③恋に焦がれて鳴く蝉よりも


 正直荒唐無稽な話だと思う。


「うーん、わかんねぇな……つか、スコーンなんて盗んで意味あんのか? どんだけ腹ペコ?」


 ブツブツつぶやきながら準備室のドアを閉める。ふとひんやりとした風が頬を撫でる。


 あれ? 窓、開けてたか? 振り返ると同時に目に入ったのは――。


「人は合理的な生き物ではないよ。世界は全て『情動』で動いている」


 窓辺に寄りかかるようにして立つ、人形。


「うわああああああああああああああああああ!!!!!!」


 背筋が凍る。全身の毛という毛が総毛立つ。内臓がぐわっと持ち上がる。薄闇の中に立つそれは完全にこの世の生き物ではなかった。血の通った生き物じゃない。これはばあちゃんからよく聞かされたアヤカシだと、俺の脳がパニックを起こしていた。

 そう、アヤカシは子供を連れて行くのだ。暗くてひんやりした場所に。


 殺されるーーーーー!!!!!


 転んだ拍子に激しく尻を打ってそれこそ目が飛び出るほど痛かったが、衝撃で痛みどころではない。ガクガクと震えながら両手を合わせ拝み倒す。


「たすけてー!!!」


 引きこもり復帰からまだそれほど時間は経ってないが、今また家族を不安にさせるわけにはいかない。それに俺には会いたい人がいるんだああ!!!!!!


「落ち着けよ山ザル。うるさいよ」


 人形は鼻でふっと笑うと、細く白い指で少しだけ開けていた窓を閉め髪をかきあげる。って……。


「っ……あっ、あくっ、芥川!?」

「なにお前、お化けでも見たような顔をして。いつにも増してなかなかバカみたいな顔だね?」


 雑な悪口失礼すぎ! だけど今はちょっとだけホッとしてる俺。うわー、アヤカシじゃなくてよかったよー!(涙)


 文句はたくさんあるが驚きすぎて言葉が出てこない。芥川は無言で床にへばりついたままの俺を見下ろしながら、もたれていた窓辺から体を起こし優雅に近づいてくる。ポケットからひとつ何かを取り出しカサカサと開けて口に運びながら。ちなみに紙ゴミはそのまま床に捨てた。そんな無作法な仕草までまるで貴族のようで、意味がわからん。って、俺から奪った母恵夢ぽえむ貪ってるだけやんけ。


「ゴミはゴミ箱へ」


 咄嗟にゴミを拾ってゴミ箱に捨てる。そんな俺の背中にソファに座りながら芥川は一言。


「お茶」

「っ……お前はっ……はぁ……わかったよ……」


 ぶっちゃけ茶を淹れるのもこの部屋を掃除するのにも慣れている。悲しいけどな。

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、部屋の隅に置いてあった電気ケトルに注ぎスイッチを入れた。それから百円ショップで買ってきたマグカップ二つにリプトンのティーバッグを入れて、湧いたお湯を注ぐ。


「ほらよ……」


 マグカップの一つをソファに座る芥川の前に置いた。お茶を淹れると言う生活に即した行為のおかげで、うるさいくらい跳ね回ってた心臓もなんとか落ち着きを取り戻していた。


「つか、どこから入ったんだよ。まさか窓からか?」


 死ぬほど驚いて恥ずかしかったことはとりあえず意識の外に置いておいて尋ねる。


 国語準備室は一階だ。やろうと思えばやれる。むしろ簡単に。ただ、なんでそんなことをするのか意味がわからんが、こいつなら俺に嫌がらせをするためならそのくらいやりかねない――ってあああ!!


「わかった、犯人は窓から出入りしたんだな! だからやっぱり部外者の犯行だ! 特に怪しいのは腹ペコの体育会系だな! ああ、いつもグランド使ってるサッカーとか!」

「ふふっ。サッカーボールの代わりにお前が蹴られれば良いのに」


 薄暗闇の中で花開くように微笑む芥川は艶やかな声でそう言い放つと、飲みかけのマグをテーブルの上に置き無駄に長い脚を優雅に組み替えた。


「十中八九スコーンは盗まれてなんかいない」

「はぁ!? つか、どこでその話聞いてたんだ!?」

「俺がここにいることが答えだよ」

「意味ワカンねぇ。あ、もしかしてお前が盗んだってことか、そういやずっといなかったし。どうやってやったかはこの際置いといて、甘党のお前ならあり得るぜ、それでも教師か! この泥棒猫ー! ギャッ! 弁慶の泣き所!」

「バカな単細胞がこうやって冤罪を生むんだろうね。教育とはなんと虚しいものだろう」


 おいおい、まったく教師らしくないお前がそれを言うかよ……。


 脛を撫で回しながら涙目になる俺。そして芥川は悲しみに打ち震える教育者の仮面をあっさりと脱ぎ捨て「仕方ない」とソファを立ち上がった。そしてそのまま準備室から出て行く。


