」
「まだ言ってないんだって」
「なんで。こういう言い方はなんだけど、前野さんが花瓶持ち出したとしか思えないぜ」
「だからだよ。自分の店の社員が真殿斗織の私物盗んで逃げたとしか思えないから困ってるんだろ」
「真殿斗織はなんて?」
「とりあえず本社から偉い人来て土下座……。で、土下座が効いたのかはわからないけど警察には届けずにいてくれているみたいだ」
「なるほど……でもそれって時間の問題だろ」
「そうだよ。あの花瓶ラリックに特注したものらしくって、数百万円するって言ってた」
「すうひゃくまんえんっ!? たかが花瓶だろ?」
「30センチの既製品ですら60万くらいするんだぜ、ラリックって。特注であの大きさだぞ、そりゃするだろう」
「なんで俺に運ばせたんだよ!」
「まぁまぁ……。だから同じものを弁償して終了ってわけにはいかないし、それ以前にこの業界で真殿斗織の顔に泥を塗った時点でもう終わったも同然だよ」
「終わったも同然って……そこまで?」
個人の影響力が全国チェーンの花屋に及ぶのか?
「そこまでだな。この件がニュースになれば世間の信用はガタ落ちだし、真殿さんのアレンジメント教室での取引がなくなり、さらに大口顧客のマスコミや芸能界から干されたらと考えたら……俺程度のアルバイトでもぶるっちゃうな、マジで」
「せめてそのラリックが見つかればな」
「そう、それで俺たちまで呼ばれたってわけだよ。俺はもう散々同じこと聞かれて、でもまぁ何聞かれたってわかんないしさ……」
中尾の説明を受け、ようやくここに呼ばれたことを理解した。大げさじゃなく会社存続の危機といってもいいくらいだよ。それから俺たちはフラワーショップを出て昨日ランチをしたステーションホテルの会議室へと向かった。
呼び出された部屋の広さは30畳くらい。楕円型のテーブルにスーツ姿のおっさんが一人、昨日一緒に飯を食べた社員二人が座っていた。全員緊張した様子でかなり憔悴している雰囲気が伝わってくる。窓は外が見えないようにブラインドで覆われていてLEDライトが眩しかった。中尾は部屋の外で待つように言われ俺一人になった。心細くなんかないやい!!
半泣きになりながらとりあえず椅子に座る。
「君が花瓶を運んだらしいな。知っていることを話しなさい」
口火を切ったのはオッさんだった。偉そうな感じがするがいきなり感じが悪いことこの上ない。いかにな言葉にカチンときたが俺もたった1日だけのアルバイトだ。ガマンガマン……。
「何も知りません」
「知らないってねぇキミ。そんな頭して……不良みたいだけど」
不良じゃねぇよ、元ひきこもりだよ! こんな頭してたら知っててもいいってのかよ。つかなんで俺疑われてんの、はぁ!? って、落ち着けぇ……落ち着けぇ……。
「確かにステージに運んだのは俺ですが、デモンストレーションで使った花瓶はあの後どこかに飾られるって聞きました。だから触ってません」
「まぁ、そうだけどね……」
なんだか悔しそうなおっさん。アルバイトに責任をなすりつけたい感満載だ。
「結局どこに飾ってたんですか?」
「あのステージを終えた後は、そのままだよ」
助け舟を出してきたのは昨日一緒にランチを食べた男性社員だ。
「あそこで一時間ほど飾られて、その後、今度はエントランスの端、このステーションホテルの入口側に台座ごと設置された」
「花瓶がないことに気づいたのはいつなんですか?」
最初はステージ。その次がホテルの入り口。ランチをしている間にはもうホテルのほうに移動してたってことだ。
「夕方5時頃かな。そろそろお返ししないといけない時間になっていたから、まず前野さんを探した。担当だからね。でもいないから僕と彼女で行ったんだ。だけどあるべき場所に花瓶はなかった」
彼女というのは前野さんではなく、彼の隣に立っていたもう一人の社員さんのことのようだ。
「だったら、ホテルか駅の監視カメラ見せてもらえばいいじゃないですか」
