②咲くが花よ咲かぬが花か


 設営がおわり、今度はパフォーマンスに使われる花材の準備だ。いったんフラワーショップに戻ると、中尾や他のアルバイト、社員がせっせと用意をしていた。朝イチよりもさらに人が増えている。今日は他店からも手伝いが来ているらしい。

 今用意している花材はパフォーマンスからのトークショーという流れなので、時間きっかり、というか真殿斗織の出番に合わせて一緒に運ぶらしい。俺は体がでかいという理由で一番重いガラスの花器を運ぶ係りになった。


「それ、ちょう高い一点ものの花器だからね。落とすなよ。絶対落とすなよ?」

「前フリかよ落とさねぇよ」


 中尾の言葉にその場で一応抱えてはみたが、言うほど重くなかった。余裕だ。


「えっ、それ20キロはあるって聞いたけど……すごいなツヅリ。まるでゴリラだやだ怖い」

「一応人間だよ?」


 ちなみに一階にあるフラワーショップから二階のエントランス、特設ステージまでは店のすぐそばにあるエレベーターを使う。抱えて遠くのエレベーターややたら長い階段を登るわけじゃないので楽勝だろう。そうやってバタバタしていたら。


「お忙しいところすみません、先に挨拶をさせてもらえますか?」


 店内に響き渡る甘く艶やかな声。


 驚いた。その場にいた全員が一瞬で動きを止めたんだ。

 決して大きな声じゃないのにどうしてこんなに胸に直接響くんだ。人の手を止めさせることができるんだ?


 信じられない気持ちのまま入り口を振り返るとそこにはフライヤーの通りの、グレーのスーツに身を包んだ男、真殿斗織が立っていた。


「朝早くから会場を用意してくださってありがとう。花も良いものばかりでワクワクしていますよ。今日は精一杯務めますのでどうぞよろしくお願いします」


 そして上品にクルリと踵を返し出て行ってしまった。この間わずか数十秒。けれどここにいた10人くらいの男女はみな心を奪われていた。


「なんだ、あれ……」


 失礼かもしれんが思わずそんなことを口走っていた。だってアレ男だぜ? アイドルでも女優でもない、しかも自分の倍近くはいってるオッサンだぜ?(まぁ確かにかなりのイケメンだけども)それがこんなふうに見とれるって……。


「カリスマってああいうのを言うのかもしれないな」


 と中尾。真殿の姿が見えなくなってからようやく息がつけた。あんなにかんじ良さげなのに同時にも緊張させるって、マジ大物かもしんねぇ。

 



 いよいよイベントが始まるってことでガラスの花瓶を運ぶことになった。例のアレな。一点ものの高級品らしいんでとにかく慎重に。フラワーショップの横にエントランス直結のエレベーターがある。よそから手伝いに来た男性社員と中尾と乗り込んだ。


「ところで前野さんの姿が見えないけどどうしたんだろう。君たち知らない?」

「いいえ」

「知らないッス」

「なんだよ、困ったなぁ。責任者は彼女なのに」


 社員さんはため息をつくが俺も中尾もどう答えたものかわからず適当に流してしまった。人の通りが多いから、そこは中尾が先導しつつ進む。エントランスからステージまでは50メートルくらい。壁を背にしたステージはすでにけっこうな賑わいだ。100ほど並べたパイプ椅子は満席で、その背後にぐるっと取り囲むように見物客が並んでいた。真殿斗織の登場を今か今かと待ちわびる熱気がムンムンと伝わってくる。


「これどこに置くんスか?」

「ステージの上、中央手前に四角い台があるだろ。あの上に置いてくれるかな」

「花材の前っスね」


 なるほどパフォーマンスってのは客の前で花をいける一連の作業のことらしい。言われた通り、足元に気をつけつつステージの上に上がりガラスの花瓶を置いた。

 ちょうどステージの斜め後ろ、数メートル離れたところに壁に添う形で噴水がある。太陽の光に水しぶきがキラキラと反射して、エントランス内に万華鏡のような光を映している。花瓶もきれいだ。

 よし、仕事終了! ふふーん、俺がこの花瓶を落とすと思ったやつ手を挙げろ(芥川がいたらぜったい挙手してそうだが)。意気揚々とステージから降りステージの裏へと回る。そこには予備の花材だとかなんだとかを置いてあるスペースがあって、数人のスタッフが待機している。


「お疲れさん」


 中尾とハイタッチしていると、向こうからドッと歓声が上がるのが聞こえた。真殿斗織がステージに姿を見せたんだろう。


「一時間強で終わるから。終わったらまた片付けだぜ」

「じゃあ終わるまで見てていいのか?」

「もちろんいいよ。俺も行くからエプロン外して行こう」


 中尾と二人、店のエプロンを外して足早に立ち見席の方へと回る。ステージには司会進行らしい女性と真殿が並んで立って話していた。


「真殿さんは従来のガーデンデザインや店舗デザイン以外に、アーティストとのコラボも多く手がけられていますね。たとえばこれなんですが」


 そこで司会者が国民的アイドルのCDジャケットを観客に見せるように持ち上げる。


「こういったジャケット写真のお仕事もみなさんよく目にされているんではないでしょうか」

「CD買いました〜」「カレンダー買いました〜!」と、黄色い声が飛ぶ。

「ありがとう」


 人懐っこそうな笑顔を浮かべ、真殿は持っていたマイクを持ち直しさらに色とりどりの花に手を差し伸べる。


「花の可能性は無限です。花は強く、弱く、狭く、広い。これほどイメージを刺激されるものは、人の精神以外に、僕は花しか知らない」


 甘く低く艶っぽい声が響く。彼の手が宙を舞うと花がまるで生きているかのように、いや呼吸をし始めるかのように生き生きと輝き始める。それまでいっしょくたにされていた花がそれぞれに己を主張し始める。特に気負った様子もなく、真殿は在るべきところに一輪また一輪と花をさしてゆく。まるで指揮者だ。

 俺は花のことなんか何も知らねえけど彼の手によって生み出される花々の集合体はガラスの花瓶の中で一つになり、そして何よりも美しく尊い生き物に見えた。


 仕事を終えた彼は、愛おしげにガラスの花瓶を撫でる。その瞬間、花が一斉に色めき立つように見えて思わず瞬きを繰り返していた。花ってあんな色してたか……?


 それが終わりを告げる挨拶だったようだ。わっと空気を震わせる大きな拍手が起こった。


「ありがとうございます。よかったら僕の教室にも来てくださいね。宣伝です」


 彼は何も変わらない。ステージはそれからトークショーへと流れていく。


「――ツヅリ、どうした?」


 中尾が硬直する俺を不思議そうに見上げる。


「あ、うん……なんか、圧倒されて。びっくりした。あんな風にさらっとやれるもんなんだなって」


 たとえば職人の顔になったとか、プロの鋭い眼光になったとか、わかりやすい変化があればこんな風に戸惑わなかったのかもしれない。けれど真殿は何も変わらなかった。まるで息でもするように、水でも飲むかのようにごく自然に花に触れた。


 一流の人間というものはこうなんだとまざまざと見せつけられた気がしたんだ。

 

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