④咲くが花よ咲かぬが花か
「ツヅリ、大丈夫か? 顔色悪いぜ」
エレベーターが降下し始めると中尾が心配したように肩を叩いてきた。
真殿さん……あの人は俺のことを、いや、正確には《綴家》のことを知っているんだ。
中尾が真殿斗織は元はちゃんとした華道の人だと言っていたから、知っていてもおかしくないのかもしれないけど……。でもなぁ……。うちってマイナーだと思ってたけど違うのか? いや、マイナーだよなあ……。歴史の表舞台に立ってたことは一度もないってばあちゃんもひいばあちゃんも言っていた。
だとするとやっぱり真殿斗織が只者じゃないってことか。関わらないのが吉だな。間違いない。
「ああ、いや、ちょっとビックリしただけだ」
「そうか……まぁビックリするのも当然だよな。いきなり名刺だし」
「あの人……」
「ん?」
「もしや俺に惚れたのかな!?」
「そう来たか!」
「でへへー。困っちゃうなー」
中尾と俺のやり取りに「それはないわー」なんて、微妙に緊張していた空気が緩む。実際のことはよくわからんが、今いくら俺が考えたところで納得できるような答えは思い浮かびそうにない。つか、ただの気まぐれかもしれないし……。いや気まぐれだろう。気まぐれに決まってる。もう二度と会うことがない人だ。なんども自分に言い聞かせてようやく落ち着いた。
貰った名刺は捨てるのもためらわれて、とりあえず財布にねじ込む。
「中尾はこのあとどうするんだ?」
「用事あるからこのまま帰るよ。ツヅリは?」
「俺も用事」
「そうか。じゃあまたな」
最後にちょっとばかし混乱したが、アルバイトは終わった。日給を頂戴し解散となったのだがーー。さて、どうするか。中尾には用事があるなんて言ってみたが、人に話せるほど具体的にどうこうする予定があったわけじゃない。ゴールデンウイークに残ることを決めた一番の理由……それは彼女にもう一度会いたい、ただそれだけだった。
特にドラマチックなことがあったわけじゃない。どこの誰かも知らない。ただ一目で恋に落ちた。一人暮らしの準備を整えるためにまず上京。たまたまこの駅でナンパされてる彼女を見かけて、困っていたから助けた。(誓って言うが俺は暴力的な行為は一切してないぞ、丁寧に『いやがってるように見えますけど』って声かけただけだ)彼女は小さく頭を下げて逃げるように去って……。
でもその一瞬に見せた伏せたまつ毛や、紙のように真っ白い頬、カラスみたいに黒くて長い髪。それなのに柔らかくにじむように発光する空気に一瞬で囚われてしまったんだ。
この一月、1日も忘れたことはない。ずっと消えない写真のように色鮮やかに。だから俺は暇があれば歩く。この道を。いつかまた会えると信じて。
いつものように駅周辺、百貨店、商店街と歩いていると日が暮れた。これじゃただのおじいちゃんの散歩じゃねぇかと思ったが仕方ない。もとから何の根拠もない徘徊みたいなもんだもんな。
自宅マンションは駅から徒歩15分。完全オートロック2LDKの新築マンションだ。高校生の一人暮らしには贅沢すぎるが元は一番上の姉ちゃん所有。数年前から海外勤務になっていて、人に貸していたのだが、今年から空いてしまったので俺が留守番がてら住まわせてもらってる。
「たっだいまー……メシ、風呂……コンタクト外して……いや、やっぱねみぃ……」
ヨロヨロとリビングのソファに倒れこむ。一瞬で気を失っていた。
ブルブルと響く振動に、ふと意識が戻った。
「……ん……」
うつ伏せになったまま手探りで周囲をまさぐる。あ、そうか……。デニムにねじ込んでいたスマホを引っぱりだし瞼をこじ開けると着信がめちゃくちゃ残っていた。
「ん……?」
ベッドに座り直し確認すると《るしへる》《るしへる》《るしへる》《るしへる》のエンドレス。
ぎゃー!!!!!! るしへるきたー! 思わずソファから飛び起きていた。
