②恋に焦がれて鳴く蝉よりも
ここでざっくりと十月学園の配置を説明しておこう。まず、坂道を登りきった先の校門から見て、向かって左が
記号で説明すると、コを、左に横倒しにして、上に横棒ひいた感じだな。で、真ん中の空間はグラウンドやらテニスコートやらがあって、まぁ配置的には珍しくもない普通の学校だろう。ちなみにローレルとリリーの左右の建物は三階建てなんだが、実際は一つのクラブで一つの教室を使えるわけでもないので、教室の数以上にクラブが存在するらしい。
実際、百人近くの生徒が何かしらやってるんだから、カオスにもなるわな。
十月学園はとにかく生徒が学校に楽しく通えることが一番という競争社会から若干道外し気味なんじゃね? というような校風なので、クラブ活動には特別チカラが入ってるらしい。力の入れ場所間違ってるなと思わんでもないが三年生もいない新設校なんだし、こんなもんかね。俺としてはいろいろ楽チンでいいけど。
「ちーす」
一応声をかけながらおそるおそる事務棟、一階の端にある国語準備室のドアを開ける。もちろん突然の芥川の暴力に備えて身構えながらだ。あいつ人目さえなければどこでもまず足が出るからな。
「あれ、いねぇ……」
準備室は書架とそこに収まりきれない積み上げた本で狭苦しい。たぶん生徒があと五人も入れば満員御礼ってとこだろう。部屋の主である芥川はいつも部屋の奥のデスクの後ろに置いてあるボロいソファーにだらしなく眠っていることが多いんだが、今日はその姿はなかった。
「どこいったんだ、あいつ……さては俺が取り返しに来ることを見越して逃げたか?」
部屋の主がいないとなると闇雲に探しても仕方ない。とりあえず待つしかない。
ソファーに腰を下ろし壁にかかっている時計を見上げた。午後四時十五分。全ての生徒がクラブに参加し十月学園が活気付き始める時間だ。
そして――気が付けばいつの間にか眠っていたらしい。近いような遠いような微妙な距離感で騒がしい。声が響いている。
「やっぱり言ったほうがいいって!」
「でも怖いわ、あんなことってある?」
「だから相談しようって言ってるんでしょ……!」
「ん……」
無理やり目をこじ開ける。窓の外は西日が眩しかった。そろそろ日が落ちる頃なのかもしれない。
「こんなのぜったい変だよっ!」
ドアを一枚隔てた女子の声はどこか切羽詰まっている。あせりと不安の黄色いガラスのように尖った声だ。なんなんだいったい……。ボーッとする頭のままガラリと扉を開けて廊下を覗き込むと、女子が二人いきなり姿をらわした俺を見て、飛び上がらんほどに驚いた。
「うわぁびっくりした!!!」
「ツヅリ君?」
廊下に立っていたのは見覚えのある顔。俺も所属しているスイーツクラブの女子だった。二人ともクラブ活動中につけるエプロンを着用している。
「あの、あっくん先生は?」
ちなみにあっくん先生っつーのは芥川のことだ。つーかあっくんてがらじゃねーだろ。むしろ悪魔くんだろ。
「知らん。俺も待ってる」
「じゃああたしたちも中で待たせてもらうね!」
「ごめんね、騒ぎにはしたくないんだけど」
女三人寄れば姦しいというが二人でも十分やかましい。焦ったように準備室の中に入ってきた。
「なにかあったのか?」
「あっくん先生に相談っていうか、こんなの初めてだからどうしたらいいかなって思ったんだけど」
最初に口を開いたのは同じクラスの日野。口がペラペラと回るがそれ以上に頭の回転も速い女子だ。ファッションセンスが独特で、制服のブレザーをリメイクしてエスニック風に着こなしている。ずいぶん派手だが、茶髪で目鼻立ちがくっきりしているので似合ってる。そしてなによりけっこう可愛い。
「相談?」
「盗まれたのよ」
そのつぎに口を開いたのは杉山。こっちは隣のクラス。少し大人っぽい。黒髪おっとり美人系。
「盗まれたって……何を?」
まさか財布とか貴重品とかそういう……? だが嫌な予感に眉を寄せる、俺の想像に反して返ってきたのは――。
「スコーン、三十二個」
日野は悔しそうに唇を尖らせ「焼きたてだったのよ」杉山は悲しげにため息をついた。
ええー……スコーン三十二個盗まれたってさぁ……。
思いもよらぬ返答にどう答えていいものかわからず一瞬口ごもってしまったが、とりあえず「誰かが配ったんじゃねぇの? 結局お前たちが大騒ぎして言い出しにくくなったとか」思いつくままに説明してみれば、常識的にそうとしか考えられない気がしてきた。
