⑥恋に焦がれて鳴く蝉よりも


 放課後、俺は加藤先輩との約束のためにリリーホール一階の家庭科室へと向かう。数日顔を出さなかっただけだが、妙に緊張するぜ。


「チーッス」


 前のドアを開けて中を覗き込むと、日野が一番前のテーブルの真ん中で暇そうに携帯をいじりながら座っていた。


「一人か?」


 いつも杉山とセットなイメージがあるのでそう尋ねると、彼女はこっくりとうなずいて携帯をテーブルの上に置く。


「杉ちゃんは今日習い事の日だから」

「ふーん、そうか」


 荷物を日野の座るテーブルに置き、そのままキャビネットを開けてマグカップを取り出す。(みんなマグカップを自宅から持ってきている。菓子には飲み物必須だからな)


「日野もコーヒー飲むか?」

「飲む〜。ブラックでお願い」


 もちろんインスタントだが俺たちは特に気にしない。電気ポットで湯を沸かし、コーヒーを淹れて日野のマグを彼女の前に置いた。


「ありがと! あ、そうだチョコあったんだ。コーヒーにはチョコだよね、やっぱりね」


 日野はバッグからダースを取り出し、斜め前に腰を下ろした俺との間にダースを箱ごと置いた。


「サンキュー」


 一粒口に放り込んでコーヒーを飲む。うめぇ。なんなんだチョコって。なんでこんなにうまいんだ。人間に生まれてよかった。


「そういやさ、あっくん先生と話したよー」


 パクパクとチョコを口の中に放り込みながら日野。


「えっ、何を?」

「スコーンがなくなったの、たぶんイタズラだよ」

「はっ、えっ、ど、どういうことだ?」

「実はね、これは新聞部のネタ作りなんだよ、要するに自作自演!」

「ええ!? そいつらがスコーンを盗んだって芥川が言ったのか?」

「いや、あっくん先生はそんなこと言わないよ? ただ先生と話しててあたしが気づいちゃったんだよねぇ! あー、自作自演で事件起こすなんてマスコミの暗部だよ! やばいわー、名探偵の素質あるかもしんないね、あたし! 女子高生探偵日野の華麗なる名推理! 土曜日夜23時オンエア!」


 なんだかわけわからんことになってるが誰が名探偵だ、明らかにそう思うように誘導されてるだろ。とんだ濡れ衣着せられてるぞ新聞部! そして己の手は汚さずに無理やり解決風に見せかけてる芥川はやっぱり鬼、悪魔だ。


「ちなみにあっくん先生はスコーンを盗んだのは学園に住む妖精さんじゃないかな?って言ってたよ。妖精さんってなんなの可愛すぎか〜」


 日野が辛抱たまらんというふうにはしゃいで俺は盛大に吹き出していた。


「ブフォッ……!」

「ちょっ、きたなーい!」

「わっ、わりぃ……」


 いやでも当然だろうよ。なんだよ、妖精さんの仕業ってバカにしてんのかあいつは!?


「ねー、あっくん先生って彼女いるのかな?」

「いねーだろ……」


 あんな人格破綻者に彼女がいて俺にいないなんて悲しすぎるわ。家庭科室に置いてあるウェットティッシュでテーブルの上のコーヒーを拭き取りゴミ箱にポイと捨てる。


「確かに難しいかもね。フツーの女子は並んで歩くのもためらっちゃうだろうなー。見た目だけじゃなく中身も可愛いしさー。あー、あたしが美少女探偵なら立候補するのになー」


 知らないということは罪だというがこの場合は幸せかもしれない。

 それから日野はどんな女子なら芥川に似合うかとあーだこーだ言っていたが、結局お花の妖精さんがいいと思うと結論づけていた。メルヘンか。


「おつかれーなんだか盛り上がってるね」

「ッス」

「あっ、加藤先輩〜♩」


 十分ほどして顔を出したのは加藤先輩だった。日野はさっそくスコーン盗難事件の当事者として加藤先輩にも自分の推理を披露している。彼女が三十二個のミニスコーンを盗んだ犯人だってのは間違いない。だってこの目で見てたし。だけど危険をおかしてまでスコーンを盗み出す理由がわからない……。


 俺よりもずっと遠くで加藤先輩を見ている芥川はわかったというが、あいつしか知らない情報があるってのか? いや違うよな。俺の方が近いってあいつも言ってたし。じゃあ俺は何を見逃してるんだ?


 けれど加藤先輩は日野のオーバーな推理を聞いても特におかしな様子は見せなかった。驚いたように目を丸くしたけれど、芥川の妖精のくだりでは普通に笑顔を浮かべ、巻いた髪を指に巻きつけながら一緒になって「妖精さんの仕業なら仕方ないかもねー」と声をあげて笑っていた。これ全部演技なのかよ。女ってわからん……。


「ツヅリ、これ話してたお弁当」

「あっ、ありがとうございますっ!」


 それまでじっと加藤先輩を凝視していた俺だが、うやうやしく差し出される紙袋を受け取る。十五センチくらいの密封容器の中身は、ひじきや切り干し大根、煮物というまさに家庭料理。すげぇ。ちょーうまそう。


「えー、なんなの、なんでツヅリだけーずーるーいー」


 俺の手元を覗き込みながら日野が唇をアヒルのように尖らせる。


「日野ちゃんは自宅でしょ。ついでに作ったの、ツヅリにもおすそ分けしただけだって」

「ついでって、あ、そっか、加藤先輩の彼氏さんが一人暮らしなんでしたっけ?」


 日野が小首を傾げる。


「あ……いや、そういうわけじゃないんだけどえっと……てか、あたし、料理しかできないから……」


 加藤先輩がはにかみながらうつむく。

 ほほぅ……噂のうらやまけしからん彼氏か。


「なに言ってるんですかー! 彼氏ちょう幸せ者ですね、こんなに色々してもらえるなんて」

「だねー! あたしも幸せのおすそ分けされたーい!」


 日野も当然のごとく乗っかってきた。


「いや、そんなことないって。大げさだよ」

「大げさじゃないですよ、マジで! 羨ましい! 加藤パイセンはぜっったいいいお嫁さんになりますよー!」


 おべっかでもなんでもなく力一杯羨ましがって見せると、加藤先輩は本当に、心底困ったように首を横に振った。


「お嫁さんになんて……なれないよ」

「は?」


 なんで? なれるだろ。こんな可愛くて気立ても良くてちょいエロでお料理上手な彼女いたらお嫁さんにするだろ。なんでなれないなんて悲しそうに言うんだよ。

 と、次の瞬間。加藤先輩の大きな瞳が急速に潤み始める。え、え、え……?


「せ、せんぱい?」


 日野も腰を浮かせて、あわあわオロオロしだした。当然だよな、俺もだよ!


「すっ、すんません、俺、からかいすぎました、マジでゴメンなさい!」

「違うよ、ごめんね、ごめん……」


 だけど一度溢れだした涙は止まらなくて、結局加藤先輩はそのまま両手で顔を覆ってしまった。

 加藤先輩の小さな、小麦色に焼けた手。マジで小せえなぁ……。こんな時になにシミジミそんなとこ見てんだよ、と思ったけれど、なぜか俺は吸い寄せられるように加藤先輩の手元ばかり見つめていた。


加藤先輩の手。何か、違う。どこかに違和感。なんだ?


「あ、こっ、これ、使ってください……」


 日野がバッグからハンカチを取り出して差し出す。


「ありがと……」


 加藤先輩はハンカチを受け取り微笑む。その右手の薬指には、白い跡。日焼けする前の素肌……。

 

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