るしへるってのは芥川龍之介の著書『るしへる』からの引用だ。要するにこれは十月学園ルシフェル、国語教師芥川からの着信ってことだ。憂鬱すぎる……。
仕方なく着信履歴から折り返すとワンコールもしないうちにつながった。
「おい、いったい何の用――」
『お前の馬鹿さ加減を罵る言葉を万は用意していたが、今は時間が惜しい』
「はい?」
『僕はペコペコだ。早く来い』
ガチャッーーツーッ……ツーッ……。
俺のマンションから徒歩10分、十月学園のすぐ裏のおんぼろアパートに芥川は住んでいる。二階建ての木造アパートは上下に部屋が四つずつ。今にも崩壊しそうだし、幽霊でそうだし、ヤのつくご職業の取り立て屋が来るのに似合いなアパート、それが日の出荘だ。
今時日の出荘って感じだがどこからどう見ても日の出荘な佇まいなのでこれはこれでいいんだろう。ボロボロに錆びた階段を駆け上がり、一番端のドアをこぶしで叩く。
「おいっ、来たぞっ!」
微妙に歪んでいるドアはミシッと音を立てた。やべ、壊れる。ノブをひねると、すんなりとは言いづらいがギコギコいいながらドアが開く。
「――芥川?」
部屋は六畳一間、真っ暗だ。芥川は火を使うような調理は一切しないので最悪なことにはなっていないが、散らかり放題で足の踏み場もない。途中コンビニで買ったゴミ袋に入り口から手に触れるものを放り込んでいく。
「おい、起きろ! メシだぞ」
持っていたコンビニの袋を投げる。壁際で毛布にくるまっていた芥川が体を起こしビニール袋を引き寄せた。
「メロンパン……」
芥川はちょっと嬉しそうにつぶやき、袋を開けパクリとかぶりついた。
「お前さぁ、なんで腹空かせてるわけ? 数日前給料日だって言ってただろ」
「スッた」
「はぁ!? 競馬か?」
「天皇賞は明日だ。パチンコと麻雀ですっからかんになったんだよ」
一瞬ほうけたが冗談じゃない。冗談と思いたいが、芥川はこういうやつなんだ。学校があればふらふらと学園内を徘徊して女子にお菓子やらなんやらを恵んでもらっている姿を見る。うちのスイーツクラブは当然のこととして、ほか調理系クラブにも顔を出しているのはそのためだ。教師のくせしてギャンブル狂で暴力的とか、本当に顔しか取り柄がない、どうしようもないクソなんだぁぁあ!
「おまえってやつは……一ヶ月どうやって生きていくつもりなんだ!」
「まあなんとかなるだろう。お前もいるし」
「俺に寄っかかるな!」
「頼り甲斐のある生徒がいて助かるよ」
心にもないことをぬけぬけと!
歯軋りする俺をよそに、芥川はパックの牛乳の口を開けてごくごくと飲み始めた。ゴミ部屋で生徒からめぐまれた牛乳飲んでるとは思えない。つか芥川自身が俺に全く引け目とか負い目とか感じてないのが手に取るようにわかる。ベルサイユの貴族かよ!
「ったく……」
デニムの後ろポケットにねじ込んだままの封筒を差し出した。
「貸しといてやるから、これでゴールデンウイークを乗り切れよ。いいか、パチンコには行くんじゃねぇぞ」
「これは?」
芥川は一旦封筒を手にしたが、封筒を一瞥し目を細める。
「今日もらったアルバイト代だ」
「――いらない」
プイッと横を向く芥川。封筒も押し返された。
「なんだよ、今更遠慮するタイプじゃねぇだろ」
「なぜ僕が遠慮するんだ。馬鹿だな、お前」
「どっちが馬鹿だよ!?」
どう考えてもお前が一番アレだぞ、アレ!
「腹は膨れたよ充分だ」
そして芥川はふわふわとあくびをして、また毛布に丸まった。つか、この部屋ベッドすらねぇじゃん。なにが充分だよ、常識含めて何もかも足らなさすぎだろ。
「……ったく……来週ゴミ出しとけよ」
とりあえず目の届く範囲のゴミをまとめてきつく縛る。
おんぼろアパートを出ると、月が屋根の上に輝いていた。明るいな、ここ……。
俺のマンションのあたりはこんな風に月は見えない。日当たりの悪い日の出荘にもいいところはあるんだな。
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