だってスコーン三十二個も盗んでどうするんだよ。独り占めするには多すぎるし。スコーンを盗む組織的犯行なんてありえるか? って話だし。
「ツヅリだって知ってるだろうけど、うちは作ったものは常に参加人数の頭割じゃん? 自分の分を人に配る分には問題ないわけだし、勝手に人の分まで配っちゃうってのはないでしょうよー」
日野が何言ってんのーのいう顔で俺を見上げる。確かに。クラブのメンバーはそれほど付き合いが長いわけではないが、みなそれなりに普通の人間っつーか、危なそうなところはなさそうだし……。まぁ、印象なんて芥川があてにならないこと証明してるけど。
「ちなみに三十二個って全部か?」
「ええ。ミニスコーン八個作れるいつものレシピよ。今日は四人いたからそれを四倍作って三十二個。焼きあがって冷ましてて……さぁ食べようって気がついたらなかったの」
杉山が憂いを帯びた睫毛を伏せた。
「でもよ、盗まれるって言っても誰かしら家庭科室にはいたんじゃねぇの? 無人の時間なんかないだろ」
「それがむしろいつもより人が多かったくらいだよ。わちゃわちゃしてたよね、杉ちゃん」と日野。
「どういうことだ?」
「あのね、スコーンをオーブンに入れる直前だったわ。突然新聞部と生徒会がやって来て、校内新聞に記事を載せたいなんて言ってきたのよ。で、スコーンの写真も撮るっていうから二十分ほど焼きあがるまで待ってもらって……ね、日野ちゃん」
「うん。実際焼きあがったのをそのまま写真に撮ったんだ。で、あの人たちは帰っていって、さあ食べようってことになったら、冷ましてたスコーンが全部、なくなってたの!」
おかしいよねぇ! と日野がまたテンションを上げた。両手を広げアメリカ人みたいなアクションを取っている。
ちなみにクラブのメンバーの残り二人は誰かと尋ねてみれば、テニス部と兼部しているギャル系二年の加藤先輩と、寡黙で清楚な阿部先輩だった。(どっちもタイプは違うがけっこう可愛い)
やっぱりいつも自分たちで作る菓子を盗むような人間には思えない。つかそもそも盗まなくてもスコーンくらい時間があれば作れるわけだしな。となれば、容疑者は絞られる。
「んー……やっぱりさ、自分たちのものを盗むなんておかしいだろ。だからクラブの人間は除外だな。生徒会か新聞部が怪しいぜ」
だが杉山がふるふると首を横に振った。
「でも生徒会は一人だったし新聞部はデジカメを持った女の子が一人と、インタビュアーの男子が一人ずつだったの。誰もスコーンを三十二個も持ち出せるようなバッグなんて持ってなかったし、仮にエコバッグを隠し持っていたとしても、あの中で誰にも気付かれずに持ち出すのは不可能だし……」
「何よりあたしたち、今日はスコーンでも作ろうかーってなんとなく決めたんだから、焼く前の状態のスコーンをどうやって盗もうって話になるの?」
「う……そうだな」
たまたまその日焼くことに決めたスコーンをどうやって計画的に盗むのか。だったら発作的な犯行? 焼き上がりからスコーンが盗まれるまでのわずかな時間でどうやって、誰が? うん、なにからなにまでまるでわからん……!
それからも三人であーだこーだと話をしていたが、芥川は三十分しても戻ってこなかった。準備室の室内灯はどうも電球が切れているらしく、気づけばお互いの顔もよくわからなくなるくらい暗くなっていた。
古ぼけたデスクの上には芥川の私物の革のバッグがある。いずれ戻ってくるだろうと察しをつけた俺は、とりあえず本格的に辺りが暗くなる前にと、日野と杉山を帰すことにした。
「今の話、芥川が戻ってきたら伝えておくから」
一応芥川はクラブの名目上の顧問でもあるのだ。たかがスコーンとはいえ彼女たちが話しておきたいと思ったのも当然だろう。
「まぁ、ぶっちゃけ女子よりも可愛くてか弱いあっくん先生に相談したところで解決できるとは思わないけどさ。貴重品はなくなってないとはいえ警察に届けて部活に差し障りとかあったらやだな、とか思ったんだ。やっぱり気持ち悪いからね。みんなもヤキモキしてるだろうから、一応ね」
女子よりも可愛くてか弱い?
いろいろ突っ込みどころはあるがとりあえず二人は俺に話して少しだけ満足したのか、肩の荷を降ろした表情で校門へと向かっていった。
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