国語教師芥川は教えない、諭さない。

あさぎ千夜春

スコーンはどこに消えた?

①恋に焦がれて鳴く蝉よりも


 住宅街から少し離れた小高い坂の上にある十月とつき学園は、その昔はアウシュビッツ、網走とも呼ばれた某私立高校が経営破綻したのち経営者も教育方針も一新して2年前に新設された高校だ。


 事情があって高校に通えない子供を受け入れるために設立され、通ってる生徒は100人程度で年齢もバラバラ。自由な校風がウリで、制服はまぁとりあえず着てればいいじゃん? みたいな空気で、俺も類に漏れず上はパーカーだし、髪は金髪だしとにかくユルい。  

 最初はイヤイヤ来たガッコだけど、住めば都というべきか、実家を離れて一ヶ月そこらでまぁそれなりに悪くないんじゃねーかなー、むしろ悪くないんじゃね?なんて思うようになったりして(何気に女子のレベルも高いしスカート短いしゲヘヘ)自然と廊下を歩く俺もスキップになろうかってもんだぜ。


 なんてニヤニヤしながら歩いていたら、突如ゲスッと太ももあたりに衝撃。


「うおっ!?」


 思わずバランスを崩しそうになったが、とっさにふんばり姿勢を立て直して振り返る。

 いきなり人を背後から蹴る。こんなことする奴は他にいねぇ。


「あくたがわーっ!」


 俺の怒号が廊下に響く。だが目の前のそいつは、俺の怒鳴り声を受けても何てことなさそうにゆったりと微笑んでいた。


 濃い茶色の三揃いのスーツにボウタイ。まるで男装の美女のような現実味のない佇まい。誰だって目を奪われるだろう。たとえこいつがクソ教師とわかっていても。


「うるさいボケカスゴミ田舎の山猿が生意気に廊下をドタバタ走るなホコリが立つ」


 笑顔とともに放たれる暴言。口悪すぎ。毎回容姿とのギャップに驚くわ。つーかそれよりもなによりもこれでなんと教師。十月学園の国語教師。

 あー、いまだに信じらんねぇよ……。周りに人目があればこいつの横暴を訴えることもできるんだが、ここは文科系クラブのための校舎、通称、百合館リリーホールで、残念ながら今は放課後になったばかり。

 なによりこの悪魔に魂を売ってその美貌と悪知恵を手に入れたに違いない悪徳教師芥川がそんな愚行を犯すことはなく、ひとけはない。悲しいやらむかつくやら情けないやら目の前が暗くなる。


「ん?」


 芥川はぼうっと突っ立って現実から目を背けようとしている俺を見上げ、大きな目をわざとらしく細め小首を傾げる。とにかく白くて小さくて細くて、目の色が独特で暗がりで発光してるように見えて、なんかこの世のものとは思えない美貌の持ち主なだけにいちいちそういうのが絵になる。

 クソむかつく。男のくせにキラキラしやがって。だけど我慢、我慢だ。我慢しかねぇ。早くこの場をやり過ごして逃げよう。


ツヅリ君、それ、約束のものだね?」

「は? って、やべえ!」


 とっさに手に持っていた袋を背中に隠そうとしたが「よこしな」芥川は素早い動きでごく当然のように紙袋を奪うと、腕に抱え中身を覗き込む。


「やっぱりそうだ」


 袋の中身は実家から昨日送られてきた荷物に入っていた地元の銘菓だった。もちろん一人で食いきれるわけないのでクラブで配るつもりで持ってきた。芥川にやるなんて一言もいってないしもちろん約束もしていない。


「ひーふーみ……」


 数を数えている芥川。子供みたいに上機嫌だ。赤いふっくらとした唇が嫌味じゃない笑みを浮かべている。もうすでに自分のものだと確信し明らかに喜んでいる。


「やー、だけどそれ、クラブの方にも持っていきたいっつーか、むしろそのつもりで実家から送ってもらったっつーかお前にやる菓子は一つもないっつーかぎゃあああ!!」


 足、踏まれた……。


 涙目でつま先を抑え揉みほぐしていると「これは先生がいただくよ。ご家族によろしく」芥川が上機嫌にくるりと踵を返すと余韻を残すようにさらさらとまっすぐな黒髪が揺れる。185の俺からしたら170センチない芥川のつむじまで丸見えだが、そこは指摘しなかった。だって蹴られるし。まぁ菓子はまた送って貰えばいいし……って、弱すぎか、俺!


 いやでも結局最初からこいつには負けてんだよな……。


 芥川。十月学園の国語教師。

 俺はこいつの……手下? 下僕? いや、ただの使いっ走りか……。

 そう。あれは遡ること二ヶ月前、桜が散る頃。こいつにちょっとした借りができて気がついたらこういう扱いを受けている。

 ああ、割と楽しい学園生活の唯一の汚点がこれだよ……。


「ツヅリくーん!!!」


 廊下で芥川に蹴られ踏まれたところを一人虚しくさすっていると、廊下の向こうからパタパタと足音を立てて女子が駆け寄ってきた。クラスメイトで委員長の寺島だ。シャレオツな黒縁メガネにポニーテールで、元気いっぱいでゴムまりみたいな女子。(そして結構かわいい)


