ガラスのハートが壊れる前に
①咲くが花よ咲かぬが花か
加藤先輩の衝撃的なキスを見てから一週間が経っていた。問題のスイーツクラブでも、スコーンがなくなったのは妖精さんの仕業と芥川に流されるまま収まっていて、正直それでいいのかよと思わんでもないが、まぁ蒸し返したっていいことはないってことくらい俺でもわかる。仕方ないんだろう。だけどふとした瞬間に、加藤先輩のキスシーンが脳裏をよぎる。
アカシアの黄色の緑の洪水の中、優しく微笑んで、本当に好きで好きでたまらないというふうに彼女に触れて、それから触れるだけのき、キス……。
加藤先輩めっちゃきらきら光ってた。眩しいくらいきれいだった……ってか俺には心に決めた子がいるだるおぉぉ!
「ツヅリ、なに身悶えしてんの? 気持ち悪いぜ」
「気持ち悪いって身も蓋もねぇな」
昼休み、俺と中尾はいつものように学食で飯を食っていた。中尾は冷やしうどん、俺はいつものカレーだ。
「まぁ、あれだよ、なんでもねぇよ……」
まさか正直に、人様の、しかも女子同士の秘密のラブシーンを思い出してドキドキしてるとも言えず、カレーをかきこむ。
「なんでもないって顔できないくせに」
「なっ、い、いいんだよっ! なにもないっ!」
「はいはい、そういうことにしといてやる」
クスクスと笑う余裕の中尾。くそー……。完全にあしらわれた俺はとりあえず話題を変えることにした。
「もうすぐゴールデンウイークだな、なんか予定あんのか?」
「いやバイト三昧だ。そういうツヅリは実家に帰るの。四国の松山だっけ」
「こっちにいる。帰らない」
「え、なんで? ご家族は帰って来いっていうだろ?」
「まぁ、言われるけどさ。こっち来たばっかだし、帰っても姉ちゃんズにこき使われるだけだし、夏に帰ればいいかなって……それに……」
「それに?」
「ちょっとこっちに慣れときたいかな、なんて……電車とか」
自然と声が小さくなる。
「ふぅん?」
さらりと流す中尾。今度は突っ込んでこないときた。これも明らかに嘘ってばれてんだろうな、クソッ。もういいよ! ふてくされていると、そこで中尾から思いもよらぬ提案を出された。
「ゴールデンウイークこっちに残ってるなら、バイトしないか?」
「バイト?」
「うちのフラワーショップでイベントがあるんだ。力仕事だから男手が欲しくてさ。即金手渡し。悪くないと思うけど」
「おー、やるやる!」
ゴールデンウイークに帰省しないと言っても、毎日朝から晩まで予定が詰まってるわけじゃない。即金手渡しなんありがたいことこの上ないし、なにより中尾と一緒なら心強い。
ここはお言葉に甘えて労働させてもらうぜ!
