⑦恋に焦がれて鳴く蝉よりも


 結局俺たち三人は、何を作るでもなく解散となった。そりゃそうだよな。でも俺と日野だけでよかったよ。

 日野は加藤先輩と一緒に帰り、俺は紙袋を抱えたまま一人で住むマンションへの道をトボトボと歩いていた。


 日焼けの跡は……指輪だ。そうだ。ほんの少し前、加藤先輩は指輪をしてたんだ。コイバナの話題になったのはそれがきっかけだった気がする。誰かが発見して、冷やかして、彼氏とお揃いなのかと……見せてくれと大騒ぎしたけど加藤先輩は恥ずかしそうに隠してしまったっけ。


 その指輪が今は指にはめられていない。別れた? でも俺におすそ分けのおかずくれるくらいだし、別れてはいない?

 いやちょっと待て。いったん整理しよう。加藤先輩がまずなぜスコーンを盗んだかだ。

 とにかく突発的に盗まなければいけなくなった、それは間違いない。なぜ? 今の加藤先輩の違和感はなにかを考えろ。俺は知ってるはずなんだ。


 脳裏に恥ずかしそうに笑う加藤先輩が浮かぶ。小さな手。日焼けしていない部分。指輪……いまはつけてない指輪……。指輪?


「ああああああああ……!!!!!」


 通りすがりのサラリーマンがビクッと体を震わせて足早に逃げたが関係ねぇ! そうか、そういうことか! スコーンだ、スコーンを作るときに、彼氏とお揃いの指輪が抜けて、生地に紛れ込んだんだ!

 何かで読んだことあるぜ。昔、アメリカかどっかで、兵隊さんに送る慰問のクッキーの中に指輪が紛れ込んでその後奇跡的に発見されて帰ってきたとかさぁ! そうだ、それだよ、指輪を無くしたんだ。成型し終えて気づいた加藤先輩は、だからスコーンを、盗むしか、なかった……。なかったのか?


「だから、なんでだ……」


 彼氏とお揃いの指輪を探すなら、普通に話せるだろ。何も隠さなくっても……。


「ぐぬぬ……」


 正解まであとちょっとって感じなのに、目の前に答えがあるのに近づけないもどかしさにモヤモヤするぜ。誰か、正解をくれる人いませんかー!!(芥川以外で!)

 



「ツヅリ?」

「おう」


 駅に隣接してるステーションビル一階。フラワーショップの……なんか英語で読めない店の前に俺は立っていた。


「なに、花買ってくれるの?」


 緑のエプロンをした中尾が近づいてくる。マジで花屋でバイトをしているらしい。絵に描いたような好青年だ。


「そうだな、買うわ。これ」


 店の入り口に大量に置いてある小さな花束を指差す。


「ブーケね。まいどありー」

「で、ちょっと相談っつーか聞いてほしいことあるんだけど」

「わかった、けど上がるのは一時間後だぜ?」

「そこのマックにいる」


 ロータリーの向こうにマックがあった。


「オッケー。花も持って行ってやるから、待ってて」


 中尾の言葉に甘え、外が見えるカウンター席に陣取り百円コーヒーとハンバーカーで腹ごなしをすることにした。そして中尾は約束通り一時間強でマックにやってきた。


「はいこれ」

「おう、サンキュー……ってこれは頼んでねぇぞ?」


 適当に選んだブーケは赤やピンクの花が入っていてなかなかわいいやつだ。そんなブーケと一緒に渡されたのは黄色い花。ポンポンみたいな花でわりと背が高い。まあ俺は花に特に興味ないからあくまでも中尾の店に対する義理みたいなつもりだったんだが。


「余ったやつ。今年は春がなかなか来なかったから時期がずれたんだ」

「そっか……なんか悪いな。ありがとうな」

「いいって。じゃあ俺もなんか買ってくるわ」


 中尾は俺の向かい側の椅子に荷物を下ろし注文カウンターへと向かう。


「お待たせ」


 そしてチーズバーガーのセットが乗ったトレイをテーブルに乗せ戻ってきた。


「で、話って?」


 腹が減っているのだろう。さっそくポテトをパクパクと口に運びながらコーラにストローをさす。


「おう。あのさ、例えばなんだけど……」


 俺は脳内に加藤先輩を思い浮かべながら言葉を選び、続けた。


「女子がさ、彼氏とお揃い……とか、まぁ、貰ったとか。そういう大事な指輪無くしたとするだろ?」

「うん」

「でも、誰にも無くしたことを言えない。一人で探すしかない、そんなことあると思うか?」


 日焼けで跡が残るほどの時間、身につけていた指輪。少なくとも去年の夏から一年近くはつけてるんだろう。大事な指輪のはずなのに。なんで、誰にも協力を求められなかった?