「おい、どこ行くんだよ」


 いきなり姿を現したと思ったらスコーンは盗まれていないなんて言ってくれちゃってさぁ……。とりあえず後を追いかけて意味あんのか、これ。いやない。このままついていったところでどうにもならんだろう。どうせこれだって芥川の気まぐれ行動だろ? 付いて来いとはっきり言われたわけでもないし? でも……でもだからと言って知らん顔しておくのも据わりが悪い。ていうか俺が気になる! ああ、好奇心猫をも殺すって言うけどマジで俺、いつか今以上にえらい目にあいそうな気がするぜ……。


 芥川の後姿を眺めながら無人の廊下を歩けば、ひっそりと響くのは俺たちの足音だけ。放課後まで活気に満ち触れていた学園もなんだか寂しい。こうなるとあいつの華奢な体から延びる細い影でも頼もしく見えんこともない。芥川をアヤカシと勘違いしてひっくり返るほど驚いたあの時間から、学園内の空気がガラリと変わっているのは否が応でも感じていた。


「……っておい、ここ家庭科室じゃん」


 そう、結局芥川が俺を連れてきたのは無人の家庭科室だった。クラブの時間は終わり無人なのは外から見てわかる。教室内は真っ暗だし当然施錠されている。

 何か調べようと思ってきたのだろうか。だがしかし鍵は職員室で保管されている。持ち出しには教師の手を借りなければならない。特別なことがなければその日のうちに返却する。ちなみに部室やその他の部屋を私物化できないよう鍵はメーカーでないと複製コピーがとれないタイプのめんどくさいやつときてる。


 ふふふバカめ。これは滅多にない芥川をからかうチャンスだな!


 鼻で笑いながら前のドアに手をかけて、ワザとらしくガタガタと揺らして見せた。


「もう誰もいないんだ。開くわけないだろ?」


 次の瞬間炸裂する芥川のムエタイ風ケツキック!


「ギャッ!」


 俺は見事に廊下とキスするはめになった。


「バカはバカなりに遠慮しひっそりと生きることを覚えろよ、見つかったらどうするんだ山ザルが」

「みっ、見つかった、ら……?」


 orzの体勢のまま、涙目で芥川を見上げると、ヤツは首にまとわりつくさらさらの髪をうるさそうに払いながら、廊下と教室を仕切っている窓を一つずつ確かめるように触れて行く。


「何やって……だから、開くわけ……」


 なぜかがらりと窓の一つが開いた。施錠の意味ねぇ……っていうか普段窓を開けた場合はみんなできっちり閉めてるぞ、なんで鍵開いてるんだ?

 たまたま? たまたまなのか? 鍵をかけ忘れた?


 目を点にしている俺をよそに、芥川はひらりと窓を乗り越えて中に入る。


「ちょっ、おっ、俺もっ……」


 慌てて芥川の後ろから窓を乗り越え家庭科室に忍び込んだ。


 教室の前には、ホワイトボードを背にして教師が使うシステムキッチンが一つ、あとは前後に三つずつ、家庭科室には合計七つのシステムキッチンがある。もちろん誰もいない。というか間違いなく怪しい侵入者は俺たちだけだ。こんなところ見つかったらいくら自由な校風がウリの十月学園だってややこしいことになるだろう。せっかく引きこもりを脱却したというのに退学停学はごめんだぞ。


 だが芥川は最初からこうするつもりだったと言わんばかりに、教室の後ろのオーブンを一つずつ開け始める。うーん、わからん。あいつなにやってんだ……。


「あのな、芥川。三十二個のミニスコーンなら、天板を二段使ってオーブンでいっぺんに焼ける。おまけに毎回レシピはホワイトボードにプロジェクターで映しながら作業するから、結局クラブの四人は、見やすい前三つのうちのどれかで焼いたはずだ。何を調べたいかわからんが、そんなとこ見たって意味ないぜ」


 我ながら名推理。さあ感心しろ!


 だが芥川は理路整然とした俺の意見に愚かにも耳を貸さず、今度は廊下とは反対側のグラウンド側のキッチンのすぐそばに二つ並べてある電子レンジを両方とも開け、そして閉じるという不思議なことをする。

 ちなみにレンジは一人暮らしで使うタイプのそんなにゴツくない普通のやつだ。なんだやけっぱちか?


「だから、電子レンジなんか見たって……」


 芥川はそこでほんのかすかに目を細め、手を止める。


「芥川?」


 それから腕時計を確認した後、教室前方の教師用のシステムキッチンの裏側へと身を潜ませてしまった。


「なんだよ急に?」

「お前はゴミ箱にでも入ってろ。お似合いだから」


 こんな時まで……っ!


 グギギと歯ぎしりをしながら、結局芥川が潜り込んだキッチンの背後に並んで身を隠していた。


「見廻りならもう、少し後じゃないか?」

「――」


 無視かよ!

 それでも納得できない俺はじっと隠れている芥川にコソコソと話しかける。


「なぁ」

「いいか? お前にできることは死体のように静かにしていることだ。いやいっそ死体でもいいね。ああそうだな、お前を死体にしてやろうか?」


 芥川は好青年声でさわやかに言い放ち、それから口を開くことはなかった。


 教師のくせに死体って言いすぎ!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る