⑧恋に焦がれて鳴く蝉よりも
「で、この国語準備室に?」
「俺の部屋にあるよりはいいだろ」
もちろん花瓶なんてあるはずがないので、掃除した時に見つけたガラスのボウルとミニバケツに飾ることにした。
「やっとわかったぜ。加藤先輩がそうしないといけなかった理由」
「あ、そう」
興味なさげなこと甚だしい芥川は、ソファに横たわり足を組む。
まだ朝礼には時間がある。というか余裕で一時間はあった。昼まで待ちきれなくてすぐにここに飛んできたのだ。とにかく中尾に聞いた答えを披露せずにはいられなかったというか、俺はバカでも友達は賢いんだぜと自慢したい気持ちがあったのかもしれない。だが……。
「――と、いうわけだ」
一通り語り終え、ドヤッと振り返ると、芥川は穏やかな顔で目を閉じていた。
すうすうと寝息まで聞こえた。こいつ寝てやがる。
「おい、起きろ!」
「ん……くだらない講釈は終わったか?」
本気でくだらないと思っているらしい。ふわーとあくびをしながら上半身を起こすと、芥川は俺が窓辺のキャビネットの上に飾った花に目をやった。
「アカシアか……」
「アカシアって……黄色いやつ?」
「ふぅん……」
「おい質問に答えろよ!」
相変わらずなんにも教えないやつだなこいつ。
「つか、花の名前なんかよく知ってんな」
「知らないというのは幸せなことだね。さぞかし能天気で無責任に生きられるだろう」
「はぁ? なんかいちいちイヤミくさいなお前」
たかが花の名前くらいでどうこう言われたくないわ。みたいなことをギャンギャン叫んでいたら、予鈴のチャイムが鳴り始める。
「あっ、やべっ!」
「そういやお前のクラスの授業だったね。そこ置いてる資料持ってきて」
ソファから立ち上がると芥川は手ぶらで後ろも振り返らず部屋を出て行く。
「おい、人使い荒いぞ!」
ちなみに運ばされたでっかい資料は源氏物語の絵巻物だった。相変わらず教科書無視だが芥川の話はわりと面白い。悔しいけど。いや悔しがる意味わからんけど。ちなみに平安時代は結婚しないと顔が見れなかったらしい。恐ろしいな平安時代。いや俺の場合逆に有利か!?
いつものようにさらさらと授業を終え、一区切りついたのか芥川は腕時計に視線を落とす。俺もつられて壁にかかっている時計を見たが、あと五分ほど時間があった。
「せんせえ、平安時代のひとって情熱的だったんだねぇ」
前に座っている女子が芥川に話しかける。
芥川はそれを聞いて「そうだね」とにっこりと笑った。
「だけどよく読んでごらん。紫式部は光源氏を客観的に、わりとダメな時はダメな風に描いているんだよ。一方女性は男に振り回され、なびいたふり、流されたふりをしてしたたかに生き、恋愛は身を苦しめるだけだと理解しているように描いている。一夫多妻、女に離婚の権利はなく、通ってこなくなれば結婚生活は終わり、クールにならざるを得ない。そんな時代に生きた紫式部の恋愛観はとても理知的じゃないかな。光源氏のように、情熱的でいられる男はある意味幸せだけど」
「あたしも情熱的に好きって言われたーい」
「そう? でも言葉よりも……」
そして白くて細い首にかかる髪を指で払う。
「鳴かぬ蛍が身を焦がす……」
ん? どういうこっちゃ。別にそれは誰かに聞かせるって感じでもなくて、自分の中で消化するようなそんな言葉に聞こえた。それから芥川は俺に視線を向ける。その瞬間、授業の終わりを告げるチャイムが鳴りはじめた。
「ツヅリ君、資料は昼休みにでも持ってきてくれたらいいからね」
「はいはい……」
持ってきてくれたらいいからね、じゃねー! と思いつつも仕方ない。俺に断るすべはないのだ。芥川はそのまま教室を出て行ってしまった。
「なぁなぁ、いまの蛍がなんとかってやつ、どういう意味かわかるか?」
シャープペンシルの頭で中尾の背中をつつく。
「ああ……」
中尾は半身をこちらに向けて目線を伏せた。
「有名な都々逸だよ。『恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす』」
「ふぅん?」
「その様子だと意味わかってなさそうだな」
ズバリばれている。まずドドイツってなんだよってなもんだし。
「口に出して騒ぐ恋よりも誰にも言えず胸の内に秘めているほうが思いが強いってこと」
鳴かぬ蛍が身を焦がす……。
加藤先輩のことを言ったわけじゃないだろうが、なんだか意味深だな。
昼休み、資料を抱えて国語準備室に向かっていると、廊下の窓の向こう、目線に黄色い何かが目に入った。
「あれって……アカシアだったのか」
中庭の一部が黄色く染まっている。今朝芥川に聞いたばかり、中尾に貰った花だ。緑と燃えるような黄色のコンストラストがとてもきれいだった。
中庭にはなんだかんだ言って色が溢れている。普段花なんか意識してないけどこうやってみればけっこう咲いてるんだな。まぁ、春だもんなぁ……。
廊下で立ち尽くし、ぼーっと中庭を眺めていると、人気のないアカシアの緑の中にうもれるように女子が座ってお弁当を食べているのが見えた。うつむいた顔に見覚えがある。
「あ、もしかして加藤先輩……?」
昨日と今朝と、加藤先輩の手作り惣菜を食べたばかりだ。礼を言おうと一歩窓辺に近づいたその瞬間――。加藤先輩は箸を置き、首元から弄ぶようにチェーンを引っ張り出した。その先に光を受けて輝く銀色の指輪。
そうか、一度失くしたから指輪ネックレスに通すようにしたんだな。だったらもう失くさないな。よかった。
なんとなくホッとしていたら、加藤先輩はゆっくりと上半身を傾け俺に背中を向ける。
どうやら加藤先輩に隠れて見えなかったが、彼女の向こう側に誰かいるらしい。そして加藤先輩は、隣に座っている人の顔を覗き込んで。頬を持ち上げ、ゆっくりと、愛おしむように、ついばむような優しいキスをした。
「かっ、〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
思わず資料を投げ出し、その場に座り込む。
ど、どういうこと! どういうこっちゃー!
今の、なんなんだ? 一瞬だけ見えた。死角だからと油断したのだろうか。でも俺には見えた。確かに唇を重ねていた。でも、でも今、加藤先輩の隣に座っていたのは女の子だった! 顔はわからなかったけど、ちゃんとスカート履いてる女の子!
えっ、加藤先輩って女の子が恋愛対象なんか!?
やべぇ、クラクラする……。
人様のラブシーンを盗み見てしまったことも、そして加藤先輩の道ならぬ恋の相手が女の子だったことも、なにもかもショックで。耳の後ろがどくどくとうるさい。
手足がめちゃくちゃ冷たくなってるのが自分でもわかる。し、しっかりしろ、俺……。
黄色いアカシア。
二人の女の子。
銀色の指輪。
短いスカートから伸びるしなやかな四本の脚。
重ねた唇。
風に揺れる、まん丸の、ポンポンのアカシア。
それからどれくらい時間が経ったのか。全身に血が戻った俺は、呼吸を整えゆっくりと資料を拾い立ち上がる。もう一度中庭を見たが、アカシアの下に加藤先輩はおらず、昼飯を食べに集まっている生徒でいつもらしい喧騒が戻っていた。
「スコーンはどこに消えた?」完
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