と、いうわけで迎えたゴールデンウイーク突入後の最初の土曜日。フラワーショップのイベントってなんだ? なんてぼんやり考えていたんだが、どうやら想像以上に大掛かりなイベントらしく、ステーションビル内にある駅中央改札に続くエントランスでのパフォーマンス&トークショーらしい。すでに徹夜組が並んでるとかで現場も朝からバタバタしていた。
朝六時、ステーションビルのフラワーショップのシャッターから店内に入り、眠い目をこすりながら中尾に差し出されたフライヤーに目を通す。
「フラワーアーティスト……ま、との? なんて読むんだ?」
「
「おれんちテレビねぇし」
「えっ、ほんとに!?」
「ちなみにパソコンもない」
「すごいね!? それって主義主張なわけ?」
「はは……」
目を丸くする中尾に笑ってごまかす俺。別に主義主張でも宗教上の理由でもなく、ただ単に引きこもりやめるときに部屋にあったテレビもパソコンも全部勢いで捨てたってだけなんだけどな。もちろんそれらの電化製品は家族が買ってくれたものだったからあとからめちゃくちゃ怒られたけど……。だから一人暮らし始まっても買ってもらえなかったというね。
改めて言うと非常にカッコ悪いので黙っておこうと思う。で、フライヤーに紹介されてる真殿斗織はたいそうなイケメンだった。たぶん三十は過ぎてる。ビシッとグレーのスーツを着て、フラワーアーティストと聞かなければ、撫で付けた黒髪と眼鏡という組み合わせからしてエリート官僚って感じだ。
「てか、フラワーアーティストってなんだ?」
着なれた薄手のパーカーとデニムの上に、中尾から渡されたグリーンのエプロンをつける。
「彼の場合は世界的ハイブランドや写真家とのコラボじゃないかな。彼が作ったフラワーアレンジをモチーフにしたグッズが出たり、イベントで店を花で飾ったりさ。あと展示会も大盛況だ」
「なるほど……」
「もともとちゃんとした華道の流派の人らしいけど、そういう既成概念の枠におさまらない人なんだろうね。結果世界的にも大成功してるんだからすごい人だよ」
珍しく興奮した様子の中尾に「お前やっぱり花が好きなんだなぁ」思わず口にしてしまった。
「は?」
「いや、嬉しそうに話すからさ。俺って特に好きなものもないし趣味もないもんなぁ……。いいなぁ、と思って」
花屋でバイトなんてキツイに決まってる。だけどそれを好きだからって理由で選んでる中尾はすげぇな、みたいなことを説明すると、中尾はなんだか困ったように苦笑して髪をかきあげる。
「ツヅリっていまどきビックリするくらいアレだな。子供みたいだ」
「えっ、なにが!?」
まさか子供みたいと言われるとは思わなかった。てかアレってなんだよ、アレって。
「はい、この話終了。仕事仕事」
「ええー……」
まぁ、俺だって遊びに来たわけじゃないからいいんだけどさぁ……。
「で、俺は何したらいいんだ?」
「まず会場の設置の手伝い。それが終わったら花材運ぶの手伝ってもらえるか。あっちに店長がいるから細かいことは指示に従って」
「わかった」
ステーションビルのエントランスに向かうと、展示会も兼ねているらしい会場では業者がステージを作っていた。その中に、同じエプロンをしている女性がいたので声をかける。
「店長の前野です」
二十代後半くらいだろうか。ちんまくてふわふわした感じの女性だ。赤いセルフレームの眼鏡をかけて、髪は後ろで一つにまとめている。可愛い。うちの、姉ちゃんズにはない年上の女性の可愛さだ。
「ツヅリと言います。無駄に力だけはあるんでなんでも言いつけてください」
「ふふっ、確かに大きいわねぇ。頼りにしてます」
場所が駅の改札に続くフロアなだけに深夜のうちにあらかた作業は終わっていたらしいが、それから俺は現場の人の指示に従って、マットを敷いたりステージの足場に釘を打ったりと大忙しだった。
「前野さーん、真殿さんのお迎えそろそろですよー!」
「もうそんな時間? やだごめんなさいちょっと抜けるわね!」
店長さんはエプロンを外し、それを呼びに来たバイトの女子に渡すと、エントランスのショーウインドウの前でちょこっと身なりを整え、足早に新幹線側の改札口へと走って行った。
「今にもスキップしそうだったね」
店長さんを呼びに来た女性が微笑む。彼女もバイトで市内の大学生だとか。
「え? あ、そうですかね」
よくわからんが適当に合わせる。
「真殿斗織は女性と見れば口説きまくるって噂本当なのかも」
「ええ!?」
「まぁ、あんな素敵な人に口説かれるんだったら悪い気しないよね」
「真殿斗織って固そうですけど」
「んなわけないじゃーん。こんな世界で人よりも先に進むのは、相当したたかで強くて、なおかつ不真面目な男に決まってるわ」
「はぁ……」
バイト女性の真殿斗織評価はいいような悪いようなよくわからないものだったが、どうせ別世界の話だ。とりあえず俺は労働の対価としてバイト代をもらえればいいわけだし。適当に話を切り上げ、労働に集中することにした。
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