幸いここはステーションホテルだ。駅にはありとあらゆる場所に監視カメラが設置されているだろう。確認すれば一発だ。
「もちろん最初に頼んだんだよ。だけどまず警察に届けてくれの一点張りでね。被害届けが受理されて捜査とならなければ見せることはできないらしい」
そうか。この人たちは警察沙汰にしたくないからこんなことしてるわけだもんなぁ……。
「前野さんは?」
「ずっと連絡が取れない」
「こんな言い方失礼かもしれないですけど、やっぱり前野さん探したほうがいいんじゃないんスかね」
ゆるふわちびっ子な彼女がどうやってあのクソ重い花瓶抱えて逃げたんだよとかいろいろあるだろうけど、火事場の馬鹿力的な何かで運べたのかもしんないし。ここで俺を問い詰めたって何にも出てこねぇよ。
「もちろん、探してはいるんだけどね……」
困ったような社員さん。まぁ、いくら携帯鳴らしたって本人が逃げる気なら出るわけないしな。難しいよなと納得しかけていたら「キミが関与してないかどうか確かめる必要があるだろうが!」と、またオッさんが逆ギレだ。なんなんだよいったい。
「関与って……。俺は1日だけ雇われたアルバイトです」
怒りを押し殺して答えるが「はっ、聞けばキミ、あの十月学園の生徒らしいね! まともな学校に行けんヤツの吹き溜まりじゃないか、キミを疑うのは当然の――」その一瞬。すべての音が聞こえなくなった。
同時に、ぷつーんと俺の中の何かが切れる音がして、大人しく座っていたはずの俺は椅子を倒す勢いで立ち上がり、バシーンと机を叩いていた。
「おいおい、おっさん言っていいことと悪いことがあるぜ!」
「ヒッ……!」
俺の反撃に明らかにビビったオッさんが椅子から腰を浮かす。だが一度爆発した俺の勢いは止まらなかった。こちとら綴家初代ご先祖様からひいひいじいちゃんの代まで200年、生粋の江戸っ子なんだぜ、引っ込んでられっか!! てやんでえばっきゃろー!!!
そのまま楕円のテーブルを回り込み、ダッシュしておっさんの胸ぐらを掴み上げた。ブランとおっさんのつま先が浮く。
「こんなとこで俺相手にグダグダ言ってないで、警察に行け! 防犯カメラをチェックしろ! 真殿さんには誠心誠意謝れ! あと、休日返上で働いてた中尾にも失礼だろうが、謝れよ!」
「――リッ、ツヅリッ! 落ち着いて! 首締まってるから!」
はっと気がつけば部屋の中に飛び込んできたらしい中尾と社員さんが真っ青な顔で俺の手をオッさんから引きはがそうとしていた。やばい! 慌てて掴んでいた手を離すと、浮いていたオッさんが派手に床に落ちた。
「ゲホゲホッ……き、っ、キミ、なんてことを、するんだっ……!」
「すんません……」
一歩後ずさり距離をとる。今更だけど両手は腰の後ろに回した。
「ゆっ、許さんぞ、これは暴力事件としてっ、学校にっ、抗議をっゲホゲホッ……」
ど、どうしよう。もしかして俺、退学? あーあ、姉ちゃんズ怒るだろうなぁ……。ばあちゃんまた泣かしちゃうかも。咳き込むおっさんを見下ろしながら落ち込む俺。いや……それよりも今はあれだな。
「えっと、マジでごめん……お前が働きづらくなったら俺のせいだ」
隣にいる中尾に目を向けると「どうでもいいよ」なぜかあっさり首を横に振られてしまった。
「どうでもいいってことないだろうが」
「いや、どうでもよくなった。もう辞める。俺、あの学校のこと結構気に入ってるんだ。ここまで言われて働く理由ないだろ。それよりありがとう」
「ありがとうって……お、おう……」
いやいや、なんだこれ! なんか急に恥ずかしくなってきた! どう考えても短気な俺が悪いのに、ありがとうってか! マジでいいやつだな、中尾って……己の短気ぶりがめっちゃ恥ずかしくなってきたわ。
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