「そりゃあ……」

「そりゃあ?」


 ためる中尾の言葉を気合い入れて待つ俺。


「あるだろ。フツーに」

「ええっ!?」

「あるだろ」

「まじでか」


 まさかこんなにあっさり言われるとは思わなかった。経験か? 経験の差なのか? もてそうだもんな中尾。


「あくまでも想像だけど。例えば秘密の恋人だったらおおっぴらにできないんじゃない」

「秘密って?」

「例えば既婚者……不倫とか」

「はぁ!?」


 あの加藤先輩に限ってそれはないと言いたい! でも、でも……。あの涙を思い出すと、ありえるかもしれない……と複雑な気持ちが胸をよぎる。


「まあ、不倫じゃなくても他人の恋人とか? 人に言えない道ならぬ恋なんていくらでもあると思うぜ」


 そして中尾はテンポよくチーズバーガーにかぶりつく。


「そうだな……だとしたら確かに友達には言えねぇな……」


 お嫁さんにはなれない、加藤先輩の恋人。そんな恋人との指輪を無くしたと気づいた先輩はとっさの判断でスコーンを隠してしまった。新聞部と生徒会が来てそのチャンスがあったからだ。俺のつまらない冷やかしに涙をこぼすほど、他人に知られるくらいなら盗むことを選ぶくらい……精神的にギリギリな状態だから。


 でもたとえ嘘を吐いたって、話して指輪を探したほうが良かったんじゃないか。一度話していれば何かのきっかけで、信頼できる友人にくらいはその恋を打ち明けられたかもしれない。そしたら加藤先輩の恋にはまた違った未来があるんじゃないか? 些細な罪が色を変え形を変え、加藤先輩を今よりもっと苦しめることにならないか?


 大袈裟だろうか。俺の考えすぎだろうか。

 でも……人に言えない恋が加藤先輩をどんどん孤独にしている。そんな気がした。あんなに可愛いのに。大事にされていい人なのに。


「なんか、うまくいかねぇなぁ……」

「うん?」

「こっちの話……」


 マックを出て、とぼとぼと駅へと向かう道すがら、俺がこぼした愚痴に中尾がからかうような眼差しを向ける。


「まさかお前も道ならぬ恋でもしてんの?」

「してねぇよ」

「してるなら俺に相談してくれてもいいんだぜ」

「だからしてねーよ!」


 俺はため息をつきつつ、中尾の肩に腕を回し引き寄せる。


「中尾こそなんかあったら言えよなー」

「ん……でもツヅリは鈍いからなぁ」

「はぁー!? 確かに頭の回転は決して早くねーけどもよ、頼りなんねーかな、いやなるはず!」


 引き寄せた中尾の頭はちょうど俺の肩のあたりだった。さすがひな人形のお内裏様だ。細い。


「お前、百七十ちょいくらい?」

「百七十二だけどなんで?」

「や、芥川より少し高いくらいだなって」

「ふぅん」


 中尾はすっきりとした目を細める。


「もうここでいいよ。お前電車乗らないだろ?」

「おう、じゃあまたな」


 軽く手を振って改札で回れ右。手には黄色い花とブーケ、加藤先輩が作ってくれたお弁当の入った紙袋。一応自分的に納得したとはいえすっきりしたわけでもなく人間ってややこしいなと思わざるを得ない。


 だから芥川は深入りしないのだろうか。それが大人の選択ってやつなんだろうか。ていうか、そもそも芥川がまともな大人じゃなかったわ。話になんねーわ。


 夜道にふんわりと香る花に、ふと意識が向く。

 どうすっかな、この花。俺の部屋に飾ってもなぁ……。

 

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