「どうしたの、こんなところでなにしてるの? もしかして闇討ちにあったの?」


 しゃがみこんでいる俺を見おろし不思議そうに首を傾げる。

 闇討ちって……いやでもあってるな。あってるあってる。あれは闇討ちだわ。


「なんでもねーよ」


 言ったところで芥川にやられたなんて誰が信じるだろうか。


「気をつけないと。ツヅリ君は十月学園の番長なんだからさ」

「いつから!?」

「三週間前の入学式からみんなそう思ってると思うよ」

「おい……」


 当然だが俺は番長でもなんでもない。むしろ校内で俺に暴力(しかも一方的)にふるってくるのは芥川くらいだ。


「ツヅリ君、まっきっきだし入学式には遅刻してくるし最初から飛ばしてたよ」

「そっ、それはあれだ、いろいろ事情があんだよ……」

「どんな事情よー。あ、わかった。ヤンキーの守るべき三か条みたいなやつだね。一つ、入学式には遅刻せよ」

「ちげーよ」


 残り二つが気になったが恐ろしくくだらなさそうだし傷つきそうだ。それ以上突っ込むのはやめた。遅刻はいろいろあったからだが、この金髪は今となってはやっぱり失敗だったなと思わんでもない。


 そもそも俺は元引きこもりで不登校男子。見た目に気を使うこともなく、真っ黒のたわしみたいな頭だったんだが、十月学園に合格して一人暮らしがきまり、さらに大都会の東京の高校に通うという不安から、舐められてはいけないと気合を入れた、というか気合いが空回りした結果のこの頭。

 姉ちゃんズには「サル!」と爆笑と失笑をかったが(そういや芥川も俺のことを田舎の山ザルって呼ぶよやだ死にたい)、俺としては新しい自分の再スタート気分だったんだよなぁ……。


 それが入学式で思いの外ほっこりムードの十月学園の雰囲気に驚いて、完全に肩透かしをくらったわけだ。だけど今更黒髪に戻すのも体裁が悪く、そのままを通しているという……。


 改めて考えるとマジでだせえなおい!


 つーかどう考えても金髪失敗してる。体がでかくてつけてるコンタクトが微妙にあってないような気がきて目つきがとにかくよくないし。あーどう見ても田舎から出てきたヤンキーだわ。このままじゃあの子に……あの子に再会しても……なぁ……。


 どうしてだろうか。あの日のことを思うと、ごく自然に目の前に虹が浮かぶんだ。


 虹色の、雨上がりの、水色の空の、ずっと消えない色褪せない虹。


 俺が芥川に作った借りのことはとりあえず置いといて、あれは俺の人生史上最高の体験だったと言える。そう人生いいこともあれば悪いこともある。ケ・セラ・セラ。

 とにかく多少理不尽なことがあったとしても、いつかまた会えることを信じてこの東京砂漠を生き抜くしかない。あの子に会えると信じて……。


「そういやツヅリ君ってクラブなんに入ってるの? こっちのリリーホールにいるってことは文科系?」

「あー、ク、クラブ?」

「うん、クラブ。うちは全員参加でしょ? なんに入ってるの?」

「ッ……クラブ……」


 思わず声が小さくなる。


「え、なに?」

「スッ……」

「すぅ?」

「スッ、スイーツクラブだよ、文句あるか!?」


 恥ずかしさを吹っ飛ばす勢いで大声を出したら倍恥ずかしくなった。なんだこれ。


「ギャハハー! ツヅリ君耳まで真っ赤だー! ていうかまさかのスイーツ!」

「うるせえ!」

「スイーツ番長!」

「番長言うな!」

「はいはい、確かお菓子作りとかするとこだよねー。そういうの好きなんだ? いいねぇ。わたし食べるの専門だからさー今度食べさせてねー」


 寺島は快活に笑って俺に手を振り二階へと駆け上がって行った。さすが委員長フットワークが軽いぜ……。


「はぁ……」


 案の定スイーツクラブのことを笑われてしまった。菓子が好きで悪いか。

 クソッ、お前に食わす菓子はねぇ! と言いたいところだが、いつも菓子は大量にできるので今度からあいつにも押し付けよう。(今までは自分の分は全部自分で食うか、芥川に奪われていた)


 つーか寺島はなんのクラブ入ってんだっけ?

 なんとなく体育会系クラブ棟、月桂樹館ローレルホールで見かけてた気がするんだが、もしかしたら兼部しているのかもしれないな。なにしろ委員長だし。俺みたいなヤツにも気軽に声かけてくるし。


 気を取り直し改めて一階廊下の端にあるスイーツクラブの皆が集まる家庭科準備室へと向かおうとしたのだが……手ぶらなことに気が引けて自然と足が止まっていた。返す返すもお土産の菓子を全て奪われたことが痛い。地元の銘菓詰め合わせだ。クラブ内での円滑なコミュニケーションに必要だろう、菓子はよ。


 いや、さすがの芥川も一度に全部は食べないんじゃねぇか?

 いくつか返して貰ってせめてクラブのメンバーには分けたいところだ。つーか、それで十分だろ。なんで芥川にここまで気を使ってやらんといかんのだ。借りがあるとはいえあいつは横暴すぎる。


 よし、気は進まんが、戻るか……。

 来た道を戻りリリーホールを後にした。


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